第35話

「さあ諸君! 今日は私の奢りで、存分にアトラクションを楽しむが良い!」


 西園が腕を広げて言う。

 二年になっても西園はやっぱり西園で、去年と全く変わっていなかった。


 勉強を教えたお礼のことなんて完全に忘れていると思っていたけれど、意外とそこはちゃんと覚えていたらしい。


 西園は今日、遊園地のチケットを人数分奢るという、かなり太っ腹なことをしていた。メンバーは私、春原、佐藤、西園の四人である。


「あ、でも、お金使いすぎちゃったから食事は奢ってくれると嬉しいな……」


 西園は微妙にげっそりした顔で言う。

 今日のためにバイトを頑張ってきたらしいから、なんとも言えない。

 私は苦笑した。


「いいよ。私が皆に奢ってあげる」

「わーい! さすが蜜柑! おかん!」

「こんな大きい子供を産んだ覚えはありません」

「認知して!」


 くだらないことを言い合いながら、私たちは園内を歩き回る。

 私はちらと後ろに目をやった。佐藤と春原は、特にいつもと変わった様子もなく、二人で話している。何を話しているかも気になるけれど、それ以上に春原のことが気になる。


 事故を目撃した、あの日。

 私は何かを忘れていることに気がついた。


 だけどそれがなんなのかはわからなかった。春原に関係するものだということはわかるのだが、思い出そうとしても思い出せない。


 春原に聞いても、微妙な返事をするだけで何も教えてくれないし。

 思わずため息をつく。


「蜜柑、どしたん?」

「……なんでもない。最初は何乗るの?」

「んー……まあとりあえずジェットコースターでしょ!」


 西園はにこりと笑って、私を急かしてくる。

 思えば遊園地に来るのって、初めてかも。


 自分の翼で空を飛べる私が、ジェットコースターを楽しんだり怖がったりできるとは思えないけれど。

 私はふっと息を吐いた。





「にゃああああああぁ!」

「あはは、楽しいー!」


 死ぬ。

 人間の体に許された角度じゃない急角度で下がったり上がったりするジェットコースターは、アトラクションというより一種の拷問だと思う。


 西園は楽しそうに笑っているけれど、私はそれどころじゃない。

 人々はどうしてこんな狂気の乗り物で楽しむことができるのだろう。


 私は園内のベンチに座ろうとした。その時、誰かに腕を引っ張られて、柔らかなものが頭に触れる。

 少し遅れて、春原に膝枕をされたのだと気がついた。


「顔色悪いよ、蜜柑。ちょっと休んだら?」

「……うん。膝、借りるね」

「どうぞどうぞ。……二人ともー! 蜜柑が死んだから休ませるねー!」

「ういういー」


 佐藤も西園も、元気だ。二人とも強靭な三半規管をお持ちのようで。

 私は苦笑しながら、回復に努めた。


 そうしていると、春原が私の髪を指で梳かしてくる。辺りの喧騒が遠くなって、その分だけ春原のことを強く感じられるようになっていく。


「蜜柑の髪、サラサラだ」


 静かな声。

 遊園地という場には、ふさわしくないくらい。私は仰向けになって、彼女に笑いかけた。


「もっと触っていいよ」

「そう? じゃあ、こういうのもいい?」


 私の髪を一房手にとって、そのまま彼女は口づけをしてくる。

 変なところ恥ずかしがるのに、こういうのは恥ずかしがらないんだよな、と思う。


 そこが春原らしいというか、なんというか。決して嫌じゃない。むしろ、好きな方だと思う。


「いいって言う前にやってるじゃん」

「蜜柑なら、いいって言ってくれるから」

「じゃあ駄目」

「もうしちゃったから、駄目は駄目」

「めちゃくちゃじゃん」


 くすくすと、二人で笑い合う。

 しばらく私たちは無言で見つめあっていたけれど、やがて、春原が先に口を開いた。


「蜜柑、好きだよ」

「……うん。私も好き」


 何度春原と、好きと言い合っただろう。

 数なんて数えきれないくらい言い合っているのに、その度に私は新鮮に嬉しくなって、彼女を愛おしく思う。


 春原も同じだといいけれど。

