第24話 第三章 ー1
ウランバートルでの初ライブをアクシデントによる途中退場という形で終わらせてから数日後、日本からの緊急連絡が入った。「すぐに帰国せよ」とのことであった。
その時点でもアルは姿を見せておらず、ティムは女の尻を追いかけ、ジョニーは失踪。
サムはウランバートルでのバンド活動自体が失敗ではないかと薄々感じ始めていたので、この連絡はむしろ彼を安堵させるものであった。クリスチーナに会える、ということも彼の心を弾ませた要因であった。
WRTを無事逃げおおせてから、ジャックとは一度も会っていなかったが、それはそれでいい、とサムは感じていた。
「このことを、出来れば日本で広めてほしい。ウランバートルにこのようなミステリアスな都市があることを」
ジャックは別れ際、こう言った。
もともとそれが彼の目的だったのではないか、と一瞬考えたが、そのままうやむやになっている。そもそも、広めることがジャックにとって何の利益があるのか分からない。
これ以上関わりを持つべきかどうか、サムは迷っていた。
確かに、あの都市がジャックの言う「世界の仕組み」を司っているというのは事実なのだろう。そうでなければあれだけの広大な都市が公になっていないはずはないのである。
しかし、そのことと、サムが今後行動を起こすかどうかとは、別問題である。その時は感覚が麻痺していたが、帰国した今となっては、あのWRTでの逃走劇は悪夢としか思えない。世界が違う、というのが、正直なところであった。
帰国してから、まだ誰にもあの出来事については話していない。
クリスチーナには伝えるかどうか迷ったが、結局何も話さなかった。無かったことにしてしまおう、という意識が働いていたこともあった。
そんなうやむやな気持ちを抱えていたサムであったが、
「来年の第十回ロック・イン・瀬戸内海への出演依頼が来た」
というクリスチーナの言葉に、WRTのことなど頭から吹き飛んでしまった。にわかには信じられない話だったのである。
『それならウランバートルへ』の売上が急激に伸びていることを知ったのはそのすぐ後であった。深夜のテレビで、注目の新人としてJASTが取り上げられていたのである。放映されることを聞いていなかったため、突然ブラウン管に写った自分の姿に、呆気にとられてしまった。
テレビに出ている、と思わずジョニーに電話で伝えたサムであったが、ああ、それは知っているよ、とあっさり返された。
「それよりも『第九回ロック・イン・瀬戸内海』を見に行こう」
ジョニーのこの提案にサムも同意し、他のメンバーにも伝えた。
クリスチーナはもちろん行く、と即答してきたが、ティムは音信不通。また、少し遅れて帰国したアルは、最終日なら行けるという回答を示してきた。
結局アルに合わせて、最終日に行くということにしたのであったが、その朝、数十分遅れてきたアルは、恐縮した表情で、
「すまない、こちらの都合で日程も合わせてもらったのに」と言った。
ジョニーは笑いながら、
「まぁ、いいんじゃねぇか? 雰囲気だけ体験しておくってことだし。来年に向けてね」
と応じた。
ジョニーはアルに対し怒っているのではないか、という心配もあったが、杞憂に終わった。逆にいえば、怒るほどの間柄でもない、ということだろう。バンドとはそういうものだとサムと同様ジョニーも割り切っているのではないだろうか、とふと思った。
実際にアルに会うのは、久しぶりだった。
よく考えてみれば、ウランバートルで姿をくらましてから一度も会っていないのである。その間一体何をしていたのか、全く聞いていない。聞く必要もない、と考えていた。
臨時増便のフェリーに揺られ、会場に到着したときには、既に昼をまわっていた。そのこともあってか、すでに会場は混沌とした空気に包まれていた。ビニールシートを引き、その上で眠り込む人達が溢れる大通りを進むと、小さな池がぽつぽつと見受けられるようになった。
その周辺ではほぼ全裸の男女が絡み合うように寝そべっていて、本当にここは日本なのかと目を疑うほどであった。
