第18話

 暇な時に気兼ねなく連絡できる友人というのは、意外と貴重なものらしい。


 私はスマホを片手に勉強しながら、そう思った。

 スマホには、何人もの友達からの連絡がひっきりなしに届いている。暇だったり寂しかったりするときはいつでも連絡していいと友達に言っているから、毎日こうして、結構連絡がくるのだ。


 たまに朝早くとか深夜とかに連絡がくることもあるけれど、私は眠らないから、いつ連絡がきても対応することができる。


 私が連絡を返すことで、守れる笑顔があるならいいな、と思う。

 しばらく友達と連絡を取り合っていると、電話がかかってくる。私はボタンをタップした。


「もしもし、春原?」

『ん……今、大丈夫だった?』

「大丈夫だよ。起きてたから」

『……そっか』


 今日も、両親の帰りが遅いのだろうか。

 私はシャーペンを置いて、ベッドに腰をかけた。


 最近春原は、特に用事がなくても電話をかけてくることが多くなった。遠慮がなくなったのは、いいことだ。


 寂しい時とか暇な時は、我慢しなくていいと思う。

 私がいる限り、友達にそんな思いはさせない。


 春原は友達なのか、なんなのか。その辺りはちょっと、よくわからないけれど。


『蜜柑って、いつ寝てるの?』

「うん?」

『いつ連絡しても返してくれるし……』

「日によって違うからなぁ。それに私、ショートスリーパーだから。三時間も寝れば十分なんだよね」

『……そうなんだ』


 会話が止まる。

 きっと、温かな静寂が欲しくて私に電話をかけてきたのだろう。私は春原が何かを話すまで、少しぼんやりとしていた。


『明日。……明日、デートしない?』

「いいよ」

『ほんとに? 今度は他の人との予定入れちゃ駄目だよ。友達がどんだけ困ってても、私とのデート優先にして』

「善処する」

『……約束はしてくれないんだ』

「悪魔は約束を守るけど、守れない約束は基本しない主義なんだ」


 人が困っていたら放っておけないのは、私の悪い癖なのかもしれない。

 もし私は同じくらい困っている人が二人いたら、どっちを優先するのだろう。

 体が二つあればいいのに、と思う。


「……代わりってわけじゃないけどさ。明日は春原の好きなところに行こうよ」

『私の?』

「そ。私、まだ春原の好きなもの全然知らないし」

『私の、好きなものかぁ……』


 春原はひどく小さな声で言う。


『わかった。考えとく』

「ん」


 私たちはその後しばらく、なんて事のない四方山話に興じた。日が変わりそうになった頃、春原は名残惜しそうに言った。


『そろそろ、寝るね』


 声がとろけている。

 ちょっと可愛いかも、と思いながら、私は笑った。


「うん、おやすみ」

『おやすみ……』


 おやすみなんて言葉、忘れかけていたけれど。

 最近は言うことが多いから、段々と体に馴染んできた気がする。おやすみとおはようは、セットだ。


 夜を迎えても、また朝が来る。当然に眠って、目覚めて、また顔を合わせて。そういう人間の営みが溢れているこの挨拶が、私は結構好きなのだと、最近気がついた。


「……おやすみ」


 通話を終わらせた後、誰に言うわけでもなく呟く。

 今度は誰の声も返ってこなかったけれど、私は少し、満足した。





「蜜柑ちゃん、お昼——」

「蜜柑、こっち」

「ちょっと、春原?」


 昼休みになってすぐ、春原が凄まじい勢いで私の方にやってきて、そのまま手を引っ張ってくる。


 私はあっという間に教室の外に連れ出される。

 佐藤が教室の中から、ぽかんとした表情で私たちを見ていた。

 私は目線で彼女に謝って、春原と一緒に校舎を歩いた。


「どうしたの、いきなり」

「ほっといたら、困った人見つけて、その人のために時間使っちゃうでしょ」

「……そんなことないよ」

「嘘。蜜柑には前科があるから。今日はもう、誰にも見つからない場所に隔離する」

「隔離って……」


 随分な物言いである。

 確かに、この前のことは悪かったと思っている。でも、友達にあんなに泣きつかれて放っておくというのもどうかと思うわけで。


 それで春原のことを後回しにしていいわけではないのだけど。

 耳を噛むことが埋め合わせでいいとは言っていたが、ちゃんと埋め合わせはしないと。

 そう思いながら彼女に手を引かれて、やがて、学校の隅に行き着く。


「……ここって」

「蜜柑の好きな場所、なんでしょ?」


 そこは、花壇のある場所だった。

 前に私の一番好きな場所だと言ったの、覚えていたのか。

 いや、そもそも。


「そうだけど。……ていうか、この前聞き忘れたけど、どうしてここが私の好きな場所だってわかったの?」

「ここが学校の中で一番静かで、お花も綺麗だから」


 春原は、笑った。


「蜜柑の大好きなものがたくさんあるから、ここが一番好きだと思って。実際合ってたでしょ?」

「……まあ、うん」

「ほら、ベンチ座ろ。パンも買ってきたから」


 口を挟む間も無く、ベンチに座らされる。

 なんだか落ち着かないけれど、全てはこの前の私のせいだ。守らない約束はしない主義、なんて言ったけれど、私はこの前の春原との約束を守れなかった。


 悪魔失格である。

 人間でもなければ悪魔失格。そうなったらいよいよ私は何者だって話だけど。


「……春原の、一番好きな場所は?」

「ん? ここ」

「春原も植物、好きなの?」

「植物じゃなくて、蜜柑の隣がね」

「……へ」


 春原は真面目な顔で言う。

 この人はこういうことを、こんな顔で言えてしまうのか。


 私は言葉を失うけれど、その代わりに、心臓が口よりやかましくなる。なんでこんなに真剣なんだろう。

 嫌じゃないけど。


「蜜柑が隣にいれば、どんな場所でもいいよ」

「地獄でも?」

「一緒に堕ちるなら、それもいいかもね」

「また適当なことを……」

「私はいつでも真面目なんだけどねー」


 くすくすと、彼女は笑う。

 私は彼女の手に自分の手を重ねて、距離を詰めた。


「だったら、証明してみれば?」

「え」

「そんなに私の隣が好きなら、好きだって証明してみなよ。そしたら真面目に言ってるんだって、信じてあげる」


 わかっている。

 春原が嘘で言っているんじゃないってことくらい。だけど私は、彼女がこう言われた時、どういうことをするのか知りたいのだ。


 そこにきっと、彼女の本質が現れるはずだから。

 バレンタインの時は、彼女がいたずらっ子だって再認識した。それ以外の、彼女が持つ性質を、私は知りたいと願っている。


 好きなもの、嫌いなもの、私に対しての行動。

 全部知って、掴んで、それで。


 それでどうなるの?

 ……なんて、そんなのはわからないけれど。


「……わかった。証明してあげる。私がいつでも、本気だってこと」


 今はともかく、いつもは本音か嘘かわからない言葉を口にしていると思うけれど。


 でも、いい。

 私は彼女の行動を待った。彼女はしばらくの間、無言で私の目を見つめていたけれど、やがてそっと、顎に手を当ててきた。


 そのまま少し、上を向かされる。

 黒い瞳が、やけに眩しかった。


 真昼の日の光のせいなのか、それとも、私の心のせいなのか。疑問は心の中に広がることなく、速すぎる鼓動に隠されて消えていく。


 そして、彼女の指が唇に触れる。

 その瞬間、鼓動の音が聞こえなくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る