第7話
食事と睡眠は、人間にとって必須である。
だけど、私たち悪魔にとっては必須というわけではない。私たちのエネルギー源は人の恋で、それを定期的に食べてさえいれば眠る必要も食事をとる必要もないのだ。
だから私はほとんど睡眠や食事をしないし、ほとんどの時間をボランティアや勉強に充てている。おかげで私の成績はいつも学年一位だ。
ズルしてるみたいで、少し罪悪感があるけれど。
「……はぁ」
今夜もいつもみたいに勉強をしているのだが、どうにも集中できない。
それは、最近私の心を妙に埋めている春原蒔月のせいだ。彼女と連絡先を交換してからというもの、いつ連絡が来るかわからなくてそわそわしてしまう。
別に、期待してるってわけではない。ない、のだが。
連絡が来たらすぐに返さないとなんだか悪いような気がして、来るなら早く来いって気にもなって。
シャーペンを転がして、意味もなくスマホを見て。
椅子をぐるぐる回して、ちょっと気持ち悪くなって。
全部春原のせいだって心の中で八つ当たりして。
そうしていると、スマホが震え出した。メッセージが来たというより、これは。私はスマホの画面をタップした。
『もしもし蜜柑? 元気?』
「元気じゃない。色んな意味で」
『え。大丈夫なの? 風邪とか?』
「あんたのせいだから」
『……? 私、何かしたっけ』
「胸に手を当てて考えれば? 心当たりなら山ほどあるでしょ」
『心臓が動いてるってことしかわからないかな』
「もっと色々あるでしょ」
私は小さく息を吐いた。
弱みを握り返して、私に恋を教えようなどという蛮行を止めたい。
それが今の私の目標ではあるのだけど、それはそれとして。一人の人間としての春原蒔月を知りたいと思っている私も心のどこかにいるのだ。
だからこそ、どうにも最近そわそわしているわけで。
……はぁ、ほんと。
春原め。
『あ。いつもよりずっと、ドキドキしてる』
「ふーん。不整脈なら病院行った方がいいよ」
『違うよ!? これは、夜に蜜柑の声聞けたのが嬉しくてドキドキしてるだけ!』
「……そ」
人に好意を向けられたら、普通嬉しいんだろうけど。
やっぱり春原のは嘘くさくてあんま嬉しくない。
今まで関わりがほとんどなかったんだから、好意を持たれる覚えがないし。そもそもの話、好意を示しつつ、一方で私を脅しているってどうなんだ。
DV彼氏じゃあるまいに。
いや、さすがに失礼かな。
いやいや、脅されてるのは事実なんだし、別に。
うむむ。
『蜜柑は? ドキドキしてる?』
「悪い意味でね。……で? こんな時間になんの用なの?」
『ん? 用なんてないよ? ただ、声が聞きたくなっただけ』
「……はぁ」
またそういうことを。
電話越しだといつもよりもっと声が無機質に感じられて、彼女の言葉を信じられなくなる。
ほんと、春原のことはよくわからない。でも、時々向けてくる無邪気な好意とか喜びの類は、きっと嘘じゃない……はず。
春原の、喜ぶこと。好きなこと。
それって、どんなことなんだろう。いや、別に、喜ばせたいってわけではないのだが。
「はいはい。私もあんたの声、聞きたかったよ」
『ほんと? ……それなら、嬉しい』
電話口から聞こえてきた声で、少しだけ鼓動が速くなる。
その言葉が本当かどうかもわからないのに、小さな声で嬉しいなんて言われると弱くて。
なんなんだ私は。
私を脅してくるような相手にこんな。馬鹿だ。アホだ。どうかしすぎていることこの上ない。
「……そっちからかけてきたんだし、何か話せば? 話すことないなら、電話切るけど」
『待って待って。あるから! えっと……』
私は背もたれに背中を預けて、彼女の話に耳を傾ける。
夜にこうして人と話すのなんて久しぶりだ。だからってわけじゃないけれど、ちょっとだけ心がふわふわするような感じがある。
相手が春原だからなのか、そうでないのか。
