第27話

「ありがとうございます、先輩。おかげでちょっと気持ちが楽になりました」

「うん。また何か困ったら、いつでも来ていいからね」

「はい! 失礼します!」


 後輩の子が、元気よく部室を後にする。

 私はパイプ椅子に深く腰をかけた。私たちは学年が一個上がるだけだから、そこまで生活が激変するわけではないけれど。一年の子たちは中学生から高校生になったわけだから、かなりの変化だろう。


 そのせいか、最近私に相談しに来る子が多い。

 放課後だけだった恋愛相談を昼休みにもすることになり、最近では恋愛だけでなく生活の相談にも乗るようになり。

 近頃あんまり春原と遊びに行けてないな、と思う。


「あの、蜜柑ちゃん」

「佐藤? いつの間に……」

「ノックしたんですけど、返事がなかったので、入ってきちゃいました」

「そっか。ごめん、気づかなくて。適当なとこ座って」


 いつの間にか部室に入ってきていた佐藤が、私の隣に座る。


「何か相談事?」

「いえ。最近一緒にお昼食べられてないので、寂しくて来ました!」

「あはは、そっか」


 佐藤は堂々と胸を張る。

 ここまで直球で気持ちを伝えられて、悪い気はしない。私とは違って、佐藤はいつでも自分の気持ちに正直だと思う。

 私は思わず笑った。


「じゃあ、何かパンでも買ってくるわ」

「大丈夫です。今日は私がお弁当を作って来ました!」

「え、佐藤が?」

「はい!」


 料理をするイメージはなかったけれど、自信がありそうなところを見るに、意外と料理上手だったり?


 首を傾げている間に、佐藤は弁当箱を二つ机に並べた。

 思えば、私は自分以外の恋魔のことをほとんど知らないが、他の恋魔は普通に食事をとっているのだろうか。


 睡眠も食事もほとんどとらない恋魔の方が、もしかしたら珍しいのかもしれない。

 私は差し出された弁当を受け取りながら、ぼんやり考えた。


「……あ、美味しい」

「よかった! 練習中なんです!」

「そうなんだ。やっぱり、恋人に作ってあげるの?」

「はい! 最近大学が忙しくて、偏った食事をとってるみたいで……」

「そっか。……支えてあげられるといいね」

「頑張ります!」


 栄養バランスと彩りがしっかり考えられているらしい弁当は、お手本のようだった。味もなんというか、佐藤らしくて美味しいと思う。弁当だから冷めているけれど、温かい感じがする。