 あの日から春原は、どこか寂しげな表情を浮かべることが多くなった。春原には笑顔でいてほしいけれど、今の私にできることは何もなくて。


 やっぱり、忘れている何かを取り戻さない限りはこのままなのかな、と思う。


 私はそっと、彼女の指先に触れた。

 そして、一本一本指を絡ませて、そのまま目を瞑る。


「……二人が来るまでだから」


 まだ何も言われていないのに、言い訳のように呟く。

 春原は、くすくす笑った。


「二人が来ても、このままで私はいいよ」

「それは恥ずかしいから無理」

「ほんと、蜜柑って変なとこ恥ずかしがりだよね」

「それ、春原もだからね」


 私たちはそうして、しばらくの間静かに指を絡ませ合っていた。

 佐藤たちが帰ってきたのは、それから三十分ほど経ってからだった。





 結局私たちは、日が傾くまでずっとアトラクションに乗り続けることとなった。昼ごはんの時だけは休めたけれど、それ以外はノンストップである。


 地面に足がついた感じがしなくて、ふわふわする。

 アトラクションの遠心力で、魂がどこかに吹っ飛んでしまったのではないか、と思う。


「よし。帰る前に、最後にあれに乗ろう」


 そう言って、西園は観覧車を指差した。


「遊園地、夕暮れ、帰る前と来たら観覧車しかないよね!」

「そ、そうかなぁ……」

「じゃ、とりあえず皆で——」

「二対二に別れませんか?」


 佐藤が思いがけないことを言う。西園は意外そうな顔で、佐藤を見た。


「なんで?」

「せっかくならそうした方が、いい雰囲気になると思うんです」

「……確かに! 観覧車といえば二人っきりで乗るものだよねぇ。ペアはどうするかー」

「蜜柑ちゃんは貰いますっ!」


 佐藤は有無を言わさず、私の手を引っ張ってくる。いつになく強引だ。普段はもう少し、控えめな気がするけれど。

 私は目を丸くした。


「ちょっ……佐藤?」

「あ、じゃあ私春原さんもーらいっ! いい機会だし、もっと仲良くなろーね!」

「そ、そうだね……?」


 不意に、春原と視線がぶつかる。私たちはさっきとはまた違った意味で笑い合うことになった。


 なんとも奇妙な流れに、私たちは苦笑しかできずにいた。

 そして、そうしているうちに私たちはそれぞれ佐藤と西園に引っ張られて、観覧車に乗ることになった。


「わー! すごいですね! 自分で空を飛んでると、あんまり景色を楽しむ余裕がないので、新鮮です!」


 子供のようにはしゃぎながら、佐藤は街を見下ろす。

 確かに、その通りかも。


 私も彼女の隣に座って景色を眺める。沈んでいく太陽と、それに照らされた街が眩しい。豆みたいな家の一つ一つに家庭があって、それぞれの毎日がある。


 そう思うと愛おしくて、思わず笑顔になる。隣の佐藤を見ると、彼女もまた、楽しそうにしていた。


「……ねえ、佐藤」

「なんですか?」

「佐藤って、春原と結託してるでしょ」

「な、なんのことでしょうか」


 佐藤は露骨に目を逸らす。

 わかりやすいにも程があるでしょ。

 私は苦笑した。


「誤魔化さなくていいよ。別に、責めてるわけじゃないから。……春原もだけどさ、私のこと、どこまで知ってるの?」


 佐藤は、私の方を向く。

 青い瞳に、気遣わしげな色が見える。

 その色を見て、佐藤が私のことを何か知っているのだとわかった。


「……私、多分何か大事なことを忘れてるんだと思う。それは多分、春原のことで」

「……蜜柑ちゃん」


 佐藤は私が恋を嫌っていたことを知っている。

 咲良とのことは話していないが、私に何があったのか、推察することはできるのだろう。だから佐藤は、私に気を遣ってくれている。


「知ってること、教えてよ。それがどんなものでも、私は受け入れる」


 青色の瞳が揺れる。

 私は、もっと春原に向き合わないといけない。彼女が抱えているものや、私が忘れているもの。その全てに真正面から向き合わないと、きっとどうにもならないから。

 私の気持ちが伝わったのか、佐藤は重々しげに口を開いた。

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