#3
屋上の転落防止柵を伝い、僕とユガミは一つ下の階へ移動する。そこは無数のロッカーで囲まれた更衣室だ。浮気現場からの脱出みたいでワクワクするね、と笑う彼女を黙らせつつ、僕は必死に状況を整理していた。
「なんであんなのに狙われてる?」
「あたしにはやりたい事があるのに、あいつらが閉じ込めようとするんだもん。ちょっとカラダを許しただけなのにさ……」
「……なんで僕を巻き込んだ?」
「そういう運命だから、かな」
「……頭痛がする」
獄門會は木っ端の組であり、何か大きな団体の孫組織だ。ここいらのストリートギャングや住民からは恐れられつつも、チンピラ紛いの構成員しか居ない事から畏怖の対象にはなっていない。みかじめ料を請求し、酒を飲んで暴れ回るだけの厄介な集団。そういう認識だった。
だが、ボスは違う。時代遅れの武闘派であり、ボルサリーノ帽に葉巻で気取る老いたブルドッグめいた顔には無数の向かい傷が目立つ。一度噛みつけば、相手が負けを認めるまで報復を繰り返す。猟犬めいた執拗さが、獄門會の権威を高めているのだ。
僕が所属している〈鉄火40〉は、獄門會のシマには手を出さない。数ヶ月前、組のチンピラに喧嘩を売った下っ端をリーダーが追放したばかりだ。その後、そいつは僕たちが根城にしている高架下キャンプの屋根に叩き落とされて死んでいた。顔の骨をぐちゃぐちゃに砕かれ、腹にはナイフで彫られた“手打ち宣言”が痛々しく傷を晒していた。
僕もそうなるのか?
このままユガミの言うことに従えば、獄門會に真っ向から喧嘩を売る事になる。彼女をここに置き去りにして逃げれば、明日も平穏無事に生きていけるのだろうか。
「そうやって、また逃げるんだ?」
その表情を察したのか、ユガミは僕の首筋に指を沿わせながら呟く。その指は、奇妙な熱を持っていた。
「……お前が僕の何を知ってるって?」
「知ってるんじゃなくて、わかるんだよ。全部、ぜぇんぶ。ずっと誰かに判断を委ねてたことも。いざって時に自分で何も決められないのも」
彼女の腕を振り払い、拳を握る。空を切った拳は、狭いロッカーの扉を歪ませた。
「こういう時に、ほぼ初対面の女を殴れないのも」
クスクスと笑う彼女を見て、苛立ちと同時に湧いた感情は妙だった。それはかつて父親に見た憧憬で、死んだ兄貴分に重ねた背中だ。
ユガミは見るからに変な女だ。話す言葉は会話が通じているのかわからない具合で、どこか一足飛ばしにコミュニケーションを行なっている感覚になる。こいつは、僕をどこまで知っている?
ロッカーを殴る音はやけによく響く。それを不審に思ったのか、徐々に近づく足音が速くなっていく。この階から逃れることは、きっとできない。
「ユガミちゃ〜ん。お迎えにあがりましたよ〜」
「……おい、誰だお前」
敵は銃を構えたヤクザ2人。対して僕は丸腰のストリートギャング。ステゴロも得意でなければ、この場を潜り抜けるアイデアがあるわけでもない。そんな弱い僕にできることは、自分の命を最優先にすることだ。
ユガミを差し出し、逃げる。簡単な話だ。僕は頭を下げ、ゆっくりと口を開く。
「こいつは渡さないぞ、バカ共。」
違う。自分の思考とは裏腹に、まるで誰かに腹話術を行われたかのように台詞を上書きされた。冷や汗をかきながら後ろを振り返れば、ユガミは満足そうに笑っている。
「やっちゃったね! ……私を信じてくれたら、この場から抜け出せるかもよ?」
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