わからないけれど、こうして電話で人と話すのは、悪くないと思う。
電話越しなら、いきなり耳に触られたりとか、そういうことはないし。
『……ふふ』
「……春原? どうしたの?」
『ううん。なんか、よく考えたらすごいなーって思って』
「すごい?」
『どれだけ離れてても、ボタン一つでこうやって会話できることが』
「……かもね」
どんな時間でも、どんなところにいても。
話そうと思えばこうやって話せるのは、確かにすごいことなのかもしれない。だからこそ、いつ連絡が来るかそわそわしてしまうってのもあるけど。
春原はどうなんだろう。
スマホを前に連絡を待っていたり、とか。
いや、なさそう。待つくらいならすぐに連絡してるタイプだろう、彼女は。
『文明の利器に感謝して、もうちょっと話そうよ。……蜜柑は電話かけるまで何してた?』
「勉強。春原は?」
『わ、真面目だ。私はねー……』
呼吸の隙間に、逡巡を感じる。
普通に話す時より耳に意識が集中するためなのか、相手の呼吸とか、言葉の間がいつもより鮮明に感じられる。
意外と春原は、言葉と言葉の間に考えを挟むことが多いのかもしれない。
その考えの中身を、私は知りたい。
そうすれば。
……そうすれば?
知ったら、どうなるんだろう。
『蜜柑に電話かけていいか、悩んでた』
ぽつり。
無造作に転がしたような、気付かれないようにそっと置いたような、なんとも言えない言葉。
それを拾うかどうかは、私に任せられている。
私は小さく息を吐いた。
「どうして悩むわけ?」
『や、こんな時間だし、迷惑じゃないかなーとか』
「……今更でしょ。脅される方が迷惑なんだけど?」
『うっ』
繊細なのか、めちゃくちゃなのか。
人を脅したかと思えばくだらないことで悩むって、どうなんだ。わからなすぎる。どっちかに振り切っていれば私も普通に接することができるだろうに。
でも、こういう変な人だからこそ、気になるっていうのもあるのかも。
春原はほんとに、変わっている。
私も人のこと、言えないかもだけど。
「……別にいいよ」
『え?』
「いつでも連絡してくれていい。春原が起きてるような時間なら、私もずっと起きてるから。好きにかけてくればいいよ。暇潰しの相手、してあげる」
『……蜜柑』
たくさん話せば、もっと春原のことを知れるかもしれないし。
どうあれ私は春原蒔月のことを知らなければならない。弱みを握る意味でも、もっと別の意味でも。
彼女のことを気にせずに生活するなんて、今更無理だ。このままだと気になりすぎて、生活に支障をきたしそうだし。
癪だけど。
「何? お礼がしたいなら、明日お菓子でも——」
『好き』
「……へあ?」
『そういうとこ、好きだよ。……また、電話かけるね。おやすみ』
「ちょっ——」
口を挟む前に、電話が切られる。
私はスマホをそっと机に置いた。
心臓が、うるさい。内側から破れてしまうんじゃないかと思うくらいに。
好き。
なんの飾り気もない二文字に、何をこんなに動揺しているのか。嘘で言っているように聞こえなかったから? 囁くみたいに言われたから?
よくわからない。しっくりこない。
「う、うむむ……」
なんなんだ、春原蒔月。
私の心をいちいち乱すんじゃない、ほんとに。
「わけわからなすぎるし。……はああぁ」
深くため息をついてから、私は勉強を再開しようとした。
だけど思考が春原に引っ張られて、どうにも集中することができず、そのまま朝を迎えることになった。
これで成績が下がったら全部あの女のせいだ。
いっそスマホなんて破壊してやろうかと思ったけれど、画面に彼女の名前が表示されていると、そんな気も薄れてしまう。
そうして私は、もう一度深くため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます