第23話
「ど、どうかな?」
春原は真剣な目で私を見つめている。
そんな神妙な顔しなくたっていいのに、と思いながら、私は彼女が作ってきたクッキーを齧った。
「……ん、美味しい」
「よかった……」
昼休み。私はボランティア部の部室で、春原と食事をとっていた。
この前約束した通り、春原はお菓子を作って持ってきてくれたのだ。その気持ちだけで嬉しいのだが、彼女の作ってきたお菓子は味も美味しかった。
この前の手作りチョコで、ある程度わかっていたことではあるけれど。
「蜜柑の友達が作ってきたやつより美味しい?」
「優劣はつけられないよ」
「嘘でもいいから私の方が美味しいって言ってよ」
春原は不満げに言う。私は笑った。
「それは駄目」
「……はぁ、残念」
私はクッキーを少しずつ齧っていく。何が面白いのか、春原は私の顔を楽しげに眺めている。
「何?」
「ううん。なんか、私が作ったものを蜜柑が食べてるって、いいなーって思って」
「まあ、わかるけど。あんま見ないで」
「なんで?」
「食べてるとこ見られるの、恥ずかしいし」
「……あはは。意外と蜜柑って、そういうとこ恥ずかしがりだよね」
食べているところを存分に見てください、なんて思う人はそんなにいなさそうだけど。
春原だって、見つめられたら恥ずかしがったりするのに。
「そういえば、どうして蜜柑は手作りのお菓子が好きなの?」
「……気持ちが伝わってくるから」
私が言うと、春原は首を傾げた。
「気持ち?」
「そ。同じレシピで作っても、込められた気持ちによって味が変わる。それが好きなの」
「……今日のクッキーはどんな味がするの?」
「美味しい味」
「いや、そうじゃなくて……」
なんというか、柔らかくて優しい味がする。なんて言うのは少し恥ずかしい気がして、私は煙に巻こうとする。
春原は私の答えが不満だったのか、横から手を伸ばして、クッキーを一枚摘んで自分の口に運んだ。
「うん、愛情の味がする」
「よかったね」
「塩っ! もっと優しくしてよ」
「優しくって言われても、何すればいいの?」
「……膝枕とか?」
春原は適当なことを言う。私が目を丸くしていると、彼女は急にわたわたし始めた。
「あ、あはは。冗談冗談——」
「いいよ」
「へ?」
「それくらいなら、別に。ほら、おいでよ」
私は膝をぽんぽん叩いた。
自分で言ったくせに、春原はどこか恥ずかしそうにしている。別に、しなくていいならそれでいいけれど。私がクッキーをまた食べようとすると、春原は控えめに椅子を寄せて、そのまま私の太ももに頭を乗せてくる。
私はふっと笑った。
「ご感想は?」
「え、あ、い、いいと思います」
「それは何より」
私は春原に膝枕をしながら、クッキーを全て食べ終えた。
今日は春原の作ってきたお菓子を食べる予定があったから、他の食べ物は何も口にしていない。
私は確かな満足感を抱きながら、彼女の頭を撫でた。
今日の彼女は、静かだ。騒がしくても静かでも、嫌ではないからいいけれど。
時計が時を刻む音が、静かに響く。昼休みにここに来る人なんていないから、ひどく静かだ。部室棟は校舎と違ってそこまで人が多くないから、余計に。
「そういえば、恋魔ってどんなことができるの?」
不意に、春原が効いてくる。
私は首を傾げた。
「んー……。空飛んだり、暗示をかけたりとか、色々かな」
「ふーん……。暗示って、催眠術みたいな?」
「そうだけど、なんで?」
「いや、蜜柑ってそういう力で写真消させようとか思わなかったのかなって」
一度だけ、春原を力で怖がらせようとしたことはあるけれど。
そんなことをしなくても、暗示の力を使えば簡単にスマホの写真は消させることができただろう。
しかし。
「私、基本私利私欲のために力は使わないようにしてるから。私の力は人のために使う。そう決めてるの」
私が言うと、春原は笑った。
「……そっか。すごいね、蜜柑は。私だったら私利私欲のために使いまくりだよ」
私だって、一度たりとも自分のために使わなかったことがない、というわけでもない。
しかしこういう力は自分のためだけに使うと際限がないというか、制御が効かなくなるものだ。
悪魔の力を使ってまでしたいことも、特にないし。
「そうだ、蜜柑! 私に暗示かけてみてよ!」
「……。はい?」
春原は飛び起きて、名案かのように意味不明なことを言い始める。
私はちょっと引いた。
「……なんで?」
「どんな感じなのか気になるし、ちょっとだけ! お願い!」
「えー……。暗示って言っても、どんなのかければいいの」
「んー。じゃあ、猫になって、とか?」
「……」
随分と倒錯的ではないか、と思う。春原がやってみたいならいいっちゃいいんだけど、あんまりいい結果にはならないと思う。
恋魔は食べた恋の量が多ければ多いほど力を増す。
私はこれまで食べてきた恋がかなり多い方だから、力も比較的強いのだ。
だから加減を間違えるよ大変なことになるのだが。そもそも、人に暗示をかけることなんてほとんどないし。
でも春原があまりにもキラキラした目で私を見ているから、断るのも悪いかなって気がしてくる。
私は小さく息をついた。
「いいけど、弱めの暗示にするからね。……私の目を見て」
「うんうん」
「……やるから」
私は彼女の目をじっと見つめた。
そして、一度目を閉じて、力を引き出すようにして言葉を紡ぐ。
『猫になって』
もう一度目を開けて、正面にある赤い瞳をまっすぐ見つめる。
……うん?
赤い瞳?
疑問に思った瞬間、鏡を構えている春原の姿が目に入った。
なるほど、なるほど。最初からそのつもりだったのか。目覚めたら絶対に許さないから、覚えておけよ。
春原への恨みで心が満ちたと同時に、私の意識は一度途切れることになった。
全身が妙に痛い気がする。
筋肉痛というか、なんというか。この痛みもすぐに軽減されるだろうが、一体あの後何が起こったのだろう。
私は腰を押さえながら、謎に上機嫌な春原を睨んだ。
「ごめんごめん。まさかほんとにうまくいくとは思わなくて」
軽薄な謝罪。絶対許さない。
そもそもあんな大きい鏡を持っていたってことは、最初から私に暗示をかける気満々だったってことで。春原が楽しければいいなんていうのにも限度がある。今日は絶対に許さないと決めた。
しかし、暗示が自分にも効くとは想定外だった。力の実験なんてしたことがないから気づかなかったが、意外に弱点があるものなのだな、と思う。
もし今後万が一人に暗示をかけるようなことがあるなら、相手が鏡を持っていないか気をつけないと、と思う。
「でも可愛かったよ、蜜柑」
「忘れて」
「え」
「忘れないと、暗示かけるから」
私は春原に迫った。
春原はこくこくと頷く。
「動画とか撮ってないよね?」
「さすがに撮らないよ」
「……なら、いいけど」
思わずため息をつく。
軽めの暗示にしたつもりだったけれど、結局放課後になるまで私は正気に戻れなかった。自分の力の強さに驚くが、それ以上に、春原にかからなくてよかったとも思う。
さすがにこんなくだらないことで、放課後までの時間を潰してしまうのはどうかと思うし。
「……ごめんね。でも、必要なことだったから」
「……? 必要って……」
どういうこと?
そう尋ねようとしたとき、近くで甲高い音が鳴り響いた。思わず音のした方に目を向けると、車がクラクションを鳴らしたのだとわかった。
春原に目を戻そうとするが、それはできなかった。
私の背中に、春原が抱きついてきたせいで。
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