#3

 エンリコ・バイオテクニカの本社は巨大な楼閣だ。三角形めいて三つ並んだ本社ビルを結ぶ空中庭園には巨大な十字架が鎮座し、地下には無数の研究プラントがあるという。俺は偽造IDが記された即席の社員カードを片手に、短期清掃員として潜入を始めた。

 営業担当のサラリーマンも、白衣を着た研究員も、信仰の象徴としてロザリオを首から下げている。それは全ての社員に支給されるスマートデバイスで、日々の礼拝や信仰に即した行動を取るたびに社内電子通貨〈アンリ〉が加算されていくのだ。心にもない礼拝で貯めたアンリをコーヒーに交換し、俺は社内の調査を続ける。


「今日のコンペで最優秀賞を取れば、2万アンリだ。やっと昇進チケットが手に入る!」

「マジかよ。俺なんかデジ免罪符に使っちまったわ。課長の頭叩いても無罪だぜ? あの時の顔、お前にも見せたかったよ……」


 談笑しながら通路を行き交う社員に軽く会釈をし、俺はライムグリーンのキャップを目深に被り直す。数日で潜入も板についてきた。脳内で建物の構造をマッピングし、目的の情報がある場所に目星を付ける。地下プラントに続くゲートには強力なセキュリティレベルの電子ロックが仕組まれており、容易に侵入することは不可能だ。

 だとすれば、俺が行うべき行動は物理ハックだろう。社内機関紙を一瞥し、とある人物の顔と名前を記憶していく。


 主任研究員、セルジオ・ビット。第4プラントの研究責任者だ。生命医学の専門家にして聖教会の司祭である、風変わりな男であるという。彼は社内でもスターであり、時折礼拝室で社員向けの講演を行なっていた。そこを襲撃すれば、天使に関する情報も、不死に関する情報も、どちらも得ることができるのではないか?

 運の良いことに、セルジオの講演は数日後だ。作戦を練る準備をしようと駆け出した拍子に、肩同士がぶつかる。気を抜いていたからか、反発力で俺の身体は少し前につんのめった。


「失礼いたしまし、た……!?」

「ちゃんと前見ろよ、清掃員」


 それは黒いカソックコートを着た、中肉中背の男だ。きっと聖協会関係者だろう。付近を歩いていた若いサラリーマンが、硬直してお辞儀を繰り返す。

 だが、それよりも注目すべきはその顔だ。頭陀袋に覆われてかろうじて眼が見える程度ではあるが、その表情は残忍な嗜虐心に満ちているかのようだ。


「お前、知ってるぞ。最近入った奴だろ? この会社のルール、教えてやるよ。『社敵は社会の敵だ』 ……」


 男は俺の社員カードを確認し、端末で番号を照会する。すわ偽証に気付かれたか、と身を固める俺に、男はニヤニヤと笑いながら俺の襟首を掴む。


「なんで同じIDが2個あるんだよ、スパイ野郎」

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