第14話 第二章 ー6
「まるで、『そして誰もいなくなった』みたいだ」
ジョニーは言うと、ただおかしそうに笑っていた。
いったい何がそんなに面白いんだ、とティムはジョニーを見つめる。予想通りジョニーは視線を向けることもせず、一人で先に行ってしまう。
普段なら文句の一つでも言ってやろうかという状況であったが、この時のティムは違っていた。アルに続いてサムまでが姿を消してしまったという非常事態のさなかにあっても、何はともあれレイチェルなのである。レイチェルに比べるとバンドなどただのお遊びに思えてくる。このまま定住して毎日水くみをしながら馬の世話をする。
そして毎日レイチェルの笑顔を見ながら過ごすのだ。ティムはそんなことを本気で考え始めていた。
「今日もいい天気だ、早くライブがやりたいねぇ……」
ジョニーがぽつりと呟く。
ティムは思わず振り返った。何となく、いつもと違った空気を感じたのだ。
「練習すらまともにやってないからな」
ティムが言うと、ジョニーは少し疲れたように微笑みながら、
「俺達、何しに来たんだと思う?」
「何しに……って、そりゃバンドだろう。それから……え、と、秋の野外イベント参加」
思い出すまでに一瞬の猶予があった。忘れかけていた、と言っても過言ではない。
ジョニーは少し安心したような表情で頷くと、
「そうなんだけどねぇ、何か、どうもこう、しっくりこないんだよ」
「何が?」
「何が……何が、か」
と、そこまで言うと突然、ジョニーは何かをこらえるように口を押さえながら、それでも抑えきれないのかクツクツと笑いはじめた。嫌な笑い方だ。
ティムは視線をそらした。そんなことよりレイチェルである。よく思い返してみれば、看病してもらったお礼をまだしていない。今日工場で会ったら真っ先に言いに行こう、と心の中で幾度もシミュレーションを繰り返す。
工場に着き所定の位置に付いたティムは、さっそく視線をうろつかせレイチェルを探す。何度か監督官に注意を受けたが、そのつど自分でもなんと言ったのか思い出せないようなよく分からない言い訳をしてその場をしのいでいると、そのうちに何も言われなくなった。それでもティムは、ただひたすらレイチェルを探し続けた。目の前で商品が滞ろうとも、何度タンクをひっくり返そうとも、何も気にならなかった。
そんなティムの気持ちとは裏腹に、レイチェルの姿はどこにも見当たらない。そんなはずはない、と何度も視線をさまよわせるが、徒労に終わった。
仕事を終えると、とるものもとりあえずティムは工場を飛び出した。
ティムは走った。
道ですれ違う人々からは奇異の視線を感じたが、それどころではなかった。もしかしたらもう二度と会えないかもしれないという漠然とした不安が、脳裏を駆け巡っていた。
町はずれにたどり着き、アーケイドをくぐる。
荒涼とした草原にぽつりと佇むゲル。そこにレイチェルがいるはずなのである。
ティムはさらに速度を上げた。
地面の凹凸に足を取られ何度か転びそうになったが、何とか持ちこたえた。
徐々に薄暗くなっていく視界の先で、ゲルがだんだん大きく形を成してきた。
と、老人の姿と共に、数人の男のシルエットが浮かび上がってきた。レイチェルはまだ見えない。男達はティムに気付いたのか、何事かを叫び始めた。
それでもティムは走っていた。ランナーズハイにも似た、今や怖いものなど何もない、という根拠のない自信が彼の体中を駆け巡っていた。
「足の人!」
「ちィ! またか!」
男達は口々に叫ぶ。
どうやら、この前の男達のようであった。
ティムは老人の前へ走り、かばう様な形で即座に立ち止まろうとしたが、一度動き出した彼の手足を止めることは至難の業であった。このときティムはティムではあったが、どこか別の世界からのパワーを確かに受け取っていたのである。
ティムは老人の脇を猛スピードで駆け抜ける格好となった。そのまま、二人の男の脇も駆け抜けた。ちらと視界の隅に入った男達は、ただ立ち尽くしていた。わけが分からない。体が言うことを聞かない。
その瞬間、「待って」という声が背後から聞こえた。
レイチェルの声だ、と判断した時にはティムの体は向きを変えていた。真っ直ぐに、声の主へと突進を開始。呆気にとられ固まっているレイチェルの前へ体を滑り込ませる。
ティムは悪党だと思われる男二人を睨みつけ、
「ぼく……はっはっ、」
体から急速に力が抜けていく。息が出来ない。
周囲を包んでいた騒音が消えうせ、自分の鼓動だけがやけに耳の奥に響く。
視界が端の方から砂嵐になり、どんどん狭まっていく。
これはまずい、という思考もどこか遠くへと去っていく。
誰かが、自分を呼んでいる声がする。
どこからか、「わけが分からないが……」という声が響く。
「今日はこのぐらいで……」という音声。
網膜に一瞬レイチェルらしき人影が映ったような気がしたが、それもシルエットになって消えていった。
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