#4

 信じる、という言葉を最後に発したのはいつだろうか。


 僕の父親はろくでなしだが、家族を守る気概は人一倍強かった。「俺を信じろ」が口癖で、進むべき道をきちんと示してくれる。そんな男は、幼少期に家族ごと僕の前から消えた。

 次に背中を追ったのは兄貴分だ。寡黙で真面目な〈黒曜の手〉は言葉よりも行動を重要視する人だったが、それが裏社会の事情を何も知らない僕に常識を叩き込む形になった。そんな信頼すべき兄貴分も、今日死んだのだ。


「信じろ、って。見ず知らずの他人を急に信じられるわけ……」

「今選べる2択は、信じるか、死ぬかだよ。答えは決まってると思うけど?」

「誰のせいだと思って……」


 痺れを切らしたヤクザが構える銃口は静かに揺れる。困惑する僕を尻目に、ユガミは笑いながら敵の前に躍り出た。


「目を瞑って、手を握って。あとは力を抜いて、あたしが合図するまでひとつの事だけ考えてて」

「……ったく、わかったよ!」


 とにかくこの場を切り抜ける為に、手段は選んでいられない。言われるがままに手を繋げば、脳裏に浮かぶのは奇妙な高揚感だ。

 数時間前に感じた感覚によく似たそれに身を委ねると、身体は勝手に動く。僕は、無意識のうちにかしずいていた。


「キミ、名前は?」

「ルーク。それともコードネームで名乗るか?」

「……ルーくん、もう目を開けていいよ」


 目を開くと、ユガミは吐息が掛かるほど僕に顔を近付けている。その瞳は煌々と輝き、虹彩が赤い軌跡を作り出していた。


「同期完了、なんてね」


 瞬時の行動だった。ユガミは身を翻すと、ヤクザが構えている銃身を掴み、捻り上げる。銃は飴細工のように伸び、原型を留めなくなっていく。困惑する追手に微笑み、彼女は柏手かしわでを打つかのように両手を重ね合わせた。


「ぱんっ!」


 瞬間、紙吹雪とともにヤクザの肘から上が消失する。回転力を失った独楽こまが寄りかかるように倒れるかの如く、バランスを失って崩れ落ちた。


「じゃあ、逃げよっか。ルーくん!」


 自分の頭がおかしくなったのか。目の前で起きた異常な光景に僕は思わずたじろぐ。人智や物理法則を超えて起きた異常事態は、まさしく“歪み”の産物に思えた。

 あの時、兄貴が爆ぜたのも同じ原理なのか? そんな疑問が頭の奥で響くが、僕の表層はまた別の感情が支配している。


「信じるよ、アンタを」


 これは“奇跡”だ。ユガミの背中が光り輝いているように見え、僕は自分が傅いた理由を後から納得する。

 信仰とは、きっとこういうことなのだろう。

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