第17話

「バレンタインー、バレンタインー、ヴァレンシュタインー」


 珍妙な歌を歌いながら、朝っぱらから春原が私の机の周りをうろうろし始める。


 私は見て見ぬふりを決め込むことにした。こういうテンションの春原を相手すると、色々面倒だと私は学んだ。


「蜜柑! チョコチョコチョコ!」


 語彙力をどこかに置いてきたらしい西園が、私の席に突撃してくる。彼女は私の机にべったりと張り付いて、チョコをねだってくる。


 テンションが大変なことになっている人間が、一人から二人に。

 こうなってくると見て見ぬふりも難しい。どうしたものかと思っていると、佐藤が教室に入ってくるのが見えた。


「おはよう、佐藤」

「あ、おはようございます蜜柑ちゃん! 西園さんに、春原さんも!」

「おはー。チョコちょうだい」

「おはよう、佐藤さん」


 佐藤はさすがに律儀で、人数分の友チョコを持ってきていた。

 私は佐藤と西園にチョコを渡してから、日頃付き合いのあるクラスメイトにもチョコを配った。


 その間、春原はちらちらと私を見てくる。

 一応、彼女にもチョコは用意しているけれど。他の皆とは少し違うチョコを用意してしまったから、教室で渡すのもどうかと思う。


 渡すなら放課後がいいだろう。

 そう考えて、私は無視を決め込んだ。





「バレンタインってさ。実は大切な人に贈り物をする日であって、女性から男性にチョコを渡すだけの日ってわけじゃないんだよね」

「はぁ」

「だから友チョコ文化って、本来のバレンタインに一番近い形なのかもね」

「そっか」

「で、蜜柑。私に何か、渡すものは?」

「私、悪魔だから。クリスマスとかバレンタインとかに参加すると灰になっちゃうんだよね」

「そんなことある!?」


 放課後になり、私たちは二人で学校の周りをぶらぶらしていた。

 今日は特に、遊びに行く約束とかもしていないけれど。ボランティア部の活動はないし、ゴミ拾いは昨日したし、恋愛相談もバレンタイン前に死ぬほどやった。

 だから今日は、暇なのだ。


「佐藤さんは参加してたのに……。ていうか、友チョコ他の人には渡してたのに……」

「……ん? 春原って、知ってるの?」

「……佐藤さんが、蜜柑と同じってこと?」


 彼女はにこりと笑う。

 私は目を丸くした。佐藤が恋魔だということは、少なくとも私は教えていない。だというのになぜ、春原が知っているのだろう。


 いや、佐藤と春原は友達なのだから、知っていてもおかしくないのか。

 色々と、気になりはするけれど。


「……佐藤のこと、脅したりしてないよね?」

「しないよ。私が脅すのは、蜜柑だけ」

「それ、全然嬉しくないんだけど」


 私と佐藤の何が違うのだろう、と思う。

 いや、別に、佐藤のことを脅してほしいってわけではないが。私だけを脅すというのも、それはそれで、なんというか。

 私はため息をついた。


「……はぁ。もういいけど、言いふらさないでよ」

「蜜柑がチョコくれたら、黙ってる」

「なんでそんな欲しがるわけ? ただのチョコでしょ」

「違うよ」


 彼女は私の目を見つめてくる。


「ただのチョコじゃなくて、蜜柑のチョコだから欲しいの」

「……そ」


 そう言われると、弱い。

 春原のテンションが高すぎて、面倒臭そうだから。春原用のチョコは、他の人に渡すチョコとは違うから。


 色々理由はあるけれど、結局私が素直にチョコを渡せないのは、気恥ずかしいからなのかもしれない。


 リップを買ってあげた時みたいに何も考えずに渡せたらと思うのだが、あの頃と今では気持ちが違う。だからって、いつまでもこうしていても仕方がないんだけど。


「仕方ない。そこのコンビニ、寄ってこうか」

「……え」





 私はコンビニでチョコと肉まんを買って、春原はココアを買っていた。

 そろそろ、覚悟を決めよう。私は春原の目を盗んで、買ったチョコと持ってきたチョコを入れ替えた。


「手、出して」

「……はい」


 私は差し出された彼女の手に、持ってきたチョコを置いた。

 それは、私が手作りしたチョコだ。でも、完全に板チョコって見た目だし、市販のチョコの包装紙で包んでいるから、きっと食べても手作りだとは気づかないだろう。


 こんなチョコを用意したのは、気まぐれだ。

 私はどんな見た目をしていても、手作りかそうでないかはわかる。でも、他の人はどうなんだろう。そう思って、なんとなく市販品に似せてみただけで。


 悪戯をしているみたいで少し楽しくもあり、ちょっとした罪悪感のようなものがあったりもして。


「え、ありがとう」


