第21話

「えっと、蜜柑?」


 春原は困惑の様相を呈している。

 私は彼女を連れて、商業施設の案内板まで来ていた。各フロアには、頭が痛くなるほど様々な店がある。


 犬耳やらを売っている店に、植物を売っている店、服屋や雑貨屋まで。

 それはもう、どんな趣味を持っている人間でもある程度楽しめるだろうってくらいに。


「まだ、春原の好きなところ行ってないでしょ」

「さっき行ったよ? ほら、耳買ったし……」

「そこは思い出の場所とか言ってたじゃん。ノーカンだから。私は、春原の好きなところに行って、好きなものを知りたいの。……それまで帰らないし帰さないから」

「わがままさんだ」


 彼女はくすりと笑う。

 私だって、割とめちゃくちゃなことを言っているってわかっている。それでも私は、春原のことをもっとよく知りたいのだ。


 それに。

 一人は寂しいと、前に言っていたから。私がそばにいることで寂しさが紛れるのなら、一緒にいたいと思う。


 だからこれは、私のためでもあり、春原のためでもある……はず。

 ちょっとこんがらがってきたけれど。


「じゃあさ。……当ててみてよ」

「は?」

「私の好きな場所とか、好きなもの。蜜柑が当ててみて」

「それ、当てたら何か景品とかもらえる?」

「この世に一つしかない、うんと貴重なものをあげるよ」

「ふーん……? いいよ、当ててあげる」


 春原の好きそうなものといえば、なんだろう。私は少し考えてから、彼女の服の裾を掴んだ。


「手、繋がないの?」


 春原は静かに聞いてくる。

 私は少し迷ってから、彼女の手に触れた。彼女はそっと、私の手を握ってくる。感触だけでない、優しい柔らかさが、私は嫌いじゃなかった。


 でも、いいのかな、と思う。

 春原のことを嫌いじゃなくなっていくにつれて、不安が大きくなっていく。もし私から強く握ったら、全部壊れてしまうんじゃないかって。


 心も、彼女自身も。

 だけど、触れるのは嫌じゃない。嫌じゃないのだ。


「蜜柑、最近よく繋いでくれるようになったよね」

「そうかもね」

「……ふふ。私のこと、好きになってきた?」

「トイプードルの次くらいにはね」

「それ、どれくらいの順位なの?」

「さあ。考えてみれば?」


 意趣返しというわけではないが、私はにこりと笑って言った。

 春原のことがどれくらい好きか、なんて。順位づけできるものではないし、自分でもよくわかってはいないけれど。


 とにかく、今は春原の好きなものを探さなければ。

 正直、当てられるかはだいぶ謎だけど。





「……ここは?」

「見ての通り、花屋だよ。春原もこういうの、好きかと思って」

「嫌いじゃないよ。花見て楽しそうにしてる蜜柑は、好きだしね」

「や、そういうのじゃなくて……」

「……ふふ。ちょっと見てこっか?」

「……はぁ。そうだね」

「なんかおすすめの花、教えてよ」

「いいよ。レクチャーする」


 初手はハズレである。春原の好きなもの、好きなもの。悪戯好きの春原が好むものといえば。

 私はぽんと手を叩いて、次の店に向かった。



「うーん……」

「ジョークグッズとか、好きじゃないの? ほら、見てこれ。ビリビリするペンだって」

「嫌いではないけど、そんなに好きってほどじゃないかな」

「……この前のチョコなんて、悪戯の塊みたいなものだったのに」

「まだ根に持ってるんだ……」


 ジョークグッズはお気に召さないらしい。

 私はため息をついて、彼女の手をそっと引いた。



「春原、好きな本とかある? 私は結構、小説とか読むんだけど」

「広く浅くだからねー。これってのはないかも。流行りのやつは読んでるけど」

「そっか……。つ、次!」



「わぁ、可愛い! トイプードルって大きくても可愛いけど、赤ちゃんも可愛いよねー!」

「あはは、そうだね。でも、蜜柑の方がもっと可愛い」

「……へ?」

「犬耳つけたらもっと可愛いと思うよ。……つける?」

「つけないから。可愛いとか言われても、全然嬉しくないし」

「そっか、残念」


 よし、次だ次。これ以上ペットショップなんて見ていたら、犬耳を強制的につけられそうだ。





 春原をつれて歩き回ること一時間。

 日は完全に暮れ、夜の闇が寒さをつれてきていた。そんな中、私たちは前と同じように商業施設の屋上までやってきて、二人で肩を並べて座っていた。


 結局あの後、春原を色んな店に連れて行ったが、反応はいまいちだった。つまらなそうにしていたわけではないのだが、好きな場所とか好きなものがあるって感じでもなかったのだ。


