第20話
「蜜柑ならこっちの方が似合うかな……いや、やっぱこっち?」
「春原?」
「いや、意外とこういうのの方が似合うのかな……」
「春原」
「うーん。色々あって目移りしちゃうなぁ……」
「……蒔月」
「なあに、蜜柑」
「……はぁ。聞こえてるじゃん」
嫌な予感というのは往々にして的中するものらしい。朝の占いが一位でも、いいことがあった試しなんてないのに。
いや、それはいいんだけど。
「ここのどこが、思い出の場所なの?」
「え。ほら、この前の蜜柑、すっごい可愛かったから」
「……」
もしかしたら、初めて私がデートに誘った時に行った場所へ行くのかもしれない。
そんな微かな希望は粉々に打ち砕かれていた。
春原に連れてこられたのは、この前犬耳カチューシャを買った店である。どこの世界に需要があるのかはわからないが、この店には犬耳の他にも猫耳やら兎耳やら、動物シリーズがたくさんある。
店主の趣味なのだろうか。
ほんとに勘弁してほしい。
「買ってもつけないからね?」
「なんで?」
「いや、むしろなんでつける前提なのよ」
「……この前、楽しみにしてた」
「はい?」
「あんなに計画立てたのに、西園のテスト勉強で全部白紙になって。……残念だった。悲しかった」
そう言われると、困る。
確かに、西園を放っておけないという私の勝手な事情で、春原には悪いことをしたと思っている。
埋め合わせはしないとって、さっき思ったばかりではある。
だが、しかし、でも。
これ以上の辱めを受けたら私はいい加減溶けて消えてしまいそうなわけで。
「……いいよね?」
「……はぁ。好きにすれば」
私はため息をついて、楽しげに動物の耳を選ぶ彼女を眺めた。
これであの日の話が終わりになるといいんだけど、ことあるごとに蒸し返されそうな気も。自業自得と言えばそれまでだが。
「……春原」
「んー?」
「ほんと、この前はごめん。……でも」
春原は私の方を振り返る。
一瞬、私はどんな顔をすればいいのかわからなかった。
「多分これからも、困ってる人がいたらそっちを優先しちゃうかもしれない。私は……」
「わかってるよ。蜜柑がどうしようもないお人好しだってことくらい。そうじゃなきゃ、散々脅されてるのに私と関わってないでしょ」
そう言って、春原は微笑む。
その微笑みは、どこか寂しげに見えた。私は一歩彼女に近づいて、その手にそっと触れた。
大丈夫。触れられる。これくらいなら、まだ。
「……春原と一緒にいるのは、 そういうのだけじゃない」
「え?」
「春原との時間は、嫌じゃないから。一緒にいたいからいる。だから、その笑い方やめて」
言葉にするとひどく単純で、あまりにも軽くて、自分でも自分の言葉が信じられそうにない。
それ相応の重みをもって本音を発するのは、意外と難しいのかもしれない。だからといって、嘘や誤魔化しの言葉を口にしたって、相手にはきっと何も伝わらない。
もしかしたら、春原の普段の言葉も、嘘っぽく聞こえるだけで本当なのかもしれない。
それを確かめる術は、ないけれど。
「……ふふ。あはは! 蜜柑はほんと、真面目だよね。まっすぐすぎて、溶けちゃいそう」
彼女は楽しげに笑う。
そこにはもう、寂しげな色は見えない。それを見て、胸に安堵が宿るのを感じた。本音がそのまま伝わってくれることほど、ありがたいことはないと思う。
嘘の言葉だとか、嘘の関係だとか、本当の言葉が伝わらない状況とか。そういうのは、ない方がいいに決まっている。
真実だけでは、人は生きていけないとわかってもいるけれど。
「じゃあ、自惚れてもいいの? もうあの写真がなくても、蜜柑は自分の意志で私と一緒にいてくれるんだって」
「……ん。別に、あんな写真なくたって、一緒にいるよ」
「……そっか」
ずっと、わけのわからない人間だと思ってきた。悪魔を脅すなんて、どうかしているとも。
でも、この数ヶ月で、春原という人間のことを少しずつ掴んできた。まだまだわからないことだらけではあるけれど、少なくとも、悪人ってわけじゃないってことはわかる。
それだけに、私をいきなり脅してきたのは驚きというか、よくわからないが。
ただ、今は。私は春原のことをもっと掴みたいと思っている。そして、少しでもいいから、私のことを知ってもらいたい、とも思う。
やっぱり、不安はあるけれど。
「だから、消していいよ。あの写真も……ついでに犬耳写真も」
「……蜜柑」
