#15

 小さなモニタに映る景色は、相も変わらず白い廊下だ。迷宮めいて曲がりくねった廊下を歩いていくセルジオの背中を捉えながら、俺は荒く息を吐いた。

 コロッセオめいた研究棟から脱出する条件は、相手のバイタルサイン異常だ。ゆっくりと上昇する円形床に飛び乗り、少し休息を取る。その間に、ロイが撮影した小型カメラの映像を倍速視聴した。ルートの確認は問題ない。だが、身体が動くかが怪しい。


「耐えてくれよ、俺」


 病み上がりに連戦だ。ダメージも癒えきっていないのに、足は進むのを止めない。霞む視界を振り切って一歩ずつ進んでいく。光の道は、まだ絶えていない。それだけが頼りだ。


『キミたちのことはちゃんと覚えているよ。異端尋問官のロイ君と、実存体を一時的に保護していたルーク君。キミたちの探している人造天使は、ちょうど育ち始めた所だ!』

『黙ってユガミに会わせろよ、お義父様……』


 ロイの視線が捉えるルークの表情は、悔しげに歪んでいる。俺には、それが歩調を乱さないように、自分を律しながら歩いているように思えた。

 長い廊下を歩きながら、セルジオはふと口を開く。ロイの方を向くと、彼は挑発的に笑う。


『暇つぶしにキミの父親の話でもしようか。共通の話題といえば、それくらいだろう?』

『……父親は、なぜ人造天使の研究を主導したのですか? そんな物、教義のどこにもないのに』

『青いねぇ。まぁ、聖職者はそれくらい理想に殉じてないと生きていけない生き物か。そういう意味では、キミの父親は信徒思いの良い聖職者だった。権力に染まった保守的な上層部の中で、あの人は本気でこの街や信徒の将来を憂いていたよ』


 脚を引きずりながら、俺はあの日の仕事を思い起こす。俺の受難の原因になった、人造天使奪取依頼の標的の名前だ。殺した49人の聖職者の名前を辿れば、その名は——。


『ヴィンセント・アストラ教導師長。厳格で、戒律に厳しい人だった。信仰に篤く、教義に対しても真摯な男が、なぜ教義に反する人造天使のプロジェクトを主導したのか。単純な話だよ、あの人は〈神の不在〉に耐えられなかったんだ』

『ふざけないでください。貴方も聖教会に所属していた身なら、それが愚問な事くらい知っているでしょう? そもそも、不在証明というものは……』

『悪魔の証明、だろう? そういう議論をするために呼んだんじゃない。……この街には、迷える仔羊が多すぎたんだ。信仰によって遍く万人に救いを齎らすのが“神”の役割だとするなら、この街に奇跡なんか似合わない。あるのは競争と破産と大量消費。職を追われた子供たちがストリートチルドレンに身をやつし、企業ビルの高層階で生きるコーポの犬は泥の味も知らない。聖教会の中枢にいる奴らでさえ、導いてくれる羊飼いを探していた』


 無信仰者は、神や奇跡を信仰しない。それをモラルや規範意識の無さに繋げる声も少なくないが、それは神の存在に依存した価値観だ。ロイの父親は、それが崩壊することを恐れていた。


『導く者が必要だ。信仰の対象になりうる巨大な偶像。それに選ばれたのが、人造天使だった。人の手によって創られた神の代替品。それが、彼女だよ』


 研究室の扉が開く。それを見たロイの動揺を、小型マイクが捉える心拍音が証明していた。


『覚醒前に楔を打つ必要があった。これを冒涜だと思うかい?』


 あの日見た人造天使とも、その幽霊とも違う。

 アルビノの髪が重力に従うように垂れ、重い前髪の隙間から仄かに赤い眼光が輝く。背後の光輪ヘイローは蜘蛛の巣めいて放射状に広がり、脈動するかのように輝いている。その両腕は十字架に磔にされ、一糸纏わないしなやかな肢体は鎖で縛り付けられている。打ち付けられた鋭利な楔が、彼女の胸元に薔薇の花めいた血の痕を残していた。


 それは、創られた聖人だった。

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