第5話 悲恋

 桃太郎は亀に連れられて、竜宮城の天守閣のような場所へやってきた。

 中に入ると、龍が待ち受けていた。

 と言っても大きな体躯の龍が入る部屋ではなく、王座のあるべき位置の向こう側から龍が中を覗き見る部屋という感じになっていた。

「私を助けてくれた者を連れて参りました」

 亀が恭しく口上を述べた。

 龍は鷹揚にうなずいて見せた。

「うむ。話は早駆けの者より聞いておるぞ。楽にしてもらいたい」

 龍はにやりと笑った。

「なにしろわしも座ってさえおらぬのでな。そなたも楽に立ってもらいたい。さて、なはなんと申す?」

「桃太郎と申します」桃太郎はお辞儀をしていった。「小さな村の出身で、こういった場での作法をよく知りませぬので、何卒ご容赦ください」

 龍は面白そうに言った。「その言い口が既に礼儀を承知しているようにも聞こえるがな。小さな村の出身というのが嘘というのでもないのだろう。面白い。どういったことなのか」

 桃太郎な再び内心ではしくじったと思っていた。実際、高級な礼儀作法は転生前も、もちろん転生後もよく知らない。だが転生前の知識でそういった儀礼があることぐらいは承知しているのだ。ある程度はマナーとしてわかっていることもある。だがマナーの多くは歴史的・文化的なものだ。転生前の知識がそれほど役に立つとも思えない。

「不思議な者よな。実に面白い。ぜひこの竜宮城に1年ほど逗留して、時折に話し相手になってもらいたいものだ。その間、亀王子を救ってくれた御礼に食客として迎えようぞ」

「亀王子?」桃太郎は亀を振り返った。「あなたが?」

「これは自己紹介を忘れていましたね。はい、私はこのあたりの亀の王子、亀太子と申します。改めて御礼申し上げます」

「龍の眷属でなく?」

「当惑するのも当然。少しこの世の成り立ちを教えてさしあげろ」龍が命じる。

 亀太子はうなずいた。「はい。龍王さまはこの辺り一帯の海を統べるお方です。ですが海は広く、様々な種族のものがおります。そこで主立った種族のものたちはここへ代表者となる者を送り込み、多くはここでの評議で決しています。多くの種族はまた王制となっています。王がここへ逗留するわけには行かないので、多くの場合には王子や王女に相当する、王位を継承する予定の者がここへ来ます」

 なんと連合国のような制度をとっているらしい。ずいぶんと進んでいる。

 ちなみに地上の人間の国はばりばりの王制で、隣国と手を結ぶこともあるが、基本的に独立の存在だ。いわば戦国時代である。

「その王子を救ってくれたのだ。もし王子にもしものことがあれば、それは大きな問題となったであろう。桃太郎にはたいへん感謝している。そなたには人の身に近い種族の者を案内につけようと思う。参れ」

 龍王が言うと横手より、上半身は人間にそっくりな人魚が現れた。たいへんな美人だった。

「人魚の姫、人誤姫だ」龍が紹介した。「この者に案内を任せる」

「承りました。人魚姫でございます、桃太郎様、よろしくお願いいたします」

「あぁ、こちらこそ」

 桃太郎は絶句していたが、なんとか返答を反した。

 『ここへきて人魚姫まで! 日本の童話でもないじゃないか!』

 彼は内心そう叫んでいた。人魚姫のストーリーはよく覚えていなかった。確か人間の王子様に恋して、魔女に声を売って足を手に入れたんだっけ?

 これほど童話がミックスしてしまうともはや転生者メリットもほとんどないかもしれない。展開が予見できないからだ。


 問題は人魚姫は外見も人となりも桃太郎の好みの女性だったことだ。一目惚れと言ってもよい。更に人魚姫も桃太郎を憎からず思っている様子だった。

 桃太郎は人魚姫に案内され竜宮城での部屋を与えられ、その夜は龍の主催する宴会に参加した。たいへん豪勢な食事と酒が提供された。それを人魚姫が甲斐甲斐しく介助してくれるのだ。

 翌日以降、桃太郎は人魚姫と距離をとろうとしたが、なかなかうまくいかない。そもそも桃太郎は人魚姫を嫌がっているのではないのだし、人魚姫は内心を別にしても龍に命じられた仕事をきちんとこなそうとしているのだ。距離をとろうとする桃太郎の努力は遠慮しているようにしか見えず、彼が思慮深いと相手に見えるだけだった。

 抵抗?もむなしく、二人が恋仲になるのは時間の問題だった。


 だが問題はもう一つある。竜宮城の時の流れは遅いはずなのだ。ここでの1年が地上では何十年にもなってしまうはずだ。1年間も逗留すればまさしく浦島太郎状態になってしまうことはほぼ間違いない。

 だから急いで戻ろうと思うのだが、人魚姫による接遇はどうしてもそういった気持ちを留めてしまうものだった。

 それに急いで戻ってどうするのか、何になるのかというとそれも疑問があった。

 確かに彼は桃太郎だ。鬼退治が求められている(と思う)。だが鬼退治と言っても鬼はあちこちにいるのだ。山賊と同じなのだ。どこかの鬼を退治したからといって地域一帯の治安が良くなるほどのことでもない。別の鬼がやってくるか、代わりに山賊が居着くか。

