第22話 第二章 ー14

「そんなたいしたことではありませんよ」


『神の奇跡』と呼ばれる馬を手に入れ、子供のように浮かれるベロニカに、アルは涼しく笑いかけた。


「たいしたことよ! 今まで誰が行ってもダメだったのに、不思議だわ。無理矢理奪えばいいっていう人もいたけどね。あたし、嫌だったの。あたしのために、誰かが不幸になるなんて」


 ベロニカは契約書をしげしげと眺めている。

 そこには、『神の奇跡』は我々が守るといった趣旨のことが書かれているはずである。その契約書を見る限りでは極めて穏便にことが進んだと判断できるはずだ。

 アルは数日間ベロニカの屋敷の一室を自分の部屋として使用することを許され、そこで生活していた。軟禁されていたとも言えるが。


「しかし、本当にどうやったのですかな?」


 元甲冑の男が、不思議そうに首をひねっている。


「私も始めはどうしようかとしばらく悩んでいたんですけどね。ちょうど運良く、ある男が『神の奇跡』についての情報を持ってきたと聞いたものですから、ちょっと利用させていただいたまでですよ」


「……詳しいことは聞かない方が良さそうですな」


 男はアルには視線を合わせずに言った。

『神の奇跡』が何者かに狙われている、何とか守れないだろうか、という趣旨の報告が入ったということを聞いた瞬間、アルは一計を講じた。

 その狙っている「何者か」もウェスタンローゼスの一員であることは言わずもがなであるが、それは伏せておいて、守るという約束をする、とその男には伝えたのである。そして後日契約書を持っていく、と、その『神の奇跡』所有者には伝えることをくれぐれも忘れるな、と言っておく。


 ここで重要な点は、『神の奇跡』の所有者がウェスタンローゼスに精通しているという事実と、その所有者に『神の奇跡』を守ると約束する人間と契約書を持っていく人間とは別人でなければならない、という点である。

 まず、ウェスタンローゼスには嘘の概念がない、ということが全ての大前提として存在する。そして、『神の奇跡』所有者もその事実を知っていた。とすれば、そのウエスタンローゼスの一員の口から、「守る」と聞けば、信用せざるを得ない。そして、後日、何の疑問もなく、契約書にサインすることになるのだ。「馬を連れて行き、その上で守る」という趣旨の契約書に。


 しかし、ウエスタンローゼスは人を騙すことは出来ない。つまり、『神の奇跡』所有者に対し、守る、と「約束した男」は契約書を持ってはいけない。それでは彼は嘘をついて所有者を騙すことになるからだ。

 そこで、全く別のウエスタンローゼスの男を準備する。彼には、契約書にサインされれば、その内容に従って『神の奇跡』を連れて来るように、と命令しておく。そうすれば、所有者がいくら泣き叫ぼうともその男は命令に忠実に動き、『神の奇跡』を奪い取ってくるはずだ。誤解されていることもあるが、ウエスタンローゼスは嘘をつかない、というだけで決して善人というわけではない。上からの指令には時に非情な行為にもおよぶのである。


 しかし、一つだけ、不安要素があった。

 それは、「約束した男」とは全く別の男が契約書を持っていった時に、その所有者がそれでもウエスタンローゼスだから、という理由で信用するかどうかである。冷静な人間なら、そこで少し疑いを持つかもしれない。

 この点だけは結局どうにもならずに運を天に任せていたのだが、後から聞いた話によれば、そこにはどうも込み入った事情が介在したようで、それは逆にアルにとっては嬉しい誤算となった。


 ここでもう一人、「足の人」と呼ばれる第三者が登場するのである。

 その「足の人」はどうもその所有者の娘が目的で、足しげくそのゲルに通っているという話であった。

 そしてアルの誤算は、「約束した男」が「足の人」に『神の奇跡』を守ることを約束し、さらに「足の人」が所有者に、その話を持っていったということである。つまり、所有者は「約束した男」には直接会っていないのである。


 さらにそのような状況のもと、「足の人」が不在のゲルに「契約書を持った男」が赴いたのである。『神の奇跡』所有者は、彼こそが「約束した男」に違いないという勘違いを起こし、嬉々として契約書にサインをしたのであろう。

その後のことは、アルの預かり知るところではない。とにかく、仕事は終了したのだ。


「あの、そろそろ戻ってもいいですかね?」


 アルの言葉に、一瞬戸惑いを見せた元甲冑の男であったが、すぐにその意図を悟ったようで、


「ああ、自分のゲルに戻られますか?」


「ええ、だいぶ長いこと留守にしていますし……」


 他のバンドメンバーのことが脳裏をよぎる。どう言い訳すればよいものか、全く思いつかない。これは今回の仕事よりも難しいかもしれない、とアルは自嘲の笑みを浮かべる。


「スティーブ氏にはまだ連絡がついていませんが、まぁしかし、この仕事を見事貫徹したら自由の身である、ということは彼も了承済みですので、ご自由に」


 元甲冑の男はおどけたような表情で言った。

 ベロニカは一瞬だけアルに視線を向け、


「また来てね!」


 と、一言だけ口にして、そのまま『神の奇跡』と戯れている。

 アルは軽く会釈すると、すぐにその場を後にした。

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