つよつよ悪魔の私を顔のいいクラスメイトが脅してくるのですが
犬甘あんず(ぽめぞーん)
第1話
恋なんてクソだ。
恋愛という最悪な二文字をこの世から消すことができたなら、私はこの世に未練なんて残さずに死ねると思う。
もっとも、そんなの無理だとわかってもいるのだけど。
「
私という記号を呼ぶ声が聞こえる。
生温かい風みたいな、変な響き。ただでさえ呼ばれたくない名前を嫌いな人間に呼ばれると、余計に腹立たしい。
私は思わずため息をつこうとした。
その瞬間、唇に人差し指が触れる。
「駄目だよ、そんなんじゃ。もっと盛り上がらないと、楽しい恋なんてできないよ」
猫みたいな瞳で私を見ながら、
何をいけしゃあしゃあと。
「……私、あんたと恋するつもりなんてないんだけど?」
「私はそのつもりだけどねー」
「……だったらそのスマホのデータ、消せば? そしたら私もあんたのことちょっとは好きになってあげる」
「それは駄目でーす。鎖がなくなったら、飛び去っちゃうでしょ?」
「鎖なんてなしに、心で繋ぎ止めれば?」
「それ、今してる最中ね」
春原はくすくすと笑う。
状況わかっているんだろうか、こやつ。
力関係で言えば、私の方が上だ。今ここでこの女を始末して、その証拠を隠滅するくらい容易い。なぜなら、私は世にも恐ろしい悪魔なのだから。
「やー、よく撮れてるよね、これ。写真のコンテストとか出したら優勝できたり?」
「……」
春原は笑いながら、私にスマホの画面を見せてくる。
そこには翼を広げて空を飛ぶ私の姿が写っている。
いつ撮ったのか、なぜ気づかなかったのか。色々と疑問はあるけれど、この写真をばら撒かれると何かと厄介だ。今時こんな写真を見て、私が本物の悪魔だなんて疑う人間はいないだろう。
しかし。
ちょっとでも疑問に抱かれると、この学校での活動がしづらくなるのも事実だ。これまで何度も写真を消させようと試みてきたけれど、その全てが無駄に終わった。
結果私は、目の前の猫じみた女に脅されているのである。
いや。
単に脅されるだけなら、まだよかったのかもしれないが。
「あはは、そんな怖い顔しないでよ。可愛い顔が台無しだよ?」
その指が、私の頬に触れる。
写真を盾に、この女がしてきた要求は一つ。
それは——
「蜜柑には、恋を知ってもらわないとなんだから」
私が春原蒔月に恋をすること。
このわけのわからない人間は、何を思ったのか恋を何より嫌っている私に、恋をしろなどと宣っているのだ。
本当に、意味不明にも程がある。そんなことをさせて一体なんのメリットがあるのか。単なる暇潰しのためなのだとしたら、随分と命知らずだと思う。悪魔相手に脅しをかけるなんて、本当に。
「私がもっと悪魔的な悪魔だったら、あんた本当に殺されてるからね」
「今私の目の前にいるのは、蜜柑だよ。私の知ってる高橋蜜柑はいたずらに人を傷つけたりなんてしないし、殺すなんて物騒なこともっての他だね」
「私の……」
私の何を知っているのか。
思わず問い詰めそうになって、やめる。こんなんでも、一応はクラスメイトなのだ。だから知っている。こいつがこういう、適当なことを言う人間だってことくらい。
私はイライラして、そっぽを向いた。
「知ってるよ。蜜柑のことは、人よりね。それより、ほら。今日もちゃんといつもの、しないと」
元々私が悪魔だと疑って、観察でもしていたのだろうか。
だとしたら春原は、相当な変人ってことになる。
まるで雲でも掴もうとしているみたいだ、と思う。春原蒔月という人間の実態が見えてこないし、一体彼女が何を考えているのかもわからない。
別に、わかりたいということもないのだが。
「はいはい。これでいいの?」
私は腕を広げて待っている春原のことを、そっと抱きしめた。
柔らかさと温もりが、体の表面にべったりと染み付くような感じがする。
