第31話 第三章 ー8

 年が明けてからの数ヶ月間、JASTは大小のライブをただ淡々とこなしていた。第十回ロック・イン・瀬戸内海出演の内々定は貰っているとは言え、油断は出来ない。それだけの実力無しと判断されれば、キャンセル、ということもありえるのだ。そのためにも、今は数をこなす必要があった。


 そしてGHホールでの記念単独ライブ当日の朝を迎えた。

 準備に余念のないクリスチーナの元に、組織からの緊急招集命令が下った。

 ライブ当日ということもありバンドの方の仕事で手一杯であったが、午前中のみ、ということでおそらく何とかなるだろう、と予想して仕方なく大阪の組織本部まで赴いた。


「まだ極秘であるが、『株式会社IWASHI』の社長が死んだ。正確に言えば殺された。場所はモンゴル。日時は定かではないが――」


 組織のリーダーは淡々と言葉を継いでいく。最後に、くれぐれも他言しないように、と付け加えて話を終えた。

『株式会社IWASHI』の社長がモンゴルへ視察に行く、という話はずいぶんと前から聞いていた。ただし、その正確な日取りはいかに『猫の額』といえども把握し切れなかった。

 おそらく社長は、側近数人だけに知らせ、ごく少人数で移動していたに違いない。『株式会社IWASHI』の強引なやり方に反感を持つ組織など、『猫の額』以外にも、無数に存在する。そのため、社長は見つからないようにという取り計らいでそのような行動に出たのであろうが、今回は逆にそのことがアダとなった可能性が高い。


 第十回ロック・イン・瀬戸内海まであと三ヶ月。果たしてJASTは何事もなくライブに出演できるのかどうか、彼女の中では不安が広がる。

 まず、『株式会社IWASHI』の後取り息子であるジョニーのことがある。社長が死んだ以上、次の社長として担ぎ上げられる可能性がある。しかし、これまでヒッピーのような生活をしてきたジョニーに社長業など勤まるはずはない。おのずと傀儡となることは目に見えている。


 もう一つ気になる点がある。殺された社長は『鰯社』の時代から一代で今の繁栄を築きあげてきた、ということだ。見た目は派手だが、全ての権力が彼の一手に握られ、そして今の『株式会社IWASHI』の成長自体、彼の手腕のみによって支えられてきたといっても過言ではない。とすれば、その彼なき今、いったい会社がどうなるのか、見当もつかない。一気に瓦解、ということもありえるのではないか、とクリスチーナは漠然と考えていた。


 GHホールへ向かう電車の中、さらに一つの疑問がクリスチーナの頭をもたげてきた。

 忘れかけていたが、そもそもクリスチーナは『株式会社IWASHI』のジョニーを見張るために今のマネージャー業を続けているのである。しかし、今回のことで状況は変わったはずである。そのことに対して、組織からの具体的な指示は何もなかった。

 もっと言えば、もし今回のことで『株式会社IWASHI』の勢力が大幅に衰える、ということがあれば『猫の額』自体の存在価値もなくなる。それこそ、初期の主婦による寄り合い程度の規模で事足りるようになるのだ。

そうなった場合、組織の人間は一体どうするのだ? クリスチーナは一体どうすればいい?


『株式会社IWASHI』の失速、そして瓦解。これは『猫の額』の目的であり喜ぶべき事態であるはずだが、皮肉にもそのときに最も困るのは、『猫の額』自身である。

 おそらく組織の人間は何とかして『猫の額』の存在意義を見出そうとするだろう。そして、新しい敵を設定し、クリスチーナはそちらの担当に移されるのだ。そうなれば、ジョニーもJASTも何もかも、彼女には関係のないものとなる。


 この日、GHホールは超満員となった。

 ロック・イン・瀬戸内海に出演するほどのバンドにとっては、GHホールはいささか狭すぎるのである。


「いやぁ、嬉しいねぇ。またここでライブしてくれるなんて」


 マスターは上機嫌だった。


「ここは俺達の原点だ。日本一になっても、世界一になっても、戻ってくるぜ」


 ジョニーがおどけた調子で言う。

 父親の死を、ジョニーは知っているのだろうか?

 クリスチーナの見たところ、ジョニーにはその様子はない。世間の動揺を考慮し、一般には公開されていない『株式会社IWASHI』社長の死。

 おそらく社内でも限られた人間にしか知らされていないのであろう。その中で、ジョニーにすぐに知らせるかどうか議論が紛糾したことは想像に難くない。

 アルとマスターが奥でなにやら談笑している。内容までは分からなかったが、昔話でもしているのだろうか、と彼女は想像していた。


 アルがこのGHホールのアルバイトを抜けた後すぐ、新しいアルバイトを雇った、という話で、この日訪れてすぐに紹介された。二十歳前後と見られるその青年は、明らかに緊張していて、何度もぺこぺこと頭を下げていた。音響その他、セッティングの方は大丈夫だろうか、とふと心配にはなったが、リハーサルが終わったときには杞憂であることが分かった。


「さすが、マスターが雇い続けているだけのことはある。君は分かってるな。専属として欲しいぐらいだ」


 アルが言うと、青年は謙遜しながら、相変わらず頭を下げ続けていた。


 超満員の観客を、二階のモニター室から眺めながら、クリスチーナは厭世観を感じていた。最近ではどのライブに出演しても、超満員の観客に迎えられることが多くなった。


「僕はこの日が来ることを、知っていたような気がする。アルがJASTに加入した時からね」


 マスターは表情を変えずに、そう言った。


「僕の目は節穴じゃあない。一時のブームで終わるようなメンバーじゃないことぐらい分かる。そうだろ? 願わくば、十年後も五十年後もここで、彼らの姿が見られますように」


 誰に向かって話しているのか、クリスチーナには分からなかった。

 と、SEの音が次第に小さくなってきた。

 それに反比例するように、客席からの歓声が膨れ上がっていく。

 皆、彼らの登場が近いことが分かっているのだ。


 幕が開き、煌びやかな白色のライトが、一気にステージを照らし出す。

 軽快なドラムの音が空間に響き渡る。

 サムとアルが二人、両サイドで淡々としたリフを刻み始めた。

 一瞬静まり返った会場が、その次の瞬間には最高のボルテージへと駆け上がっていった。オールスタンディングの聴衆たちは皆、前へ前へと体を躍らせている。

 大仰なタム回しを合図にして、脇からジョニーが飛び出してきた。

 両手を天高く掲げながら、マイクスタンドまで進み、雄たけびを上げる。


「お前たち! 今夜は帰れると思うなよ!」

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