第34話 第三章 ー11
「ぜったい、お兄様の仕業だわ!」
『株式会社IWASHI』社長の死、さらに、アルに容疑がかかっているということをベロニカに伝えると、彼女はこう言った。その真意は分からないが、言うからには何か根拠があるのだろう。
自らに容疑がかかっていることを知ったアルは迷わず国外へと脱走し、ベロニカの屋敷へと向かった。地球上でこれ以上安全な場所は無い。
「もうアタマに来たわ! 行きましょ、こんな所でくすぶっていても仕方が無いわ。虎穴に入らずんば虎子を得ず、よ!」
ヒステリックに叫びながら足早に廊下を歩いていくベロニカ。
アルは慌ててその後ろを追いながら、
「虎穴に……って、日本に行くつもりですか? 一緒に?」
「当然よ」
振り返らずに即答した後、見てなさいお兄様、と口の中で呟くのが聞こえた。
止めることは出来ない、という諦めが半分であったが、ベロニカの後ろ盾がある、ということは、頼もしくもあった。ベロニカがどうしてもアルと共に日本に渡る、となれば、当然他にも数人が同行するに違いないのだ。そして、航空機その他の裏工作に悩む必要もない。
結局、ボディガードとしてウエスタンローゼスの男が二人、付いてくることになった。ベロニカはアルと二人で、と言い張っていたが、どうやらこればかりは通らなかったようだ。ベロニカの方も予想は出来ていたようで、いつになくあっさりと引き下がっていた。
一路鎌倉へ、と主張するベロニカを何とかなだめて、アルは大阪に潜伏先を置くことにした。
「絶対こんなことするのはお兄様に決まっているんだから、本人に問いただせばいいのよ!」
と、息巻くベロニカであったが、鎌倉のどこにウエスタンローゼスのオフィスがあるのか、という肝心の部分は知らないという。それでも、とにかく鎌倉に行けば何とかなる、と彼女は考えているようだが、おそらくどうにもならないだろう、とアルは判断した。
鎌倉に行ったぐらいで見つかるようなら、スティーブが先に何とかしているはずだ。
「私は少し出てきます。おとなしく待っていてくださいね」
アルはベロニカに言いながら、ボディガードの男達にちらと目を向ける。
二人は軽く頷く。
「ちょっと、どこに行くの? 危険じゃないの? 見つかってしまうわ」
「大丈夫です。すぐ近くですし。それに、虎穴に入らずんば、ですよ」
言うと少し笑顔を見せ、アルは立ち上がった。
ベロニカは口をへの字に曲げ、不満を表明したが、早く帰ってきて、とだけ呟いてそっぽを向いてしまった。どうやら見逃してくれたようだ。
潜伏先にした廃屋は、古いアパートで、以前からアルが目を付けていたものだ。
ここ数年、おそらく人の出入りは無い。
また、若干裏に入りこんだ地所にあるため、見つからないように気をつけさえすれば、誰かに不審がられることも無いだろう。
アルは慎重に辺りを見回しながらそのぼろアパートを這い出し、大通りまで抜けた。
『株式会社IWASHI』社長の死と、アルの指名手配について、ベロニカは完全に兄のもくろみだと決め付けていたが、アルは別の可能性を考えていた。
指名手配を受けた時から漠然と念頭に置いていたこの可能性を確かめるために、一路、サムの住むマンションへと向かっていた。
サムの家から近いということも、潜伏先選びの一つの条件であった。
サムの部屋にたどり着き、インターホンを押すと、しばらくしてサムが現れた。
アルは何も言わずに体を室内へと滑り込ませた。
「お久しぶり」
何も無かったようにこう言ったが、サムはしばらくはその場に立ち尽くし、幽霊でも見るような目で、アルを見つめていた。
「どうして……」
ようやく自分を取り戻したらしいサムが呟いているが、アルはそれには構わずに、言った。
「一つ、お願いがある」
潜伏生活を始めてから、二週間が経過していた。
モンゴルから持ってきた食料が底をついてからは、ボディガードが一人ずつ順番に買出しに出かけた。ガスも水道も通っていないアパートである。当然、調理済みのものばかりになった。