 それに桃太郎には特殊能力があるでもない。青鬼と対峙してもわかったが、桃太郎では鬼一人と対決するのがやっとだろう。おともの犬にこそ思い当たる節があるが、他のお供である雉や猿にはゆかりも縁もない。


 そうこうするうちに1年が過ぎてしまった。


 ある日、亀が桃太郎の元へやってきた。

 桃太郎は遂にその日が来たのだ、と確信した。

「1年が過ぎたのですね。食客としてここでお世話になるのもこれでおしまいにして、地上へ戻らなければならない」

 亀はじっと桃太郎を見た。この亀も王子であり、非常に才に優れた存在であることはここで過ごしている間にすぐにわかった。その目は桃太郎の心を見透かすようでもあった。

「1年が経過したのは事実です。ですが竜宮城は桃太郎を必ずしも追い出そうとは思っておりません。あなたはよい客人でもあったことですし」

「そうはいっても御礼はもう十分にしていだきました。ここで辞するのが当然でしょう」

「一つ、留まっていただける条件がありますよ?」

 桃太郎は理解できなかった。「どんな条件があるというのです?」

「まさかおわかりにならないとは……」

 亀は首をかしげた。

「いや、それで合点でいくともいえる。人魚姫は日に日に憔悴しているというのはそういうことでありましたか」

「どういうことでしょうか? 確かに私は人魚姫と別れていかねばならないし、それはお互いにとても辛いことです。そうでしょう?」

「はぁ」

 亀は溜息をついた。

「あなただけならともかく、人魚姫もわかっていないとは。あるいはわかっていてなのか。

「桃太郎殿。人魚姫の伴侶を竜宮城が追い出すことはありませぬぞ」

「はぁっ!」桃太郎は思わず叫んでしまった。

 だが亀は気にも留めない。「当たり前でしょう? あなた方が恋仲なことは誰が見てもわかるぐらいのこと。ご承知のように我々は各種族の代表となることを約束された身。ここで伴侶を見つけて帰るというのも珍しいことでありません。異種族間というのはいろいろ難しいことがあるものですが、幸い、人魚と人間では問題がないことは知られています」

「だがしかし」

「だがも、しかも、もありませんよ」亀は首を振った。「1年もここへ留まられたのだ。もうわかっていることでしょうに」


 桃太郎もそれはわかっていた。

 だが彼の悩みはこの1年間で親友と言ってもよい関係となった亀王子にも話していない、彼が転生者であることが複雑にしていた。

 彼は<桃太郎>として生まれたのだ。それは疑問の余地がない。

 桃太郎は鬼退治をする。もしも鬼退治をしなかったら何がこの世界に起こるのだろうか? バタフライ効果という言葉がある。桃太郎が役目を放棄するという事態は決して小さくもないだろう。

 桃太郎は同時に浦島太郎でもあるだろう。いささかストーリー展開は違ったが、明らかに彼の今いるポジションは浦島太郎だ。これまたここで地上に戻らないという選択はこの世界に大きな影響を及ぼす危険性がある。

 竜宮城へ来た頃、桃太郎はこのままどうでもよい、ここにずっと留まっても良いのではないかと考えていた。だから人魚姫に惹かれてもおかしなことではなかった。

 だが人魚姫を大切に思うようになった桃太郎には、この世界を危機にさらすかもしれないことはできなかったのだ。

 人魚姫が大切だからこそ彼は地上に戻る必要があると考えざるを得ないのだった。


 桃太郎は一晩ずっと考えた上で人魚姫に地上へ帰る意志を伝えた。

「地上へ戻るべきだと思うのです」

 桃太郎は真っ青な顔をして結論を伝えた。

「理由ははっきりは言えません。私にも正直なところ断言できないんです。でも」

 人魚姫は悲しそうにいった。「でもそれが正しいと思っていらっしゃるのですね?」

「それが世界のためになる、と。少なくともあなたのためになるはずなんです」

「別れることが?」

「そんなことは言いたくないんですが」桃太郎は唇を噛んだ。「ここに私が留まるのはよくない結果を生むと予感するのです。いや、これは予感とは言えません。かなりの確信を持っています」

 人魚姫は寂しそうに微笑んだ。「わかっています」そういって桃太郎を抱きしめた。「ずっと悩んでいらっしゃいましたものね。決して軽い気持ちでおっしゃっているのではないでしょう?」

「もちろんです」桃太郎は力なくうなずいた。「すみません。こんなことにならないように距離をとるべきだったんです」

「それは違いますよ。違います」人魚姫はまっすぐに桃太郎の目を見ていった。「この1年は決して忘れられるよい時でなかったのですか?」

「いえ、そんなことは」

「では正しかったんです。それでよいではありませんか。私も辛いです。でもあなたも辛い思いをしていて、これ以上は望みません」

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