彼女は私のことを見つめてくる。そして、スマホを取り出して——そのまま、シャッターを切った。
「……うん?」
「蜜柑の正面写真ゲット。アイコンにしよー」
「……ちょっと?」
今のはどう考えても、綺麗さっぱり私の写真を消す流れだろう。
私は呆れ返って、今度こそスマホを粉々に破壊してやろうかと思ったけれど、彼女があまりにも楽しそうにしているから、何もできなくなった。
「撮っていいなんて言ってないんだけど?」
「でも、蜜柑は許してくれるでしょ?」
都合のいいことを。
この前もそうだけど、別に私の写真を撮ることを許した覚えはないのだが。私は文句を言おうとして、やめた。
こういう時の春原には何を言っても無駄だ。
「……もういい。好きにすればいいよ」
「わーい。蜜柑大好き!」
「はいはい」
私の写真なんて撮って、一体何が楽しいのか。悪魔だから珍しい見た目はしていると思うけれど、多分私を撮るなら佐藤を撮った方がよっぽど楽しいだろう。
だが、春原はにこにこしている。
私は小さくため息をついた。やっぱり私は人に甘いのだろうか。いや、でも、春原が笑っているなら、それでもいいか。
私は彼女を見て、ふっと笑った。
「はい、カメラ見てー。撮るよー!」
「……」
やっぱ甘すぎたかも。
春原は私の肩を抱いて、巧みに自撮り棒を操っている。スマホに映るのは、犬耳をつけた私に、兎耳をつけた春原。
春原はどちらかというと猫では?
というのはともかく。なぜか私は、謎のツーショットを撮ることになっている。今なら彼女のスマホを奪って全ての写真を消し去るのも不可能ではないけれど。
恥ずかしい格好なのは私だけじゃなくて春原もだから、いいか。……前は耳つけようとしなかったくせに、とは思うけど。
しかし。
「春原、なんでそんな堂々としてんの?」
「え? だって可愛いじゃんうさみみ。ぴょんぴょんっ」
「うさぎの肉って鶏肉に味似てるらしいよ」
「待ってなんの話?」
結局春原の暴走は止まらず、私は恥ずかしい写真を何枚も撮られることになった。
ここまでくるともう色々手遅れって気がする。春原の弱みを握ろうと躍起になっていた頃が懐かしい。
今じゃもう、一個や二個弱みを握っても、間違いなく無意味だと断言できる。
「いやー、いい写真撮れたなぁ」
「私との写真なんて、撮ってもしょうがないでしょうに」
「そんなことないよ。見てるだけで楽しい気持ちになるし。……それに」
彼女は私の肩を、さらに抱き寄せてくる。
ふわりと、甘い匂いがした。
「鎖がたくさんあれば、蜜柑はどこにも行かないでしょ?」
そう言って、彼女は笑う。
前にも似たようなこと、言われた気がする。もう、鎖なんてなくたってどこにも行くつもりはないのに。
それでも彼女は、私がどこかに飛び去ってしまうと思っているのだろうか。
どうしてそこまで、私のことを。
聞いても誤魔化されるなら、どうしたら彼女の心の奥底を暴けるのだろう。
「心で繋ぎ止めるのは、諦めたわけ?」
「まだまだ、志半ばですから」
「……そ」
「だからもっと私のこと、好きになってもらわないとね。蜜柑には、私を好きになってもらうから。——どんな手を使ってでも」
「……はぁ。春原のこと、好き。これでいい?」
「あと999回だね」
「まだ言ってるの、それ」
私がため息をつくと、彼女は笑った。
写真はもう十分撮ったらしく、彼女はスマホをしまって、今度は私を引っ張り始めた。
デートのコースは、前とほとんど同じ。
学生が普通行くような場所をふらふら回って、中身のない会話をして。前と同じようなデートをしても、春原のことがもっと深く知れるわけじゃない。
意外と感情豊かだということだけはわかったけれど、私が本当に知りたいのは、掴みたいのは。
「いやー、結構遊んだね。結構いい時間だし、そろそろ帰る?」
春原はいつもと変わらない口調で言う。
今日はもう、解散でもいいと思っている様子である。でも、まだ終われない。だって、今日のデートは。
「……帰らない。ていうか、帰さない。今日は私が満足するまで、春原のこと家に帰さないから」
「……え?」
「二度は言わない。……来て」
私は春原の小指を小指で引っ張って、私についてくるよう促した。
春原は驚いた表情を浮かべながらも、私についてくる。
こういうところは、妙に素直だ。
私は、小さく息を吐いた。
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