第28話 第三章 ー5
年が明けてから一週間ほど経っていた。
世間では、そろそろ仕事始めといった頃合である。
アルはウエスタンローゼス奈良支部に足を運んでいた。
ベロニカの兄が来る、ということで、顔を見せておくことにしたのである。スティーブに勧められたこともあったが、そうでなくても会っておく必要を感じていた。
その待ち時間、垂れ流されているテレビ番組に何となく目を向けていると、そこには今年最初のビックニュースとして「変わる缶詰」というロゴが躍っていた。
缶詰の規格が大きく変更されるという内容であった。その新しい缶詰を用いることで、保存性能はそのままに、缶の開けやすさが従来よりも二割アップ、というデータが提示されている。ただし、従来のカンキリが使用できなくなるため、消費者は新しい規格に対応したものを購入する必要があるとのことである。
「何の変哲も無い、ありふれたニュースに見えるかい?」
背後から、声が聞こえた。スティーブの声だ。
アルは振り返らない。
スティーブがアルの隣に腰を下ろした。
「分かりませんよ、私には」
アルが呟く。
「食品会社が共同で開発した新規格、と銘打ってはいるが、実質的には我が『株式会社IWASHI』単独といっても過言ではない」
『株式会社IWASHI』がやると言えば、他の食品会社は否とは言えない。それほどの権力を持っている会社であることは周知の事実だ。
「新しい規格に合ったカンキリの特許はわが社が持っている。つまり、おそらく日本国民がこぞって買い求めるであろうカンキリの利益を、ほぼわが社が独占できる、と」
「缶詰の新しい規格よりも、主目的はそちらにあるわけですね」
スティーブはそれには答えず、
「世の中、主流派に組み込まれた方が、何かと得をするわけだ」と言った。
ベロニカの兄は予定より数時間遅れて現れた。途中で個人的に寄り道をしていた、という理由であった。
待っている間、スティーブはしきりに時計に目をやり、時折舌打ちをしていた。おそらく次の予定が迫っているのだろう。
「お、苦しゅうない。余はいわゆる権力者達のように敷居を高くするつもりは無い。何なりと遠慮せずに言うがよい」
どこからか流れてきたホーミーの音と共に姿を現したベロニカの兄は、アルとスティーブに対し、こう言った。
二十代後半から三十代前半の人間を想像していたアルであったが、その予想に反して、見たところ四十は超えているように感じた。最も、ベロニカの歳を自分と同じ、二十代半ばと仮定したときの予想であり何の確証もなかった。この程度の歳の差はそれほど不思議と言うこともない。逆に、ベロニカが四十に近いという可能性も捨てきれないが。
「今回の来日の目的を伺いたい。お忍びで、と聞いていますが」
スティーブが切り出した。
ベロニカの兄は少しむっとした表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻り、
「単なる視察じゃ。それ以上の理由などありはせぬ」
「そうですか」
言うとスティーブはすぐに引き下がった。
「鎌倉の方にも我がウエスタンローゼスの支部があることは知っているであろ。もともと余はそちらの管理をしていたのであるが、やはりこのグローバル化の進む世の中、そうも言ってられんであろ」
どういう意味で「グローバル化」と言っているのかはアルにはよく分からない。言っている本人もよく分かっていないのではないかと思えた。
「ベロニカは」ベロニカの兄は続けざまに口を開く。
「我が妹は、定期的にこちらには顔を出しているのかの?」
「そのようです。詳しくは知りませんが。何せ私も多忙な身なので」
スティーブはそう言って愛想笑いを浮かべる。
ベロニカがこの支部に現れる時は、どこからともなく『オーバー・ザ・レインボウ』が流れてくるという話を聞いたことがある。
ベロニカの兄はひきつけのような笑みを見せ、その後ベロニカについての他愛の無い昔話を披露し始めた。どうやらアルが考えたように、歳の離れた兄弟だったようだ。
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