第29話 第三章 ー6

 ベロニカは一ヶ月に一度ほどこの支部に訪れているようであったが、アルはバンドの練習やその他の用事などで、結局日本では一度もベロニカには会っていない。事前に連絡をもらえれば予定を空けることは出来るのであるが、いつも突然の来日なのである。

 スティーブとベロニカの兄は和やかに談笑している。内容は世間話の域を出ていない。スティーブにとっても、彼との謁見は初めてだということであった。多少の緊張は感じられた。


「ところで、私も一度、鎌倉にある支部に顔を出したいんですけどね。詳しい住所ってのは教えてはいただけないんでしょうか?」


 和やかな雰囲気のままに、スティーブはこう言ったが、その途端にベロニカの兄はむっつりと口を閉ざし、


「それはならん」と言った。


 沈黙が流れた。スティーブも口を開けないようだ。


「あの、少しよろしいでしょうか?」


 アルが口を挟むと、ベロニカの兄はまた表情を崩し、笑みを浮かべた。


「何なりと、遠慮せずに申すがよい」


「それでは聞きますが、ベロニカ嬢と、ゲームをしていますね。その――」


 アルが言い終わる前にベロニカの兄は立ち上がった。その表情には明らかな怒りが浮かんでいる。


「ならんならん! その前に、なぜヌシがそのことを知っているのじゃ! ああ、もうよい。下がるがよい。余は大変気分を害した!」


 その言葉に、アルより先に先にスティーブが立ち上がり、申し訳程度に頭を下げると退室した。アルは「失礼しました」と一言残してスティーブの後を追った。



 この日の夜、大阪でスタジオ練習の予定が入っていたアルは、そのまま電車に乗ろうとしたところで、スティーブに引き止められた。彼の車で送ってくれるということであった。初めは遠慮していたアルであったが、どうせ通り道だからという言葉に甘えることにした。

 珍しく自分で運転しているスティーブは、不機嫌さを隠そうともしていなかった。


「シット! だいたいからして、誰に会っても馬鹿ばっかりだ、ウエスタンローゼスの連中は」


「そうですか? それでも彼らが今の世の中のシステムを司っているんですよね」


「そんなものは歴史が長いからにすぎん。しかし、どんなに繁栄を誇っていた帝国であろうとも、腐敗すれば一気に瓦解する。ウエスタンローゼスの時代もそう長くはないってこったな。次は――」


「『株式会社IWASHI』の時代ですね」


 アルが代わりに後を引き継いだ。


「そうだ。ウエスタンローゼスに取って代わり、わが社がこの世界を支配する。その日もそう遠いことではない」


 スティーブが真顔で言った。

『株式会社IWASHI』が世界進出を果たしたのはつい数年前である。これはその規模から考えるとずいぶん遅いように感じられるが、食品事業はともかくとして、出版業、音楽産業というそれぞれの国特有のものという性質が強い事業をを手がける関係上、無理からぬことではあった。

 スティーブの話によれば、最近ではその事業内容をさらに多角化させるため、高分子材料関係の製造を始めようという動きがあるということだ。全く未知の分野ではあるが、以前から専門の技術者をヘッドハンティングして開発は進めていたと言う話だ。

 そして半年ほど前、全く新規の性能を持ったポリマーを、開発したということであった。『鰯触媒重合』と名付けられた重合方法で作られたそのポリマーは、非常に強いゴム弾性を示したということで特許申請がなされ、現在注目を集めている。

 面白いのはその重合方法である。基本は従来のウレタン系の重合方法そのままであるが、そこに触媒として「鰯」を放り込む。鰯に含まれるある成分を、というわけではない。頭から尻尾まですべて揃った鰯をそのまま重合タンクの中に入れるのである。どういうわけか、いい具合に架橋反応が進行し、ついには非常に強いゴム弾性を示すに至ったということである。ゴキブリでもカマキリでもなく、秋刀魚でも蛸でもなく、鰯なのだそうだ。

 しかし、その使い道には未だに疑問符がついている。性能をもてあましているのである。いくらすばらしい物でも、ニーズがなければ企業としては全く無駄なものである。

 しかし、スティーブに言わせれば、


「ニーズは探すものではない。作り出すものだ。そういう意味では、性能さえ群を抜いていれば、後はどうとでもなる」


 とのことであった。その時は実感としては理解しがたいものがあったが、今となってはその意味が分かる。先程のカンキリと同様の理論である。ニーズがなければ、それが必要となるような新しい規格を作り出してやればよいのだ。

 しばらく黙り込んでいたスティーブであったが、


「この前の話だがな」と、おもむろに話し始めた。


「ジャック・Bの話ですか? 何者か分かりましたか?」


「と、その前に、一つ分かったことがある。WRTだが、私達が付き合いのある街は、その新興勢力側なのだ」


「新興勢力側? となると、当然旧体制側のWRTも存在すると?」


「WRTという名前で呼んでいるのかどうかは分からんが、そういうことになるな。それで、今現在、その新興勢力側と旧体制側とは犬猿の仲である、というわけだ。既にウエスタンローゼス内部で分裂が起こってきているということだそうだ。まぁ新興勢力、と言っても我々の感覚とは違う。300年から500年ほどその対立は続いているのだそうだが」


「それで、ジャックはその旧体制側の人間というわけですか」


「確証があるわけではないが、その可能性が高いということだ。今までにも何度となく彼がWRTに侵入した形跡はあるそうだが、いかんせん証拠がない。やむなくこれまで放置されていたというわけだ」

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