第2話
恋を食べる悪魔、恋魔。
それが私たちの種族だが、馬鹿みたいな名前に反してできることは多い。例えば人に暗示をかけたり、怪力を発揮してみたり、空を飛んでみたり。
それが現代社会でどれだけ役に立つのかって話ではあるんだけど。
まあ、悪魔としての力なんて、役に立たない時代に生まれた方がいいに決まっているが。
「珍しいね、蜜柑から誘ってくれるなんて」
「愛は相互理解なんでしょ? ハグするだけじゃお互いのこと、そんな知れないでしょ」
「あはは、そうかもね。でも、一ヶ月ハグし続けたおかげで、知ったこともあるよ」
「何?」
「それはねー……」
するりと、液体みたいに私に近づいてきた春原が、私の耳元に口を寄せる。
「蜜柑は、耳が弱いってこと」
「……っ」
ぽしょぽしょ喋られると、くすぐったくて仕方ない。
私は思わず春原を突き飛ばそうとして、止める。
落ち着け。この女の性格なんてわかっている。なんの目的があるのかはわからないけれど、こいつはこういう、奇妙な言動をするのが趣味なのだ。
どんな趣味だって話だけど。
猫女め、と思う。
「あはは、可愛い反応」
「……ぶん殴られたいの?」
「殴るなら顔にしてね」
「それを言うなら、顔以外にして、でしょ」
「せっかくなら皆にもわかる痕がついた方がお得じゃない? 隠したら損だよ」
にこりと笑う彼女を見て、私は引いた。
お願いだから私の半径一メートル以内に近づかないでほしい。
「変態」
「冗談冗談。引かないでよ。せっかくのデートが楽しくなくなっちゃう」
「キモい冗談はやめてくれる?」
私はため息をついた。
「ほら、手。繋ごうよ」
「……絶対やだ」
「え。なんで?」
「今あんたがしたこと、もう忘れた?」
「これくらい友達同士のじゃれ合いだと思うけど……」
「セクハラの間違いでしょ。……もういいから、行くよ」
「あ、待って待って。歩くの速いよ」
春原と肩を並べて、街を歩く。
やっぱり夕方の街は賑やかだ。普段この時間、私は部活動に精を出している。しかし、今日はわざわざ私から春原を遊びに誘ったのだ。
その理由は。
「……? どうしたの、そんなに見つめちゃって」
「別に。顔はいいなって思っただけ」
「ほんと? 私も蜜柑の顔、好きだよ。特に目が綺麗な色でいいと思う」
「……はぁ」
「なんのため息?」
この実態の見えない女のことを、少しでも掴むためだ。
そもそも私は、この女のことを知ってはいても掴んではいない。クラスメイトと話しているところを何度も見たことがあるし、私自身少しは会話をしているのだから、多少は知っている。
でも、知っていても掴んではいない。
こういう状況でこういうことを言うだろうな、なんて予想は立てられても、彼女の本音とか心の奥底にある感情を私は全く掴めていない。
だから今日、少しでもそれを知ろうと思った、のだが。
失敗だったかもしれない。もうすでに疲れてきている。
もっと彼女について掴めていることが増えれば、何か弱みを握れると思うのだが。その前に胃が爆発してそのまま死んでしまいそうだ。
「……春原はなんでそんな楽しそうなの」
「だって、蜜柑と一緒だから」
にこりと彼女は笑って言う。
嘘つきめ、と思う。これでも私は恋を司る悪魔だ。人の好意には敏感だし、恋心を視認することだってできる。
少なくとも春原は私に恋心を向けてきてはいない。
友情とか他の好意に関しても、恐らくないだろう。関わった時間が少なすぎるし、何よりその声からは全く好意が感じられない。
抑揚だけは妙についた、はきはきした声だけど。
機械音声みたいに感情のない声だ。
「……そーですか」
「ほんとなんだけどなー」
「そう思ってほしいなら、普段の態度を改めれば?」
「……今日はどこに連れてってくれるの? エスコート、してくれるんだよね?」
どうやら普段の態度を改めるつもりはないらしい。
私はこれ以上何かを言うのが馬鹿らしくなって、春原の少し前を歩き始めた。
振り返ると、にこにこ笑う春原の顔が見える。あんまり感情がこもっているようには見えないけれど、笑顔は可愛いんだよな、と思う。
まずい。
私も春原に毒されて、変なことを思ってしまうようになっているのかもしれない。
気を取り直して、今日は彼女のことを少しでも掴めるよう努めなければ。
学生の遊びなんて、限られている。私は使える金が無駄にあるけれど、使うかどうかは別で。
結局行く場所といえば、適当な商業施設くらいだ。
なんとなくコスメを見て、ふらふら服やらアクセサリーを見て、ぶらっと本屋に寄ってみたりもして。
思えばこういう学生っぽい身のない遊びをするのも久しぶりな気がする。高校に入ってからはずっと部活ばかりしていたし。
私はちらと春原を見た。さっきと全く同じ笑みを浮かべている。
一体この女の本心はどこにあるのか。私は少し迷ってから、静かに口を開いた。
「春原。何か欲しいものある? 一個だけ買ってあげる」
「え、なんで?」
「……初デート記念。いらないならいい」
「いるいるいる! え、どうしよ。待って待って! 今考えるから!」
春原は急にワタワタし始める。
ここに来てようやく、少しだけ彼女の心に近づいたような、やっぱりそうでもないような。
普段の態度がアレすぎて、今表に出ている彼女の態度が嘘なのか本当なのかわからなすぎる。オオカミ少年が信用されなくなるわけだ、とぼんやり思った。
「そうだ、決めた! 来て!」
彼女は奇妙なテンションのまま、私の手を引き始めた。
手を繋ぐのは嫌だって、さっき言ったのに。少し文句を言いたくなったけれど、あまりにも楽しそうな様子の彼女を見て、私は手の力を抜いた。
嘘にせよ、本当にせよ。
私は今日、新しい彼女を見た。それが弱みに繋がるかどうかはわからないけれど、まあ、楽しいならそれはそれでいい、とも思う。
……私はもしかすると、甘い悪魔なのかもしれない。
甘い悪魔ってなんだとは思うけど。
「ほんとにそれでいいの?」
「うん。これがいい」
春原が選んだのは、そこまで高くもない、ただの香り付きのリップだ。
てっきり彼女のことだから、嘘か本当かわからないような口調で「純金のアクセサリーが欲しい」とでも言うのかと。
千円少しのリップでいいんだ。
「早速使ってもいい?」
「……いいよ。春原のために買ったんだし、存分に使いなよ」
「じゃあ、遠慮なく」
彼女は袋からリップを取り出して、そのまま私の頬に触れてきた。
「え——」
「動いちゃ、綺麗に塗れないよ」
あっと思った時には、淡いピンクの先端が、私の唇をなぞった。
まさか自分の唇ではなく、私の唇に塗ってくるとは思わず、固まってしまう。彼女はどこまでも、真剣な顔をしていた。
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