第3話 青鬼と亀

 鬼が住み着いたものの何か行動に起こすこともない、けれども心配し続けるというストレスフルな膠着状態が更に続いた数日後。

 桃太郎は一人、自宅にそっくりの鬼の家の前に立っていた。

『俺は何をしているんだろう』

 桃太郎は独りごちた。

 生まれてからずっとここは桃太郎の世界だと考えてきた。それが泣いた赤鬼が現れたことで、彼の世界への認識は大きく変化を強いられていた。いろいろと悩んだ結果、泣いた赤鬼のストーリーを終わらせてしまうのが無難だと考えることにしたのだ。青鬼には悪いが、それでも青鬼が害されるというわけではない。最も少ない被害だと言えるだろう。

 そのためには赤鬼と村人の距離を少し縮める端緒が必要だ。

 その上で、このままでは距離は縮まりきらないと青鬼を追い込む必要がある。

 ならば桃太郎が赤鬼と接触し、それでも距離をとると言う様子を見せればよいだろう、というのが作戦だ。


 桃太郎は意を決して戸を叩いた。

「赤鬼さんはいらっしゃるか?」

 しばらく待つと、ドタバタと慌てた足音がして戸がばっと開いた。

 戸の向こうには目を丸くした赤鬼が立っていた。

 赤鬼は身の丈が2メートルもある大男で、屈強な体つきをしていた。いくら桃太郎が体格がよい子どもだと言っても、山のように見上げる存在だった。

「お、お客じんだ!」

 赤鬼は喜びの叫び声を上げた。

「ど、ど、どうぞ。中へ、中へお入りください。今、お茶を入れましょう。菓子も出しましょう」

 桃太郎はかなり緊張していた。そういう芝居を打つつもりだったが、やはり鬼と相対するのは怖かった。なんと言っても彼はまだ子どもなのだ。しかも鬼は人間の大人と比べてもずっと体格に勝っている。

「こちらに住む赤鬼さんですか?」

「そうです、そうです」赤鬼は嬉しそうにうなずいた。「看板を読んでくれたんですね? さぁ、お茶にしませんか」

「看板、読みました。それで覗いてみようと。でも、やはり怖い」

 それは芝居であり、本音だった。

「すみません!」

 桃太郎は踵を返して走って帰った。

 その後ろでは寂しそうな赤鬼が桃太郎を見送っていた。

 更に畑から青鬼が思い詰めた様子でいた。


「俺は悪い鬼だぞぉ!」

 翌日。村に青鬼がやってきた。そして手当たり次第に見えるものを蹴っ飛ばし始めた。いささか芝居がかった振る舞いだったが、鬼の迫力が上回っていた。

「お前たちなんて、俺の敵じゃないんだ!」

 暴れる青鬼に村人たちは逃げ惑った。

 本来であれば村人の方が圧倒的に人数も多い。多勢に無勢で村人の方が戦力はずっと上だ。だが、いかんせん村人は戦いなれているわけでもないし、正面きって命をかけるようなことはできなかった。

 そこへ目を真っ赤に腫らした赤鬼がやってきた。

「な、なにをするんだ、青鬼!」

 どもった調子で赤鬼が叫ぶ。

 逃げ惑う村人は気づかないが、一人平静を保ってその様子を見守っていた桃太郎は赤鬼が泣きはらした顔をしていること、そのセリフも明らかにわざとらしかったことに気づいた。

 おそらく青鬼に説得され、やむなくこの三文芝居に加担しているのだろう。

 青鬼は赤鬼のパンチを受けて吹き飛ぶと、そのまま背を向けて逃げ出した。

「人間に味方する赤鬼め! お前なんか人間と仲良く過ごしていればいいんだ!」

『これほどの三文芝居だったっけ?』

 桃太郎はうろ覚えの昔話を振り返った。もう少し説得力のあるストーリーだったような気がするのだが。

 だがその効果は青鬼の狙い通りとなった。

 村人たちは青鬼から村を守ってくれた赤鬼に心を許した。


『この後の青鬼のことは語られていなかったような』

 桃太郎は気になったので、青鬼を追跡した。

 村で三文芝居を打って逃げ出した青鬼はそのまま村からかなり距離のある海岸までやってきた。そこでやっと休憩すべく腰を下ろした。赤鬼のパンチが効いていたのだろう、肩をしきりに気にしていた。