さらに厄介なことは、日増しに上がっていく気温と湿度であった。
額に汗を浮かべながら冷たい弁当を食べ、あからさまにイライラしているベロニカを尻目に、アルはひたすら待ち続けた。
実際、それ以外、打つ手が無かったのである。
ベロニカを連れてきたことが正解だったかどうか、今となっては分からなかったが、終わったことを考えても仕方が無い。ただ、そろそろベロニカ自身の限界が来ることは目に見えていた。
方針の転換が必要かもしれない、ということがアルの頭にちらつき始めた頃であった。
がさっ、という物音が表から聞こえてきた。人の気配だ。
「誰!?」
ベロニカが大声で訊ねる。ボディーガードが慌ててベロニカの口をふさぐ。さらに何事かを叫ぼうと手足をばたつかせる彼女を、男二人がかりで必死に取り押さえている。
アルはゆっくりと扉に近づき、のぞき穴から外を伺う。
人の姿は見えない。
ゆっくりと、ドアを開けた。
と、その隙間から体が入り込んできた。
とっさに押さえつけようとしたアルであったが、すぐにその手を引っ込めた。
入ってきた人物は、ティムであった。
「この場所はサムに聞いた」
と言いながら、部屋の中に入ってくるティム。
怪訝な表情をするベロニカに、ティムを軽く紹介したあと、すぐに用件に入った。
前見たときよりも、ティムは痩せていた。
脂肪が取れて精悍になった、という痩せ方ではなく、頬がこけ、げっそりとやつれたという感じだ。少なくとも体にとって良い変化ではないように見えた。
ティムの話は要領を得ず、さらに時系列もばらばらで理解するのに苦労したが、要するに一言でいうなら、金を貸してくれ、ということだった。
「貯金は? CDの印税がかなりあったはずだが?」
アルが訊ねると、ティムは少しむっとしたような表情で言い返してきた。
「だから、それはさっき言ったタネ代で全て消えたんだ」
『切れる草』を使って航空機ハイジャック、という信じ難い話に乗ったティムに、かける言葉が見つからなかった。普段なら突き詰めて話をするべきところではあるが、今はアル自身がそれどころではない。
『切れる草』については受け流すことにして、アルはかばんから万札の束を取り出し、ティムに手渡した。
ティムは恩にきる、と頭を下げると即座に出て行った。
「象を探しにインドに、って……あの人大丈夫なのかしら……」
ベロニカが呟いている。
ティムの話によれば、インドに『笑うゾウ』がいるという確かな情報をつかんだ、ということであった。
もはや何を言う気にもなれなかったが、一つ、アルにとって衝撃の事実は、以前『神の奇跡』を手に入れるために一役買ってくれた『足の人』がティムであった、ということだ。そして、さらに、そのときの『神の奇跡』所有者の孫の少女が、ウエスタンローゼスによって連れ去られた、という事実。これもアルは知らない。どこかで情報が操作されていたのか、または何者かの意図が介在していたのか、そこまでは今の時点では判断できない。
しかし、今回その少女が瀬戸内海のある孤島に現れ、『笑うゾウ』を探すように、というお願いをしてきたというのだ。
考えられるのは、ウエスタンローゼスがその少女を利用して何かをしようとしているか、もしくは、『株式会社IWASHI』が絡んでいるか、今のところこの二つしか考えられない。
「ちょっと、聞いてる!?」
ヒステリックに張り上げられた声に、アルの思考が途切れた。
「お嬢様、もう少し声を抑えて……」
ボディーガードはタオルで汗を拭きながら、ため息をついている。
ベロニカは無視して、
「いつまで、ここにいるの? もう、あたしは限界!」
と、部屋の中をうろうろと往復しながら時折頭をかきむしっている。
「もう少し、ですよ、おそらくね……それが無理なら」
「無理なら?」
ベロニカが立ち止まり、アルに目を向ける。
アルはにこりと笑みを浮かべ言った。
「モンゴルに帰ってください」
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