恋心をたべるあくま②
「蒔月、もう泣かないで」
「だって、だってぇ……」
蜜柑と出会ってから二年以上が経ち。六年生になる前に、私は転校することになった。
ずっと一緒にいられる、なんて。そんなことは思っていなかった。いつか離れ離れになる日が来るって、わかってはいた。それでも、実際にその日が来ると、平静ではいられなくなる。
蜜柑は泣きじゃくる私に言った。
「……蒔月に、私のとっておきの秘密を教えてあげるよ。離れ離れになっても、ずっと親友でいる証に」
「秘密?」
「……うん。絶対に他の人には教えない、私と蒔月だけの秘密」
寂しげに笑う彼女の顔を、今でも私は覚えている。
そして。
その日の放課後、私は蜜柑の家で、信じられないものを見た。それは、翼と尻尾、そして角を生やした蜜柑の姿。
「私、実は悪魔なんだ」
確かにそれは、誰にも言えない秘密だろう。悪魔が実在すると世間に知られたらどうなるかなんて、想像に難くない。
それでも蜜柑は、私にその秘密を教えてくれた。
そのおかげで私は、自分が蜜柑の一番の親友なんだって、再認識することができた。
蜜柑は私に、自分の種族のことを色々話してくれた。恋心を食べて生きる悪魔だということ。恋が見えること。使える力のこと。自分と一番相性がいい人の恋を食べることで、他の人の恋も食べられるようになるということ。
……そして。一番相性の良い人が、私だということ。
「じゃあ、蜜柑は私の恋を食べるために、私と仲良くなろうとしたの?」
本当は、わかっていた。蜜柑がそんな人じゃないってことくらい。
でも、転校する悲しみと不安で、私は蜜柑からの言葉が聞きたくなった。蜜柑から、私への好意を口にしてほしい。
その一心で、私は聞くまでもないことをわざわざ聞いた。
「違うよ。最初から、一番相性がいい人だってわかってはいたけど。……私が蒔月と友達になったのは、笑ってほしかったから」
「……え?」
「蒔月、いつも悲しそうだったからさ。笑顔になったらきっと、もっともっと可愛いんだろうなって思って」
「蜜柑……」
「私、蒔月の笑顔が好き。蒔月には泣いてほしくないよ」
蜜柑の言葉を聞いて、やっぱり好きなんだって再認識した。
好きだ。誰よりも、蜜柑が好き。蜜柑と離れ離れになると思うだけで、どうにかなってしまいそうなくらいに。
「蜜柑は、大丈夫なの? 私の恋を食べないと、他の人の恋も食べられないんだよね? 恋を食べられないと、寿命とか……」
「大丈夫。力を使ったら寿命も減っちゃうけど、普通に生きる分にはね」
「そっか……」
私はそこで、ふと気がついた。
「……待って。蜜柑は私の恋が見えるんだよね?」
「うん」
「ってことは、私が蜜柑のこと、好きだってことも……?」
「……知ってたよ。ずっと前から」
「ずっ……!?」
ずっと前って、いつから?
顔がひどく熱くなる。
好きだってことがバレている状態で、ずっと私は蜜柑と一緒にいたのか。いや、恥ずかしすぎる。
好きだってバレないように普通の友達の顔をして接していたのに、馬鹿みたいじゃないか。
恋が見えるのは蜜柑のせいじゃないから、仕方ないんだろうけど、でも。
「……ごめんね。でも、嬉しかった。蒔月も私のこと、好きだってわかって」
「それって……?」
「私も蒔月のこと、好き」
「……! ほんと!?」
「嘘つかないよ。蒔月には、絶対」
蜜柑から好きと言ってもらえて、幸せだった。でも、幸せな気分になればなるほど、もうすぐお別れだという事実が重くのしかかる。
だけど、それでも。
「転校したら、毎日電話していい?」
「うん、いいよ」
「じゃあ、毎日絶対する。……離れ離れになっても、私のこと好き?」
「好きだよ。変わらない」
「……約束だからね?」
「……うん」
私たちは小指を絡ませて、お互いにずっと好きでいるという約束をした。それだけで、もう何も怖いことなんてないって気になった。
だけどそんな気持ちは、すぐになくなることになる。
蜜柑との別れが迫って、私は彼女と毎日遊ぶようになった。
離れ離れになっても忘れられないくらい、たくさん思い出を作りたい。それは、私も蜜柑も同じだったと思う。
