恋心をたべるあくま①
石を高く積んで、崩されて、また積んで。その繰り返しが、私の人生だった。
最初は無邪気に色んな子と仲良くしていた。でも、転校を何度も繰り返すうちに、すっかり誰かと仲良くする気力がなくなって、小学三年生になる頃には、私は冷めた子供になっていた。
どうせ離れ離れになるのなら、誰と仲良くしたって無駄だ。
私はそう思いながら、友達も作らず一人で過ごしていた。
あの日もそうだった。校庭で遊ぶ皆を教室から眺めながら、どうでもいいと自分に言い聞かせて本を読もうとして。
「ばあっ!」
「……ひっ!?」
窓から人の顔が迫ってきて、私は飛び跳ねた。
私を盛大に驚かせた人物は、けらけら笑いながら窓を開けて、教室に入ってくる。
太陽に照らされた金色の髪が、風に流される。
「ひっ! だって! あはは! 驚いた? 驚いた?」
「……高橋さん。悪戯はやめてっていつも言ってるでしょ」
「悪戯じゃないよ? 仲良くなるためのおまじない!」
「そのおまじない、心臓に悪すぎるんだけど」
学期の始まりに転校してきてから、早一ヶ月。私はクラスメイトの一人に目をつけられていた。
高橋蜜柑。
いつもクラスの中心にいるこの女の子は、一体何が楽しいのか、ことあるごとに私にちょっかいをかけてきていた。
今日みたいに窓から私を脅かしてきたり、大きいカマキリを捕まえたとか言って見せてきたり。
私が仲良くする気はないから構わないでと言っても全く無駄。この子の空気の読めなさというか、強引さは異常だ。
「いつも言ってるけど、私は高橋さんとも、他の子とも仲良くする気はないの!」
「私はあるよ?」
「……そういうの、迷惑だから。もう私に構わないで」
「蒔月……」
仲良くしたって、無意味だ。どうせ離れ離れになるのだから。
友達の数が多くなればなるほど、心に刻まれる傷の数も多くなる。それなら誰とも仲良くせず、一人でいた方がいい。
誰のことも好きにならなければ。何にも興味を示さなければ。辛いことなんて一つもないのだから。
「蒔月蒔月! おやつの交換しよ!」
遠足の時も、高橋さんは私につきまとってきた。友達なんて他にいくらでもいるだろうに、どうして私に声をかけてくるのか。
輪に入れようという親切心なのか、私が救ってやろうという傲慢な心なのか。
わからないけれど、鬱陶しかった。私のことなんて何も知らないくせに、土足で踏み入らないでほしい。
「……高橋さんがお菓子全部くれるなら、ちょっとは話してもいいよ」
私がそう言うと、高橋さんは目を丸くした。
嫌な子だって思われても構わない。というか、そう思われた方がいい。付き纏われるよりは、マシだ。
「いいよ! いっぱい食べてね!」
高橋さんは全く気にした様子もなく、いつものように屈託のない笑みを浮かべていた。
ずき、と胸が痛む。
悪いことをしている自覚はある。あるけれど、私はもう、誰とも仲良くしたくない。
そう思っていると、高橋さんはリュックをひっくり返した。
どさどさどさ。
リュックから滝のようにお菓子が流れ落ちる。レジャーシートの上に山のようになったお菓子を、彼女は私の方に寄せてきた。
「はい、どーぞ!」
「な、なんでこんなにたくさん……?」
「うん? 皆に配ろうと思って持ってきたんだ!」
「なんでそんなこと……」
人気取りのためなのか、なんなのか。それにしたってこの量は異常だ。
「……? だって、美味しいもの皆で食べて楽しく遊べたら、幸せでしょ?」
「……」
無邪気な笑みを浮かべる彼女を見て、わかった。
高橋さんは、どうしようもなくまっすぐで、善人なのだ。ちょっと押しが強いところはあるけれど。
「それにしても、蒔月は食いしん坊だねー。これ全部食べるんでしょ?」
「え」
「お菓子は美味しいもんねー。わかるよー」
「あ、あの……」