 チョコを受け取った彼女は、柔らかく微笑んだ。

 私は思わず目を丸くした。


「……市販品だよ?」

「うん。でも、蜜柑がくれたチョコだから」

「……」


 胸が痛くなる。

 こんなことなら最初から、私が作ったと言って渡した方が良かったかもしれない。


「私も、あげる」


 彼女は小さな袋に入ったチョコを、私の手に握らせてきた。

 見た目でわかる、手作りのトリュフチョコ。

 私はにこりと笑った。


「ありがとう。嬉しいよ」

「うん。……今、食べてもいい?」

「どうぞ。市販のチョコで悪いけどね」


 今更手作りと言うのも、それはそれで。

 私は黙って肉まんを齧りながら、彼女がチョコの包装を開けていくのを横目に見た。本当に、市販品だと思っているのに楽しそうだ。


 私があげたら、ただの小石とかでも喜ぶんじゃないかってくらい。

 それだけ私に、好意を向けてくれているってことなんだろうけど。それは嬉しくもあり、むずむずもする。

 肉まんの味なんて、わからないくらいに


「……え」


 チョコを一口齧った彼女は、目を見開いた。

 もしかして、美味しくなかっただろうか。ちょっと不安になって、彼女を見つめる。彼女は、私のことを見つめ返してきた。


「これ、手作り、だよね?」

「……工場で作ったやつだよ」

「嘘。わかるよ、蜜柑が作ったってことは」


 彼女の言葉に、鼓動が速くなる。

 どうしてわかったんだろう。いや、私だって、手作りかそうでないかわかるんだから、春原がわかってもおかしくはないんだけど、でも。


「なんで?」

「優しい味がするから」

「……何それ」

「嘘じゃないよ。この前泊めてもらった時の料理も、そうだった」


 優しい味って、どんな味なんだろう。

 私は肉まんを全部食べて、彼女からもらったチョコに目を落とした。この前食べた春原の料理は、なんとなく、彼女が作ったってわかる味がした。


 大雑把なようで、繊細、みたいな。

 チョコの方はどうなんだろう、と思う。


「蜜柑って、ほんと可愛いね」

「は?」

「こんな手の込んだことしてまで手作りの渡すって、不器用すぎて可愛い」

「……う」


 面倒臭いことをしたって、自分でも思ってる。

 まるで、市販品かそうでないか気づいてほしかったみたいな感じで、ばつが悪い。馬鹿みたいじゃないか。

 いや、実際こんなことをするのは、馬鹿なんだろうけど。


「美味しいよ。ありがとね、蜜柑」

「……別に。適当に作っただけだから」

「またそんなこと言っちゃって」


 春原はくすくす笑う。

 私はそっぽを向いて、彼女からもらったチョコを一つ摘んだ。口に放り込んでみると、最初に苦味がきて、後に甘さが——こなかった。


 その代わりに舌を刺激したのは、むせそうなくらいの辛味。

 それは間違いなく、唐辛子の辛さだった。

 私は声にならない声を上げて、彼女を睨んだ。


「お、その反応は当たりだね」

「……っ! ……ないから」

「うん?」

「この恨み、一生忘れないから。……なんでこんなの作ったの」

「怖っ。普通のチョコじゃ面白くないと思って」

「面白くなくていいでしょ、チョコなんて」

「でも、蜜柑のチョコも面白かったよ?」

「……」


 人のことは言えない。私と春原どっちが子供かって聞かれたら、まず間違いなく私の方が子供だって断言できるから。


 でも、普通こんなことする?

 春原の手作りのチョコはどんな味かと期待したらこれだ。

 残念というか、なんというか。


 しかし、わかったことが一つある。春原の本質はいたずらっ子であり、人のことをからかうのがきっと大好きなのだ。

 私の本質はどうなんだろう、と少し思うけれど。


「他のやつはちゃんとしたチョコだから。ほら、あーんして」

「……はぁ」


 春原はチョコを一つ摘んで、私の口元に運んでくる。

 いっそ指ごといってやろうかと思ったけれど、そんなことをしたら余計に子供っぽい気がするから、やめる。

 私は大人しく、チョコを齧った。


「……甘い」

「美味しい?」

「うん。……でも、許さないから」

「意外と根に持つね」


 くすくす笑いながら、彼女は私にチョコを運んでくる。

 バレンタインって、こんなに疲れるものだっけ。

 半分は自業自得だけど、思わずため息をつきそうになる。


 でも、こういうバレンタインが、私たちいらしいっちゃらしいのかもしれない。


 舌が麻痺しそうなくらい甘いチョコを齧りながら、ぼんやりそう思った。

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