第10話
「な、なんで脱ぐの!?」
「言ってるでしょ、本当の姿を見せるって。制服が破けるのは、嫌だから。……よく見てなよ」
恋魔には、翼と尻尾が生えている。角はあったりなかったりだけど、私はある方の悪魔だ。
いつもは悪魔としての力を使ってそれを隠しているだけで、出そうと思えばいつだって出せるのだ。
私は春原の目を見つめたまま、本当の姿を解放した。
頭から角が伸びて、背中から翼が生える。最後に、重たい尻尾がゆらりと揺れる。人にこの姿を直接見せるのは、初めてだ。
そのはずなのに、どうしてか初めてって感じがしない。それは、あの写真のせいなのかもしれない。
「近くで見るのは、初めてでしょ。ご感想は?」
私は尻尾で彼女の顎を撫でる。
明らかな人外を目の前にして、春原は何を思うのか、そう思っていると、彼女はにこりと笑った。
「か、かっこいいと思うよ。なんか、ドラゴンって感じだね」
眉を顰める。この後に及んで、私を無害な存在だとでも思っているのだろうか。
私は尻尾を使って、彼女を床に押し倒した。
ガタン、と椅子が音を立てる。私はその椅子を素手で粉砕して、彼女に覆い被さる。
「これでも、そんなこと言える?」
見た目も力も、人間とはかけ離れている。
そんな私を見ても、なお。
春原は笑っていた。
「うん」
「今の、見てなかったわけ? その気になったら、私はあんたのことなんてこの椅子みたいにバラバラにできるんだから」
「だったら、してみたら?」
「……は?」
「私はそれでもいいよ」
私を見上げる瞳は、透明だ。
嘘みたいな響きだけど、本気だとわかる声が、私の鼓膜を震わせる。
なんで、そこまで。
ある種の無邪気さを感じさせるその信頼は、得体が知れなさすぎて怖いと思う。だけど、それ以上に、向けられる信頼が嬉しいと思ってしまう自分が、心のどこかにいる。
ありえない。
悪魔の私が、人間に受け入れられるなんて。
「……その余裕ごと、壊してあげる」
私は尻尾で彼女の体をなぞる。それでも彼女は私を見上げたまま、逃げようともしない。
わからない。
春原はどうして、私から逃げようとしないんだろう。
いっそここで彼女を傷つければ、不可解な信頼も崩れるのかもしれないけれど。でも、できるはずもない。
悪魔の力は人を幸せにするために使うものであって、人を傷つけるために使うものじゃない。
私は小さく息を吐いた。
「……しないんだ?」
「……もういい。春原には、何を言っても無駄だってわかったから」
私は春原の上から退いて、壊れた椅子を集めて袋に入れる。
春原は何食わぬ顔で新しい椅子を用意して、お茶を飲んでいた。
「お茶、美味しいね。いいやつでしょ」
「……お客様に出す用だから」
「私、お客様なんだ」
あまりにも、動揺していなさすぎる。私が春原に何もしないとわかっていたにしたって、もっと色々あると思うけれど。
今更ながらに、罪悪感が湧いてくる。
普段ならわざわざ人を脅すなんてことはしないのに。
今の私は、春原から向けられるものにあまりにも踊らされている。春原のことがよくわからなくて、知りたい気持ちと私に関わってほしくない気持ちが半分半分で、私が私じゃなくなるような。
どうしてこんなことに、とは思うけれど。
「そうだね。春原は、久しぶりのお客様になるよ。……ごめん」
「何が?」
「力で脅そうとするとか、最低だった」
「いいよ。蜜柑なら何もしないってわかってたし。……それに」
彼女は私の目を見つめて、ぎゅっと手を握ってきた。
「蜜柑のほんとの姿を、こうやって近くで見れたし」
「……こんな姿、見たって楽しくないでしょうに」
「楽しいよ。これ以上に楽しいことなんて、ないってくらい」
「それはそれでどうかと……っ!?」
私はびくりと体を跳ねさせた。
いきなり手を引っ張ってきた春原に、翼を触られたから。
「いきなり何!?」
「うん? お詫びしてもらおうと思って。悪いって思ってるなら、少しくらい触らせてくれてもいいよね?」
「それは……」
気にしていないみたいな口ぶりだったのに。
でも、先にひどいことをしたのは私だから、何も言えない。そこに漬け込んでくるのは、どうかと思うけど。
人間にいいようにされる悪魔って、どうなんだろう。
他の恋魔が見たら苦言を呈してきそうだ。佐藤だけは、にこにこ笑って眺めてきそうな気がするけれど。
