第11話
情緒不安定。最近の私を表す一番適当な言葉は、多分それだと思う。
春原に振り回されて、彼女の顔がまともに見れなくなって。かと思えば、今度は春原の姿を目で追っている私がいた。
授業中、私は後ろの席から春原の様子を窺っていた。
いつもなら授業にちゃんと集中するのだけど、今日はどうにも、彼女のことが気になってしまって集中力を欠いている。
今まで授業中の彼女を見たことはなかったが、意外にも真面目に受けている様子だ。
感心感心。
……私もそろそろ、ちゃんと授業に集中しないと。
そう思った時、机の中でスマホが震えた。
『窓の外見てみて』
スマホに目を落とすと、春原からのメッセージが来ている。
思わず彼女に視線を移すと、こっちをちらと見て手を振ってきた。
授業は真面目に受けなさい、なんて。今の私には言えないけれど。
私は窓の外を見た。飛行機でも飛んでいるのかと思ったけれど、今日は雲ひとつない快晴だ。
『何もなくない?』
『綺麗な空がある』
『ブロックしていい?』
春原はデフォルメされた猫がバッテンしているスタンプを送ってくる。
意外と春原って、こういう可愛いスタンプ使うんだ。
いや、それはいいんだけど。
『授業に集中して』
『構ってくれてもいいじゃん。いつでも連絡していいって言ったでしょ』
『言ったけど、普通授業中連絡してこないでしょ』
『驚いた方が負けゲーム!』
『は?』
脈絡のない言葉に、私は首を傾げた。
そういえば。私は春原の成績がどんなものなのかよく知らないけれど、もしかすると、授業をまともに聞かなくてもいいくらいに好成績なのだろうか。
いや、だとしても、もうちょっとまともに授業を受けようよって感じだけど。
でも、確かにいつでも連絡してきていいと言ってしまったのは私だ。悪魔は約束を守る生き物なのだから、私も約束を違えるつもりはない。
私の場合、二十四時間をフルで使えるから、勉強はいつでもできるし。
『交互にびっくりする画像送って、驚いた方が負けね!』
『負けたらどうなるの?』
『今日奢り!』
春原と遊びに行く予定なんてなかったのに、まるでそれが当然みたいな様子である。
別に、いいけど。
同じ時間を共に過ごせば、もっと彼女のことを多く知れるだろう。考えてみれば私は、まだ彼女の趣味も、好きなものも知らない。
まずはそれを知るところから始めるべき、かもしれない。
そう考えていると、彼女の方からホラー映画のワンシーンらしき、おどろおどろしい画像が送られてくる。
顔を上げると、春原はにやにやしながら私の方を見ていた。
……こんなので悪魔が驚くと思っているのだろうか。
『驚いた?』
『全然。次、私の番ね』
私たちはそうして、しばらく画像を送り合っていたが、私も春原も驚くことがないまま、授業が終わる時間が近づく。
私は写真をスクロールして、彼女が驚きそうな写真を探した。
そして、前に佐藤に撮られた写真を見つける。私は少し迷ってから、それを春原に送った。
春原の方に目を向けると、彼女は突然体を跳ねさせて、机に膝をぶつけていた。
「いっ! つぅ……」
「春原、どうしたー?」
「す、すみません。ちょっといきなり脚が攣って……」
私はくすりと笑った。
いつも春原には何かと驚かされてばかりだから、こうして彼女が驚く様を見ると、ちょっと嬉しくなる。
しばらくすると、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。どうやら、今回のゲームは私の勝ちらしい。せっかくなら、いつもはあまり買わない高めのドリンクでも奢ってもらおうか。
春原は恨めしそうな顔で私の方を見てくる。そんな春原に微笑むと、彼女はそっぽを向いた。
「なんなのあの写真! 反則じゃん!」
放課後、私は春原とフードコートに来ていた。高校生とフードコートは切っても切り離せない関係であり、辺りには同じ制服を着た子たちが何人もいた。
「反則も何も。そんな驚くほどの写真だった?」
「驚くに決まってるでしょ!」
私は彼女に奢ってもらったレモネードを飲みながら、スマホに目を落とした。彼女に送ったのは、私が犬耳をつけている写真だ。