「……蜜柑ちゃんは、大丈夫ですか?」


 突然の問いに、首を傾げる。


「え、なんで?」

「最近、前よりずっと忙しそうにしてるじゃないですか。自分の時間、削りすぎてませんか?」


 確かに、そうかもしれないけれど。

 でも。


「大丈夫だよ。人の助けになるのが、私の趣味だから」

「……春原さん、寂しがってました」

「春原が?」


 ここのところ、春原と電話する頻度は減ってきている。二年になったことで、彼女も何かと忙しいのだろうが、それもあって最近は前より距離が遠くなった気もする。


「はい。蜜柑ちゃんのしてることは、立派だと思います。……でも、やっぱり心配なんです。このままだと、何かが壊れちゃう気がして」

「大袈裟だよ」


 佐藤はじっと、私を見つめてくる。

 私とは違う、青色の瞳。

 そこに不安の色が混ざっているのが認められる。


「……蜜柑ちゃん。蜜柑ちゃんは人を助けるためじゃなくて、幸せになるために生きてるんですよ」

「だから、人を助けるのが私の幸せで……」

「本当に。本当に、そうですか?」


 私は箸を置いた。

 佐藤の瞳は、嘘を許さないと言っている。そんな気がした。私のことを思ってくれるのは、嬉しいけれど。

 でも。


「本当は、もっと別のところに……」

「みーかーんーちゃん! 遊びましょ!」


 凄まじい勢いで、部室の扉が開かれる。

 開け放たれた扉の向こうから姿を現したのは、やはり春原だった。ここに来る人で、こういうことをする人なんて春原くらいだ。


 私は苦笑した。

 だけど、同時に。

 久しぶりに春原と顔を合わせられたことが、少し嬉しい。


「春原、ノックくらいして」

「そんなことしてる暇がないくらい、蜜柑への思いが膨らんじゃって」

「……酔ってる?」

「シラフだよ!?」


 春原はそう言ってから、小さく息を吐いた。


「はぁ。久しぶりの再会なのに、塩対応すぎない?」

「……毎日朝顔合わせてるよね?」

「それはそれ、これはこれ」

「やっぱ酔ってない?」


 彼女はちらと、佐藤の方を見る。佐藤はそっと立ち上がった。


「私、飲み物買って来ますね。……春原さん、ここどうぞ」

「ありがとう、佐藤さん」


 前々から思っていたけれど、やっぱり佐藤と春原は仲がいい気がする。そこに思うところなんて別にないが、意外な組み合わせだと思う。

 いや、思うところなんてほんとにない。ないのだが。


「蜜柑」


 私の隣に座った春原は、そのまま体を近づけてくる。

 さっきまでの声が嘘だったかのように、静かな声。それが鼓膜を震わせるだけで、私は穏やかな心地になる。


「やっと二人きりになれた」


 春原はそう言って、私の手を握ってくる。

 そして、その指が、私の腕を辿っていく。なぞるように、探るように。


 肩まで指が昇ってきて、最後には、ぐっと肩を引っ張られる。私はそのまま、春原の胸に飛び込むことになった。


「春原、苦しいよ」

「……知らない。最近こういうこと、できなかったから。今までの分、取り戻さないと」


 彼女はそのまま、私の頭を撫でてくる。

 私は目を瞑った。春休みが終わってから今までの、約一ヶ月半。春原と触れ合うことはほとんどなかった。


 それを寂しいとは思っていなかったはずだが、こうして触れ合って気がついた。


 私は自分が思っている以上に、春原との触れ合いを心地いいと感じているし、必要としている。

 そっと、彼女の背中に手を回した。


「蜜柑。蜜柑蜜柑、蜜柑」

「……うん」

「私の名前も、呼んで」

「春原」

「違うよ。私は、蒔月。ちゃんと呼んでくれないと、駄目」

「……蒔月」

「足りないよ。もっと」

「蒔月。蒔月、蒔月」

「百回は呼んでくれないと、遅れが取り戻せないよ」


 目を開けると、視線がぶつかる。

 そこで思い出すのは、春休みに私からキスをした記憶。あの時とは状況が違うけれど、目が合うと、彼女の唇が気になってしまう。


 まだ、あの時のリップは使い切っていないのだろうか。

 柔らかそうな唇が目に入って、次の瞬間、私に近づいてくる。


 私は思わずぎゅっと目を瞑りそうになったが、不意に背後から気配を感じた。


「……佐藤?」

「あ」


 振り向くと、小さく開いた扉から私たちを見ている佐藤の姿があった。

 一体何をしているのか。


「す、すみません。つい……」

「いや、いいけど。別に、変なことしようとしてたわけじゃないし」

「私はしようとしてたよ?」


 春原が言う。

 ちょっと?

 今は余計なことを言わないでいただきたいのですが。


「ちょ……」

「なんなら佐藤さんも見てく?」

「は、はわ……」


 佐藤は顔を真っ赤にしている。

 初心な佐藤に変なことを言うのはやめなさい。

 そう言おうと、春原の方を見る。


 その寂しげな表情を見て、私は何も言えなくなった。寂しいなんて、今まで春原は一度も言わなかった。だけど、言わないだけで、想像以上に寂しい思いをしていたのかもしれない。佐藤も寂しがっていたと言っていたし。

 いや、でも、だからって。


「しないし、させないから。ほら、そこ佐藤の席だから退いて」

「えー。椅子取りゲームで考えるなら、ここは私の席ってことになるけど」

「椅子取りゲームじゃないから、春原の席じゃないよ」

「しょうがないなぁ」


 春原は文句を言いながら、私の対面の席に移動していく。

 本当は、ずっと隣にいてくれたらよかったんだけど。もしかしたら私の方が、抑えられなくなっていたかもしれないから。

 なんて思うのは、大分、いやかなりどうかしていると思うけれど。





「蜜柑、帰ろ」


 今日の授業が全部終わり、私たちは二人で帰ることになった。

 これ以上春原に寂しい思いをさせるのも、佐藤に心配をかけるのもどうかと思ったから、今日の放課後は活動をやめておくことにしたのだ。


「うん。帰ろっか」


 私は春原と肩を並べて、教室を後にする。

 久しぶりだからか、春原は私の手を握ってはこなかった。自分から握るには勇気が足りない私は、肩が触れ合うぎりぎりの距離で彼女と歩くだけにとどめる。


 以前は彼女に触れたって、何も思わなかったのに。

 今は、彼女と触れ合うのは幸せで、怖い。


「ねえ。今日は、久しぶりに……」

「……あれ?」


 廊下を歩いていると、一年の子が目に入る。

 最近よく相談をしに来る子だ。見るからに困った顔をして、何かを探している様子だ。


「どうしたの?」


 私は駆け寄って、後輩の子に声をかけた。


「落とし物、しちゃって」

「何を落としたの?」

「ストラップなんですけど、すごく大事なもので。付き合って一年の記念にもらって。だから、見つからないと……!」


 かなりの錯乱状態にあるらしく、彼女は声が震えている。私のその肩に手を置いた。


「わかった。私も探すよ。絶対見つけるから、安心して」

「先輩……」

「……私も手伝うよ」


 春原は、静かに言う。


「いいの?」

「ほっとけないから。いつ落としたとかはわかる?」

「えっと……」


 プレゼントされたものは、大切だ。

 私はこの数ヶ月で、それを痛いほど学んだ。私がプレゼントしたリップを大事にしてくれた春原を見て、私自身も彼女に手袋をプレゼントしてもらって。


 それがなくなったら、きっと心が裂けてしまうくらいに悲しくなるものだ。

 だから、なんとしてでも見つけ出さないと、と思う。

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