「これで赤鬼君はみんなと仲良く過ごせるはずだ。これでよかったのだ」

 青鬼は自分に言い聞かせるように呟いた。

「寂しくないとは言えんが、これでよかったのだ。さて、これからどうするか」

 青鬼は何を見でもなく周囲を見回した。

 すると海岸の離れた場所に子どもたちが数名、集まっていた。青鬼には気づいていないようだ。彼らはなにやら足下のものに注目していた。


 桃太郎もその青鬼の視線を辿って子どもたちに気づいた。

 なにやら複数の子どもたちがはやしたてながら、手に棒きれを持って振り下ろしたり、蹴ったりしている。

 子どもたちの足下には亀がいた。

『……まさか、ね』


 青鬼も亀に気づいたようだった。疲れているのだろうに、おもむろに立ち上がると子どもたちの方へと急ぐ。

 子どもたちは亀をいじめるのに集中していて、青鬼が近づくのにまったく気づいていなかった。

「こらぁ! なにをしてる!」

「亀と遊んでやってるだけじゃない……」

 子どもの一人が答えながら、顔を上げた。

 そして巨躯の青鬼が走ってくるのが目に入った。

「うわぁ!」

 子どもたちは蜘蛛の子を散らすように逃げ去った。


『浦島太郎かよ。しかも助けたのは鬼だよ? もうどなってるんだよぉ』

 桃太郎はあまりのことに頭を抱えた。

 転生したら桃太郎だったと思っていた。だが途中から泣いた赤鬼が混じった。そこへ今度は浦島太郎だ。しかも浦島太郎は明らかに主人公が違っている。いくら何でも鬼とは……。鬼が悪いのではないのだが、童話としてはもう滅茶苦茶だ。

 その勢いでついよろよろと隠れていた茂みから前へ出てしまった。


「あんたさんは!?」

 青鬼は桃太郎に気づいた。

「あの村の小童ではあるまいか」

 桃太郎はそのときになって自分の失敗に気づいた。それほど衝撃を受けていた。

 だが今さら隠れたところでどうにもならない。

 青鬼は桃太郎の顔がわかっているようだ。それもそうだろう。赤鬼と青鬼の済んでいた家は桃太郎の住む、爺様と婆様の家にそっくりだったのだ。当然ずいぶんと観察して真似たのだろう。そうであれば桃太郎もよく見かけたに違いない。

 そう考えると、ストーカーにつきまとわれているような気分にならないでもない。ストーカーが鬼 x 2、ずいぶんと迫力がある。気づかなくてよかった。

 その青鬼の足下で助けられた亀も呆然としていた。

 子どもたちから救ってくれたのは強面の青鬼だった。もちろん恩義を感じているが、いかんせん相手の迫力がすごい。食べられてしまいそうだ。いや、もしかしたら助けてもらったのでなくて、食料として奪われたのかもしれない? と思いたくもなる。

 しかもその青鬼は今はこちらに注意を払ってもいない。突然あらわれた人間の子どもの方へ向いていた。

 そのままそっと立ち去ろうかとも思ったが、桃太郎の視線からは逃れられないし、そこまで卑怯者になりたくもなかった。

「えぇ、と。御礼をさせてくださいな」ともかく亀は言ってみた。

「俺を追いかけた来たんだな?」

 しかし、青鬼はそれを無視して桃太郎へ断定するように言った。

「それでどうするんだ。せっかく赤鬼が村人と仲良くできるんだ。邪魔しないでくれよ。それだけは頼む。俺はどうなってもいい」

「何か狙いがあって追いかけた来たんじゃないんだよ」

 桃太郎は言い訳した。

「ただどうするのかなと。好奇心だったんだ。赤鬼のために犠牲になった青鬼。それが次の人生をどうするつもりなのかなと」

「えぇと」亀は困っていた。

「それにその亀。あんたに御礼をしたいってことらしいよ?」

 青鬼はやっと足下の亀へ視線を向けた。「すまないな。無視してしまっていたようだ」

「それはいいんですが。助けていただきありがとうございました。御礼をさせてください」

 青鬼は困った風に頭をかいた。「うーむ。今、その小童のいったように、住処を飛び出してきたところで、このままでは暮らしていけぬのだ。御礼をもらっているようなときでなくてな。目処もないので、少しも時間を無駄にしたくないのだよ」

「そうですか……」亀はうつむいた。

「そんな風にされると困るな。そうだ!」

 青鬼は手をぽんと叩いた。

「代わりにこの小童に礼をしてくれぬか? 口止め料というのではないが、赤鬼のことはそうっとしてやってほしいのだ。代わりに礼を受け取ってはくれぬか?」

 桃太郎は目を見ひらいた。もちろん浦島太郎のストーリーは承知している。

 このまま竜宮城へ連れられ、天国かというような歓待を受ける。だが地上へ戻ると時が何十年と過ぎてしまっている。そして土産にもらった玉手箱をあけると浦島太郎は一気に老人となるのだ。よく考えるとなにが伝えたい寓話なのかよくわからない気もしてくる。亀を助けたのに、最後はハッピーエンドでない。

 ここで断れば、浦島太郎のストーリー展開は不定だ。どうなるかまったく想像もつかない。何事もなくこれで終了するのか、あるいはなにか波及効果が生じるのか。

 桃太郎は浦島太郎のストーリー展開を承知しているので、問題を回避できる可能性もある。そもそも桃太郎としての義務感というか、鬼退治の必然性もそれほど高いとは思えないのだ。確かに鬼は身近なリスクだが、赤鬼青鬼のような変わり者もいる。逆に身近な危険であり、桃太郎がどこか鬼の拠点を叩けば解決すると言った状態でもない。むしろ治安が悪くてあちこちに山賊が出て困っている、と言うのに近いのだ。鬼退治で簡単に解決するような問題でななかった。

「わかりました。亀の御礼というのにも興味はあります」

 桃太郎は決断した。よくわからない世界への転生なのだ。面白おかしくとは言わないが、挑戦的に過ごしてみるのもよいだろう。

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