「ていうか、なんなのこの写真。いつ撮ったの?」
「去年。ハロウィンは仮装するものだーって佐藤に言われて、犬耳つけられて写真撮られた」
「ああ……。佐藤さんって、あんな可愛い顔してるけど押し強いよね……」
「それがいいとこでもあるんだけどね」
悪魔らしからぬ無垢さがあるというか、なんというか。
最初はあんまり仲良くするつもりはなかったのに、気づけば仲良くなっていて、今では親友と言っても差し支えないくらいになっている。
春原はどうだろうな、と思いながら、彼女の方に目を向ける。
彼女は真剣な顔でスマホを眺めていた。
「なんか、写真見てたら私も生で見たくなってきた」
「は?」
「どっかの店で、犬耳カチューシャとか売ってないかな」
「いやいや、売ってても買わないしつけないから」
「つけてよー。佐藤さんだけずるいよー」
「ちょっ……ベタベタしないで。……ああもう! わかったから! あったらつけてあげる。あったらね!」
春原は目を輝かせる。
いやいや、どうなのよ。
そんなに言うほど、私が犬耳つけた姿に需要があるとは思わないけれど。やっぱり春原は、色々変わっていると思う。
まあ、大丈夫だろう。
今はハロウィンシーズンってわけでもないから、犬耳を売っている店なんてないはずだ。
さすがの私も、なんでもない時に犬耳をつけるのは恥ずかしいし。
「……」
しかし。
どうやら商業施設というものは広いものらしく、中にはこんな何もない時期に犬耳を売っている変わった店もあるようで。
結局私は、犬耳をつけた姿を春原に晒すことになってしまった。
犬は好きだ。好きだけど、自分がなりたいかと聞かれたらうーんってなるわけで。
私はレモネードと引き換えに、何か悪魔として大事なものを失ってしまったのではないか、と思う。
「ちょっと、何スマホ構えてるの。写真は撮っちゃ駄目だから」
「え。なんで? 可愛いのに」
「なんでも。こんな姿でいるところ、他の人に見られたらマジで死ぬから」
「もったいないなぁ。……じゃあ、目に焼き付ける」
彼女はそう言って、私のことをじっと見つめてくる。
それはもう、体に穴が開きそうなくらい。
施設の端っこにあるエレベーターの前。ほとんど人が来ない場所で、私たちは黙ったまま、向かい合っている。
沈黙に耐えられなくなって、口を開いてみても、心臓がうるさいせいか言葉が全く思い浮かばない。
「……黙られると、落ち着かないんだけど」
ようやく振り絞られたのは、そんな言葉だった。
春原は私の目を見ながら、笑う。
目を合わせるという行為も、笑うという行為も。それ単体だと、そこまで何かを思うほどの行為ではないはずなのに。
目を合わせながら微笑まれると、不可解なまでにドキドキしてしまう。
心に浮かんだ言葉が鼓動に隠されて、自分の本音が見えなくなっていく。それは、いいことなのか悪いことなのか。
「可愛いよ。毎日見たいくらい」
いつもなら、嘘か本当かわからない声色で言うくせに。
こういう時に限って、本当だってわかる声色で言うから。
だから私は、何も言えなくなる。
「……そ」
私は短く言って、そっぽを向いた。
それからどれだけの時間が経っただろう。耐えられなくなってきた私は、迂闊な返事をした自分を恨みながら、彼女の方を向いた。
「もう終わり! これも外すから」
「ちょっと待って! あと五分! いや、三分だけでも!」
「駄目! もう十分すぎるくらい見たでしょ!」
私は縋ってくる春原を押し退けた。いくら人がほとんど来ない場所と言っても、施設内ではあるのだ。
そろそろ終わらせないと、同じ学校の人に見られるかもだし。
「じゃああと一分だけ! お願い! もうちょっとで何か掴めそうな気がするの!」
「何かってなんなの!」
いつになく必死な彼女から逃げようとすると、ふとエレベーターが動いていることに気がつく。
あっと思った時には、エレベーターは私たちがいる階で止まって、扉が開く。
「……あれ。蜜柑ちゃんに、春原さん?」
扉の向こうから姿を現したのは、私の友達である佐藤だった。
その瞬間、時が止まった気がした。
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