「どれから食べる? 食べさせてあげる!」
「あのあの……」
私はその日、お腹がいっぱいになるまでお菓子を詰め込まれることになった。
人に意地悪するのはやめましょう。
その言葉の意味を、私は身をもって味わうことになった。
それから、私は少しずつ高橋さんと話をするようになった。仲良くするつもりなんてなかったのに、いつの間にか私は彼女に心を許し始めていた。
彼女といると、どうしてか胸が温かくなる。荒んでいた心が穏やかになって、温かい毛布にくるまっているような心地になる。
それがどうしてかは、その時の私にはわからなかった。
「上がって上がって! 今お茶とか入れるから!」
「お、お邪魔します」
その日、私は彼女の家に遊びに来た。
彼女の家は十階建てのマンションの最上階で、部屋の中はかなり広かった。でも、私が驚いたのはそのことだけじゃなくて。
あまりにも、部屋が殺風景だったからだ。
昔の友達の家に遊びに行った時は、写真や幼稚園の頃の絵が飾ってあったり、その家の人々の歴史が感じられた。
でも、この家にはそれがない。
必要な家具以外、何も置かれていない。
高橋さんは両親に愛されてのびのび育った子供だと思っていたから、部屋がイメージと違いすぎて、私は驚愕した。
「あの、今日、お家の人は?」
「うん? いないよ? ここにはずっと、私一人」
こともなげに、彼女は言う。
ずっと、一人って。
小学生なのに一人で暮らすなんて、ありえるの?
冗談って雰囲気でもないから、それ以上何も聞くことができなくて、私は彼女に促されるままに椅子に座った。
私にも過去があるように、高橋さんにも過去があって、その積み重ねの上に今の高橋さんがいるのだ。
私はそのまま高橋さんと話をして、ゲームで遊んで、帰りには一階まで送ってもらった。
あとは家に帰るだけ。
それだけなのに、私は何かを言わなきゃいけない気がして、彼女の方を見た。
「高橋さんは、一人で寂しくないの?」
「……寂しいって?」
「一人は、寂しいものでしょ?」
高橋さんは、本気で理解できない、という様子で首を傾げる。
私は愕然とした。私にとって、家に一人でいることは寂しいことで、他の人もそうだと思っていたから。
高橋さんは強い人なのかもしれない、と思う。
だからってわけではないけれど。私は高橋さんのことが気になって、もっと知りたくなった。
「……あ、あの! また、遊びに来てもいい?」
「うん。いつでも来ていいよ! 次は蒔月の好きなもの用意するね!」
「私の、好きなもの……」
「そ。なんでもいいよ! 教えて?」
「わ、わかんない……」
私が言うと、高橋さんは笑った。
その笑みは、まるで、お母さんみたいで。
私は心臓を、ぎゅっと掴まれたような気がした。
「そっか。……じゃあ、一緒に探そう? きっと見つかるよ」
「……うん」
私はそうして、彼女と一緒に好きなものを探し始めた。
何かを好きになっても辛いだけ。ずっとそう思ってきたから、好きなものは結局見つからなかったけれど。
高橋さん——蜜柑と過ごす毎日は楽しかった。二人で色んな場所に遊びに行って、時に蜜柑の家にお泊まりもして、お揃いのものを買ったりもして。
あまりにも殺風景な部屋をどうにかするために、休みの日に両親と一緒に観葉植物を買って、プレゼントしたりもした。
大事に育てると彼女が言ってくれただけで、どうしようもなく幸せだった。
そうして過ごす内に、私は彼女のことが好きなのだと気がついた。
手を繋いだり、くだらない話をしたりするだけで幸せで、楽しくて。
いつまでもこうして、二人きりでいられたらいいな。
そう思っていた時だった。
また、転校することになったのは。
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