 数ヶ月間春原と一緒に過ごしたけれど、やはりまだまだ私は彼女のことを掴めていないのだろう。


 はぁ、と息を吐く。

 春が近づいてきているのに、まだまだ寒い。そういえば、前はここで手袋を貸してもらったっけ。

 かなり前に、あの手袋は洗って返したけれど。


「今日は色々楽しかったよ、蜜柑」

「それは何より……」


 春原はにこにこ笑っている。その言葉に嘘はないってわかるけれど、落胆は拭えない。


「……ところでさ。この世に一つしかない、うんと貴重なものってなんなの?」

「うん? それは正解者にしか教えられないけど……なんだと思う?」

「この世に一つしかない……。春原の命?」

「流石に命はあげないよ!?」


 私はくすくす笑った。いつもは余裕ありげでつまらない感じだけど、こういう時の春原の反応は面白いと思う。


 私はしばらく彼女と肩を並べて、ぼんやりと辺りを見渡した。

 前にここに来たのは、もう二ヶ月近く前だ。あれから私たちの関係が劇的に変化したわけではないけれど、私の心は確かに変化している。


 春原の方は、どうなんだろう。ちょっとは私のことを掴んで、何か心境も変わったのだろうか。それを確かめる術は、ないのだけど。

 春原の深いところは、まだ見ることができていないから。


「ね、蜜柑。これ、あげる」


 彼女はバッグから何かをごそごそ取り出して、私に手渡してくる。

 ラッピングされていて、中身がわからない。私は首を傾げた。


「これは?」

「開けてみて」


 言われるまま、丁寧に包装を開けていく。プレゼントなんてもらうのは久しぶりだから、なんというか、腰がむずむずするような感じがある。


 この前ちょうだいって言ったから、そのせいかな。


「……手袋だ」


 薄いクリーム色の手袋は、この前春原が貸してくれた黒の手袋と比べると随分可愛らしい。


「蜜柑、もうすぐ誕生日でしょ? だから、ちょっと早めだけど」


 どうして私の誕生日を知っているんだろう、と思う。

 こればかりは、佐藤にも教えていないのだが。


 いや、春原が謎の情報通であることは今に始まったことではないのだ。今はそれよりも、彼女が私のためにプレゼントを用意してくれたことの方が重要だ。


「嬉しいよ、ありがとう」


 私は微笑んで、言った。

 春原は驚いたように目を丸くしてから、私の手をとってきた。


「どういたしまして。……手袋、蜜柑につけてもいい?」


 春原の手は、相変わらず温かい。冷たい風の吹く屋上であっても、変わらずに。私は言いようのない感情で胸が満たされるのを感じて、ただ小さく頷いた。


 彼女は手袋を、ゆっくりと私の手につけてくる。

 辺りの騒がしさとは対照的な、静寂を感じさせる指先。それが私の手に触れるだけで、心臓が跳ねる。


「……できた。やっぱり、似合ってるね」

「ん。手袋、大事にするね」

「そうしてくれると嬉しい」


 夜の風が、目に染みる。

 一際強く風が吹いて、髪が春原の方に流れていく。思わず目を瞑って風が止むのを待っていると、不意に彼女の手が、私の腕に触れた。


 目を開けると、夜空のような瞳がすぐ近くに迫ってきていた。

 どうしてか今、初めて春原の、本当の姿を見た気がした。


 春原蒔月が、私の目の前にいる。ただそれだけのことを再認識した時、私は、ずっと私の心に吹き荒れていた何かが、静かになるのを感じた。


「……ねえ。キス、してもいい?」

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