「わ、すごいね。羽、ちゃんとあったかいんだ」
「……そりゃそうでしょ。手足と同じなんだから」
「あはは、それもそっか。……角もいい?」
「……お詫び、だから」
「……ふふ、そっか。じゃ、たくさんお詫びしてもらっちゃお」
彼女の手が、私の角に触れる。
「二本も角あると、頭重そう。大丈夫?」
「黙って触ってよ」
「蜜柑のことは、なんでも知っておきたいから」
なんでと聞きたいけれど、聞いても前みたいにはぐらかすんだろう、と思う。
本気の信頼を向けてくる割に、その理由について明かそうとしないから混乱する。いくつも浮かんだ疑問の隙間を縫って、その好意がちくちく胸を刺すから、彼女のことがどうしても気になってしまう。
結局私は、春原のいいようにされてしまっている。
ぎゅっと目を瞑っていると、今度は尻尾に触れられた。尻尾は特に触られるとくすぐったいから、あまり触らないでほしいけれど。
春原が黙ったから、私も何も言えなくなる。
沈黙と沈黙の間で、皮膚同士が擦れ合う音が響く。
くすぐったくて、変になりそうだった。どれだけ耐えても、春原は私を触るのをやめようとしない。
繊細な、慈しみのようなものを感じさせるその掌が、妙に熱かった。
わからない。
やっぱり、わからない。
普通、人間同士だとしても、そこまで仲良くない相手のことをこんなに触ることなんてないはずなのに。
「……もういいでしょ!」
「待って。もうちょっとだけ……」
薄目を開けてみると、彼女の真剣な顔が目に入る。
人の体を触りながら、こんなに真剣な顔ができる人間なんてそうそういないだろう。医者の触診か、と思うけれど、それにしては手つきがおかしい。
その後、彼女の気が済むまでには、およそ十分の時間を要した。
解放される頃には、私はすっかり疲れ果てて、リビングのソファに倒れ込むことになった。
「……ご、ごめん。つい楽しくなっちゃって、触りすぎちゃった」
「……いいけど」
本当は、よくない。
でも、私がしたこともこれでチャラだ。だからもう、何も言わない。
私は仰向けになって、クッションに頭を乗せた。
「……春原は、どうして怖がらないの?」
「え」
「普通、本物の悪魔だってわかったら、怖いでしょ。春原が私の何を知ってるのかはわかんないけど、外で見せてる私は全部偽りで、本当は凶悪な悪魔かもしれないのに」
「……うーん」
春原は、首を傾げた。
「私、自分の目には自信があるんだ」
「……」
「それに、蜜柑前言ってたじゃん。皆が生き生きしてるのを見るのが好きって。あの言葉が、すごい柔らかくて、綺麗な響きだったから。怖くないよ」
彼女はそう言って、ソファの端に座ってきた。
その瞳は、きっとあの時の私の言葉よりもずっと柔らかくて、綺麗だと思う。
「だから。……蜜柑が私のこと怖がらせようとしても、怖がらせたくても、怖がれないよ」
彼女は、ふっと笑った。
心臓が、跳ねる。
言葉一つで、イライラしたりドキドキしたり。私は一体何をしているんだろうと、自分でも思うけど。
感情と鼓動は、コントロールしようとしてもできない。
「だから蜜柑も安心、して……」
春原の言葉が、尻すぼみになっていく。
どうしたのだろう。
思わず首を傾げると、彼女の視線が私の体に向いていることに気がついた。
「……何? こっちも触りたいの?」
私が自分の胸に手を置いて言うと、彼女は顔を真っ赤にさせた。
いやいや、おかしいでしょ。
さっきまでびっくりするくらい私にベタベタ触っていたのに、こっちを触るのは恥ずかしいなんて。
なんていうか、笑ってしまう。
「さ、触らない。……服、着てよ」
「尻尾とか角とか、あんな触ったくせに。変なとこ純情だね、春原は」
「……そういう蜜柑は、変なとこ大胆」
「それ、春原のせいだから」
私だって恥じらいは持っている。
でも、春原が奇妙な様子を見せるから、どうしてもそれが気になって、私らしからぬ言葉を口にしてしまうのだ。
誰かに触られたいとか、思ったことないのに。
くすくす笑うと、春原は余計に顔を赤くして、そっぽを向いた。
やっぱり春原は、変な人だ。
私も大概、変な悪魔かもだけど。
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