その日も私は蜜柑の家に遊びに行こうとして、その途中で蜜柑の姿を見つけた。
「蜜柑!」
「蒔月? 待って! 信号が——」
横断歩道の向こう側にいる蜜柑に気を取られて、私は信号が赤であることに気が付かなかった。
気づいたのは、走り出した後。
トラックが私のすぐ近くに迫って、甲高いクラクションの音が耳にべったりと張り付いた。
次の瞬間、何かが割れるような音が辺りに響く。
いつの間にか閉じていた目を開けると、目の前に蜜柑の姿があった。
龍のような翼と尻尾。赤く染まる腕。蜜柑は青い顔をしていて、それでも私を安心させるように笑った。
「蒔月、怪我はない?」
「あ、う……」
力を使ったら寿命も減ってしまう。
彼女の言葉を思い出して、私は何も言えなくなる。私のせいで、彼女に力を使わせてしまった。
私が何も言えないでいると、蜜柑は頭を撫でてきた。
「そんな顔しないでも大丈夫。私、強いから」
「ごめん、なさい」
「大丈夫。大丈夫だから……」
私は堰を切ったように、何度も謝罪の言葉を口にした。私の不注意のせいで、蜜柑に力を使わせてしまった。
私のせいで。
それなのに蜜柑は私を一切責めることなく、落ち着くまでずっと抱きしめてくれた。
蜜柑が倒れたことを知ったのは、その一週間後。私は急いで蜜柑の家に向かって、彼女の姿を目の当たりにすることになった。
「蜜柑!」
蜜柑は前よりずっと痩せ細っていて、今にも消えてしまいそうなくらいだった。
それが私のせいだってことくらい、わかっている。
だから私は、彼女に言った。
「私の恋を、食べて。そうすれば蜜柑は死なないんだよね?」
「大丈夫——」
「何も大丈夫じゃないよ! 蜜柑が私のせいで死んじゃうなんてやだ! お願いだから、私の恋を食べてよ!」
「蒔月……」
彼女はひどく悲しげな表情で私を見ていた。
恋を食べたくないというのは、痛いほど伝わってきた。彼女曰く、一度恋を食べられたら、その人は同じ相手に恋をできなくなるらしい。つまり、私はもう、蜜柑に恋をすることができなくなる。
恋は、楽しかった。ドキドキして、ワクワクして、胸が温かくなって。
でもそれは、蜜柑の命に勝るものではない。だから私は、蜜柑に無理矢理自分の恋を食べさせた。
その時の蜜柑の苦しそうな顔を、私は一生忘れないと思う。
それから私は、蜜柑と会わないまま引っ越すことになった。
蜜柑は私に何度も会いにきてくれたけれど、合わす顔がなかった。私のせいで傷つけて、食べたくないのに恋を食べさせて。
だから私は、逃げた。
毎日電話をかけると言ったのに、一度も電話をかけず、そのまま忙しい生活に身を投じて、全部忘れようとした。
自分でも最低だって、わかっている。それでも私は、耐えられなかった。いっそ責めてくれたら、と思ったこともあるけれど、そんな蜜柑は蜜柑じゃない。
そして、それから三年の月日が経ち、私は再び転校をすることになった。
高校一年生になり、蜜柑との日々が遠く感じられるようになっていき。
入学式が終わり、私は学校の敷地内に咲いた桜をぼんやりと眺めた。
花を見ていると、蜜柑を思い出す。彼女はいつの間にか、花が好きになっていた。きっと、それは私の影響で。
風が吹いて、春の匂いがした。
ざわめく草木の音に混じって、懐かしい匂いが風に運ばれてくる。
それが何の匂いだったか思い出せないまま、踵を返して下校しようとした時。
「あなたも新入生?」
変わったけれど、変わっていない声がした。
太陽よりも眩しい金色の髪。りんごみたいに赤い、綺麗な瞳。春風みたいに柔らかな表情に、少し伸びた身長。
一目でわかる。目の前にいるのが、私の誰よりも好きだった人、高橋蜜柑だと。
「蜜柑。あの、私……」
私が自分でもわからない、何かを言いかけていると。
蜜柑は、首を傾げた。
「あれ? 私の名前、知ってるんだ。……ごめん、どこかで会ったことあるっけ?」
罰なのかもしれない、と思った。
蜜柑を傷つけた挙句、約束を果たさずに逃げた私への。
久しぶりに再会した蜜柑は、私のことを完全に忘れていた。
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