第25話
春休みは部の活動もかなり活発になる。ボランティア部では長期休みには遠征してボランティアをしたり、地域の施設の手伝いをしたりするのだ。
部員はそこまで多い方ではないけれど、皆部活動には真剣だ。やる気がないのにわざわざボランティア部に入る人なんていないとは思うが。
今日も私は部活動を終えて、家に帰ってきてからずっと机に向かっていた。
もうすぐ二年生だから、予習はしておかなければならない。西園や他の友達に、勉強を教えるためにも。
ちなみに西園は期末テストでは過去最高の点数を取れたとかで、今度お礼をしてくれるらしい。
……西園のお礼。
すっごい嫌な予感するけど。
ノートにシャーペンを走らせていると、スマホが震えた。
「今日はちょっと遅かったね、春原」
『さっきまでちょっと寝ちゃってて』
「ベッドでゴロゴロしてたんでしょ。駄目だよ、あんまりベッドにいたら」
『蜜柑、口うるさいお母さんみたい』
スマホ越しに、彼女の声が聞こえてくる。
春休みに入ってから、春原は毎日私に電話をかけてくるようになった。そのおかげか、私はスマホ越しでも、春原の声にこもった感情を聞き分けることができるようになった。
そして、彼女の生活習慣についても、前より詳しくなったと思う。
『明日のこと、ちゃんと覚えてるよね?』
「うん。水族館デートでしょ? ちゃんと覚えてるよ」
『ならよし。……楽しみだね』
「そうだね。私、動物園より水族館の方が好き。静かだしね」
『ふふ、だよね。水族館にしてよかったよ』
春原は声を弾ませている。
楽しそうで何よりだと思いながら、私はそっとシャーペンを置いた。
しばらく、いつものように雑談を続ける。毎日こうして話していても、話題が尽きることがないのは、不思議だと思う。相手が春原だからなのか、あるいは、私たちだからなのか。
わからないけれど、こういう軽やかな会話が、私は結構好きだ。
『……ねえ』
会話が一度止まったタイミングで、春原は少し声のトーンを変えて言う。
彼女がこういう声を出すのは、私に何か、お願いしたいことがあるときだ。
『今日は蜜柑が寝るまで、通話繋げててもいい?』
思わぬ言葉に、私は目を丸くした。
春原は、続ける。
『いつも私が先に寝て終わっちゃうじゃん? だから、たまには蜜柑に先に寝てほしいなー、なんて……』
彼女の声は、段々と小さくなっていく。
寝るという行為を、私はすっかり忘れていた。もうかれこれ二年は眠っていないだろうから、睡眠というものがどういうものなのかも思い出せそうになかった。
だけど、春原がそれを望むのなら。
私は久しぶりに、ベッドに横になった。
「……いいよ。でも、眠れるように何か話して」
『うん。今日あったことなんだけどね……』
春原はいつも、楽しそうに話をする。
だから私も楽しい気持ちになって、でも、同時に安堵のような心地もする。その二つの感覚が交互にやってくるのがいつも不思議だった。
目を瞑って話していると、隣に春原がいるような気がしてくる。
物理的には離れているのに、前に一緒に寝た時より近くに彼女を感じた。
それは、彼女のことを前よりも、掴めてきたおかげなのかもしれない。
「……春原」
『うん、なあに?』
「春原の声聞いてると、眠くなる」
『それ、褒めてるの?』
「多分ね。……おやすみ」
『……おやすみ、蜜柑。また、明日ね』
「ん……」
人の声を聞いて眠くなるなんて、初めてだ。でもその初めては、嫌じゃないと思う。私はそのまま、意識を手放した。
明くる日。
朝日と共に、私は目覚めた。頭がまだぼんやりとしていて、思わずあくびをしてしまう。懐かしい感覚だ。
「ふわ……」
ひどく眠いのは、布団があまりにもあったかいせいかもしれない。
最近はちょっとずつ暖かくなってきたとはいえ、朝は寒いのだが。今日はいつもより暖かい日なのかもしれない。
絶好のデート日和というやつなのかも……。
そこまで考えて、私は布団の中で何かが蠢いているのを感じた。
「……?」
野生動物?
いやいや、ここはマンションの十階だ。動物が入ってこられるような階ではないし、それに、鍵だって閉めている。
だったら、一体。
私は恐る恐る、布団を捲った。
「……え。春原?」
なぜか、私の布団の中には猫のように丸まった春原の姿があった。
幻覚かと思って彼女の頬を突いてみるけれど、確かに温かい。
え、いや、どういうこと?