いつもの、と言えるほどこういう行為を繰り返している、というわけではない。そもそも彼女に脅されるようになったのは、つい一ヶ月前。あれから毎日春原と抱き合ったりはしているけれど、しかし。
全くもって慣れない。人の感触というのは、私にはどうにも毒であるようだ。
触れていると、今にも崩れてしまいそうなくらい脆く感じられて、落ち着かない。
たとえこの女相手でも、やっぱり、いたずらに傷つけたいってわけじゃ——。
私は小さく首を振った。
思考が春原に誘導されている気がする。
私は恐ろしい悪魔だ。その気になれば、今すぐにでも。
「いいね。……蜜柑、シャンプー変えた? なんか、いつもより甘い匂いする」
「キモっ。へし折られたいの?」
「あはは。それもいいかもね」
「いや、ほんとキモいから。あんたほんと、なんなの?」
「なんだろうね? 当てっこゲームしよっか」
くすくすという笑い声が、耳に響く。
もう十分だ。
私は彼女から離れようとするけれど、ぎゅっと抱きしめられて、身動きが取れなくなる。私が変に暴れたら、本当にへし折りかねない。力加減を間違えるほど馬鹿じゃないけれど、万が一ってことがあるし。
いやいや。万が一もへったくれも。
平気で私を脅してくるような人間なのだから、ちょっとくらい痛い思いをさせてもいいと思うんだけど。
まあ、それができる私は、私じゃないわけで。
やってらんない、と思う。
人間に育てられている大型犬って、こんな気分なのかも。……はぁ。
「もっとお互いのこと、知らないとね。愛はやっぱり、相互理解だよねー」
「愛じゃなくて恋でしょ」
「まあま、それはそれとして。……えいっ」
「へあっ……!?」
いきなり耳に触られて、変な声が出る。
こいつ、ほんとに。
「ふふ、変な声。可愛いね」
「……春原」
「蜜柑も私のこと、どこでも触っていいよ」
じっと、彼女の瞳が私を映す。
その瞳は、ちょうど今日の空と同じくらい、一点の曇りもなく透き通っている。どこを触れば彼女の瞳を曇らせてやれるかと思案している間に、彼女の指が私の耳の凹凸をなぞる。
くすぐったさから逃れるために引いた腰に手を添えられると、あとはもう口を引き結んで耐えるしかなくなる。
なんなんだ、これは。
「……蜜柑にはまだ、早かったかな? 今日はここまでにしよっか」
最後に私の耳に息を吹きかけてから、彼女は笑った。
私は思わず耳を押さえた。
「……あんたさ。いつまでこんなことするつもりなの?」
「蜜柑が私に恋するまで」
「春原のこと好き。はい、これで満足?」
「千回言ってくれたら満足するかもね?」
彼女はそう言って、私の隣を通り抜ける。
かしゃん、と教室の鍵を開けて、春原は小さく手を振った。
「じゃあね、また明日」
彼女はそのまま、さっさと歩き去っていく。
私は今日一番大きなため息をついて、その辺の椅子に深く腰をかけた。
「なんなの、ほんと。わけわかんなすぎるんだけど」
言葉にしてみると、余計にわけがわからなくなっていく。
私が恋を知るまで、何度も彼女と触れ合わなければならないなんて。
それじゃ一生このままってことじゃないか。
私は自分の掌を見つめた。
温度は目に見えない。目に見えないけれど、確かに彼女の温度は私の手に残っていて、思わず拳を握る。
こうなったら。
私も彼女の弱みを何か握って、この意味不明な関係を終わらせるしかない。そのためには、今は我慢だ。我慢、我慢……できるだろうか。
「……はああぁ。ほんと、やってらんないし」
私は教室に落ちていた小さな石ころを摘んで、握り潰した。
サラサラと、指先から粉々になった石がこぼれ落ちる。
人間もこのくらい簡単に、なんて。
それはさすがに。
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