#8

 コウロ地区のメインストリートをユガミの手を引いて歩きながら、僕は周囲の様子を静かに伺う。

 敵は獄門會の構成員。全員がご丁寧に代紋を掲げているとは思えないが、通行人に混ざる追手の剣呑な雰囲気くらいなら察知できるかもしれない。


「ルーくん、ラーメン食べに行こうよ! この辺りでフカヒレラーメンが美味しい店が……」

「静かにしてな。声でバレるかもしれないから」

「……あたしなら見つかっても潰せるのに」


 交差点の信号が青に変わり、停滞していた人の群れが動き出す。流れに身を任せ、僕も横断歩道に一歩踏み出したその瞬間、けたたましいブレーキ音が横薙ぎに突っ込んでくる!

 前を歩いていた屈強な男が跳ね飛ばされ、ブレーキ痕をアスファルトに刻みながら黒いセダンが急停車する。ボンネットにプリントされた獄門會の代紋が、このご時世に隠す気がないほど自組織をレペゼンしていた。


「オラァ! よくも組の若いのやってくれたな、アァ? 街のドブネズミ如きが、獄門會の看板舐めんじゃねェ!!」


 鬼気迫る表情で詰め寄る構成員の小指はない。古くからの慣習で、己の計画が失敗したヤクザは自らの小指を切断するという。そこになんの合理性があるかというのは常々疑問だ。

 もう1人現れた構成員に腕を引かれそうになるユガミは、相変わらず深刻さのカケラもない笑みで相手の心臓を指さす。数秒後に起こる惨事を気の毒に思いながら、僕はそいつの向こう脛を蹴り倒した。


「汚い手でユガミに触るな、アホ共」


 それが交戦の合図だった。去っていく人混みの中、逆にこちらに向けて突進するように近づいてくる数名の影。〈鉄火40〉のメンバー各々が金属バットやバタフライナイフで武装し、胸には無数の覚悟を抱く。

 敵も銃や匕首あいくちを取り出し、応戦する構えだ。剣呑な空気の中、僕は再びユガミの手を握って目抜き通りを抜けようと駆け出す!


「……待てや」


 次々に殺到したセダンが車道を封鎖し、僕たちを取り囲むように停車する。最後に到着した一台の窓を開けて顔を出すのは、獄門會のボスだ。


「俺の女を唆して逃げるとはいい度胸だなァ、若造。お前も、チンケな組織も、まとめて潰してやるよ……」


 威圧感が違う。この街の混沌を暴力と苛烈さで生き抜いてきた男の持つ迫力に、僕は思わずたじろぐ。敵は本物のヤクザだ。いくら勢いがあるとはいえ、〈鉄火40〉がやっている“ごっこ遊び”とは違う本物の凄みに僕たちの勝ち目はない。無惨に命を奪われて、ユガミの望む自由は永遠に失われる。


 逃げるだけだ、立ち向かう必要はない。

 なのに、なのに。足が動かない。


 セダンから降りてきた黒服の構成員たちが、僕とユガミの肩を乱暴に抱く。ボスへの謁見をさせるつもりなのか。背後で鳴り止まない銃声をバックに、僕の意志は急速に萎んでいく。


「ルーくん、何してんの? 早く逃げようよ」

「うるさいな。この世には関わっちゃいけない奴がいるんだよ……」

「あたしより、あのブルドッグの強さの方を信じるんだ?」

「いくらユガミでも、できるわけないだろ!? この数で、相手は歴戦のヤクザだぞ!?」

「キミがそう信じてるなら、あたしには何もできないんだよね〜」


 ユガミは相変わらず薄く笑ったまま、ボスの下へ連れて行かれようとしている。異常な能力を持つ彼女が自力で脱出できないのも、おそらく自分の信仰がまだ足りないからなのだろう。


「もう一度、あたしを信じてよ。奇跡なんか、簡単に起こしてあげるから」


 立ち向かうのは、どうしようもない現実だ。ユガミを縛る鎖の正体もきっとそれで、彼女はそこから浮遊しようとしている。


 ユガミが“目覚めた”時、彼女の身体は獄門會のボスに飼われていたという。24人の愛人の中でボスが最も寵愛する少女。それが彼女に与えられた鎖だった。

 自我を手に入れた彼女は、自分の名前を定義し、逃げた。元の名前は、ボス以外知らないらしい。

 その状況が何らかの病理によるものなのか、僕に理解する知識はない。だが、彼女が自分の名を、そこから伸びた自我を、明確に気に入っていることは確かだ。


「ユガミ」


 名前を呼ぶ。

 どうしようもない現実をぶち壊すとすれば、それはきっと外部刺激なのだろう。


「一蓮托生だ。信じるよ」


 彼女はニヤリと笑い、瞳を赤く光らせた。

 同調するかのように、活路は静かに開く。


「乗れ、ルーク!!」


 並んだセダンを薙ぎ払うかの如く、赤漆塗りのトレーラーが無数の構成員を下敷きにして突入する。

 座席に座るのは、老龍とリーダー。緊迫した状況をぶち壊す、巨大な外部刺激だ。

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