もしかして眠っている間にもう一人の私が目覚めて、春原のことを攫ってきてしまったのか。いやいやいや、そんなわけ。
でも、いや、とりあえず。
私はそっとスマホを手に取って、彼女の寝顔を写真に収めた。
……確かにこれは、癖になるかもしれない。寝顔なんて滅多に見られるものではないし。
しかし、思わず撮ってしまったが、許可なくこんな写真を保存するというのは気が引ける。
私は少し迷ってから、彼女の写真を消そうとした。
「蜜柑、おはよう」
唐突に声をかけられて、私はびくりと体を跳ねさせた。
スマホをベッドに放る。
「お、おはよう春原!」
「どうしたの? すごい挙動不審だけど」
「何もない! ……ていうか、なんで春原がここにいるの?」
「やっぱり覚えてないんだ。蜜柑が開けてくれたのに」
「え、ほんとに?」
「ほんとほんと。すっごい寝ぼけた感じで家に入れてくれて、そのまま二度寝しちゃったから、私もついつい、ね」
全く覚えていない。もしかすると私はあまり目覚めが良くないのかもしれない。今後眠ることがあったら、注意しないと。
「……ごめん」
「あはは、なんで謝るの? 寝ぼけてる蜜柑、すっごい可愛かったのに」
「あんま嬉しくないけど……。ていうか、春原はなんでうちに? 今日、現地集合だったよね?」
「うん。でも、夜話したせいで、蜜柑に会いたくて仕方なくなっちゃって」
「またそういうことを……」
にこり、と春原は笑う。こういう時の春原の言葉は、やっぱり嘘なんだか本当なんだかわからない。
思わずため息を吐きそうになった時、春原の手が私の頭に伸びてくる。
あっと思った時には、彼女に頭を撫でられていた。
こういうことをされるのなんて、ほとんどないから。私はぎゅっと目を瞑ることしかできなかった。
朝からこんなことをされると、困る。
別に、夜ならいいってわけではないけれど。
「今日の蜜柑は、無防備で可愛い」
彼女は私の耳に唇を寄せて、囁く。
私の弱点が耳だとわかっていながらこういうことをするところは、少し意地悪だと思う。くすぐったくて、恥ずかしくて、腰が逃げる。
薄目を開けると、彼女と目が合った。
「……ふふ。ほんと、可愛い。綿毛みたい」
「……うん?」
「頭、すごいことになってるよ」
……?
私はそっと、自分の頭に手をやった。
髪が凄まじく跳ねている、気がする。
ベッドから飛び起きて、姿見で自分の姿を確認する。確かに彼女の言う通り、私の頭は綿毛かってくらいぼわぼわになっていた。
ちょっと待って?
「さ、先に言ってよ! 髪ぐちゃぐちゃだって! 恥ずかしいじゃん!」
「私は嬉しいよ。蜜柑っていつもしっかりしてるから、こういう姿見るの初めてだし」
「最悪。変態すぎ。写真とか撮ってないよね?」
「撮ってないよ。今後たくさん見ることになるかもだしね」
「もう見せないから」
「あはは。友達相手にそんなに恥ずかしがらなくても」
春原はけらけら笑う。悪戯小僧のような笑みは、ちょっとだけ憎たらしいと思う。
そもそも私と春原は、友達と言えるのだろうか。
いや、それはともかく。
「佐藤とか西園ならいいけど、春原に見せるのは嫌」
「えー、なんで?」
「なんでも!」
顔が熱くなるのがどうしてか、なんて。考えたらドツボにハマりそうだけど、考えずにはいられない。
春原相手にだけ、こんなにも心を乱してしまうのは。
私はちら、と彼女の表情を窺った。
彼女は綺麗な瞳で私のことを見つめている。その瞳の眩しさに、私はいつも踊らされている気がする。思わず視線を上に逸らすと、時計が目に入った。
今の時間は……。
あ。
「春原!」
「え、なになに!?」
「時間! 早く出ないと、予定が!」
春原はスマホを取り出して、時間を確認する。
そして、弾かれたように立ち上がった。
「やば! せっかく色々プラン考えたのに!」
「とりあえず着替えるから、部屋の外で待ってて!」
「あ、うん! 朝ご飯は?」
「時間ないからなしで!」
「わかった!」
昨日の夜から私たちの間に流れていた、静かで穏やかな時間が完全に消え去って、いつもみたいに騒がしくなる。
私たちが穏やかに一日を過ごせる日は、来るのだろうか。
そう思いながら、私は昨日のうちに用意しておいた服に着替え始めた。
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