「ひゃは! いいねぇ、サイコ―だぜ」
ジョニーが突然走り出し、そばにあった池に飛び込む。
周囲の喧騒をかき消すような水音と共に、その辺り一帯に水飛沫が飛散した。
「何するんだ、馬鹿!」
「死ね!」
突然のジョニーの凶行に、池のほとりで静かに日光浴を楽しんでいた男女数組が、あわててその場を離れている。それでも飛沫の被害にあっている人も何人かいる。
ジョニーはぽっかりと池に仰向けに浮かびあがり、罵声を完全に聞き流している。男女はあきらめたのか、去っていく。その池にはジョニーだけが残った。
「見事に場所を確保したわけか。さすがだね、ジョニー」
アルが小さく手をたたく。
この池からだとメインステージははるか彼方にかろうじて見ることができる、という程度だったが、さらに前方に進んでも座る場所が確保できる望みは薄い。それほど、人で溢れているのである。
「まぁ、この辺りでいいんじゃないかしら? 目当てのバンドが出てきたときだけ前まで見に行けばいいわけだし。その間は私が留守を見ておくわ」
クリスチーナが軽い調子で提案した。
三人は同意して各々荷物を降ろし、座り込んだ。
ステージに目を向けると、数人の人間が上がって機材チェックしているのが見えた。歪んだギターの音が一瞬響く。サムの好みの音ではない。
と、ジョニーが池から上がり、シャツを脱いだ。上半身は裸だ。持参していたらしきタオルで無造作に髪を拭き、すぐにメインステージ方向に走り去って行った。
「『にわとりヘッズ』か」
クリスチーナがぼそっと呟いた。
その名前は、ジョニーから何度か聞かされていた。
赤く染めたモヒカンがそのトレードマークだったが、最近はボーカルとその他バックのバンドメンバーの不仲説が流れている、万年中堅のバンドだ。おそらく結構な年齢のはずだ。
ドラマーがスティックを掲げながら袖から出てきた瞬間、所々で歓声が上がる。
続いて、ギタリストとベーシストが登ってくる。顔までは確認できないが、赤いモヒカンは健在のようだ。
ボーカルが出てくる前に、演奏が始まった。
そして前奏が終わる直前、マイクを持ったボーカリストが勢いよく現れた。お決まりのパターンだ。
と、どよめきが起こった。
ボーカルだけ、髪を赤く染めてもいなければ、モヒカンでもない。
ジャンルはパンクロックだったが、噂によれば、彼だけはもっとポップな音楽へと路線を変更したがっている、という話である。さっぱりと下ろした黒髪は、その意思表示なのだろうか、と一瞬だけ考えたが、そこで思考を停止して視線を外した。
JASTにしても、音楽の趣味はばらばらだ、ということにふと思い当たった。
「アルは、どんな音楽が好きなんだ?」
サムは、なんとなく口にした。今までアルの口から好きな音楽ジャンルはおろか、アーティスト名すら、聞いたことがない。
「私は、音楽は聴かない」
「聴かない? って言っても、何かあるでしょ? 好きな音楽って……」
アルは少し片眉を吊り上げて、
「音楽は、仕事でやっているだけだ。好き嫌いの問題じゃない。……今回の出演アーティストでも、知っているバンドはほんの数バンドだ」
それでは何のために? という疑問を口に出しかけたが、止めた。
サムはパンフレットを開き、そちらに目を向けた。彼が目当てとしているバンド『割れない眼鏡』が、『にわとりヘッズ』の下に載っていた。つまり、次に出演するというわけだ。
「じゃあ、そろそろ『割れない眼鏡』が出るんで、行ってくるよ」
サムが立ち上がると、クリスチーナが笑顔を見せる。
「私も一緒に行こう。――ちなみに、どんなバンドなんだ?」
アルが腰を上げる。
「古いバンドだよ。やっている音楽も旧態依然としたロックンロールだ」
一時期の『割れない眼鏡』ブームを、アルは知らないのだろうか? と首を傾げるサムであったが、そのことについて、あえて言及はしなかった。
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