第11話 第二章 ー3

 アルが連行されたのは、ひときわ巨大な岩山にぽっかりと口を開けた穴ぐらだった。そのすぐ脇に車が停められた。スーツの男が車から降り、続けてモンゴル人二人がアルを引きずるようにして下車した。


「手錠はかけない。逃げるなよ」


 長身の男はそう言うとぎろりとアルを睨みつける。


「逃げませんよ」


 両サイドをがっちりとモンゴル人二人に挟まれ、後ろにはスーツの男が控えているのである。逃げられない、というのが正しい。

 アルが自嘲の笑みを浮かべると長身の男が、


「それを聞いて安心した」とアルのそばを離れ先に穴の中へ入っていく。


「それじゃあ」と小柄な男の方もアルに背を向ける。


 なかば解放されたような状態のアルが呆気に取られて立ち尽くしていると、背中に圧力を感じた。腰骨のすぐ上の辺りに何か硬質なものが突きつけられているのが分かった。


「逃げるなよ」


 すぐ背後から呟くような男の声が聞こえた。

 アルは無言で頷くと目の前の洞穴へと足を進める。

 中は予想よりも広く所々に提灯のようなぼんやりした明かりが灯っている。カシミヤ地の絨毯が敷きつめられた地面には、工場で目にしたアイラグのタンクに似たものや大小さまざまな器が散乱している。ほんのりとしたアルコール臭がアルの鼻腔を刺激した。


「宴のあと、といった感じですね」


 アルがぽつりと呟く。


「宴だったらさぞ酒も美味かったろうよ」


 横穴から出てきた長身の男が言う。


「へへ、こいつまた失敗しやがって、ヤケ酒さぁ」


 小柄な男が長身の男を見上げながら笑顔を見せた。


「で、ウマを」とすぐに話を続けようとした瞬間、


「お前達はもういい、部屋に戻れ」とスーツの男が有無を言わさない口調で二人を制した。


 小柄な男はびくりと体を震わせ口を閉ざす。長身の男と目を合わせ頷くとそれぞれ別の横穴へと戻っていった。

 その姿を見届けたスーツの男はアルを振り返る。

 アルは少し首をかしげて笑みを見せた。

 男はしばらくその場に立ち尽くしたままアルを見つめていたが、奥へ行くように、という手振りをした。アルはそれに従い足を進めた。

 先程まで運転手であった男が、いつの間にかスーツの男の脇に従えていた。

 最奥の横穴にたどり着くと突然、


「持っているものは全て出してもらう。と、それから服もだ」


 と、スーツの男がアルに言った。

 運転手が着替えらしき布をアルの方へ差し出してきた。白のシャツとジーパンのようだ。

 アルは言われるまま荷物を差し出し、着替えを済ませた。

 運転手はアルの荷物一式を抱えて無言で去っていった。

 アルとスーツの男は横穴に入る。

 入り口に一つ明かりがぶら下がっている。カシミヤ地の絨毯が敷かれている以外は何も無い殺風景な部屋で、スーツの男はアルを正面から見据え言った。


「さて、これでお前は本当の意味で逃げられなくなった。われわれ『株式会社IWASHI』からな……ユーアンダスタン?」


「そうですね。まぁこの場所からは簡単に逃げられそうですが」


「ほぅ?」


「まず、あなたが出て行った後、先程の二人に『必ず戻ってくるからここから出してくれ』とでも言えばいい。そうですよね?」


 スーツの男はにやりと笑う。


「グレイト! いや、その通り。あの連中は誰かが黒と言えば白いものでも黒くなる。……そんなものは青くもなれば時と場合によっては虹色にもなる。そんな世の中で、つくづく変わった連中だよ」


「虹色にも、ですか……さすが、世界の『株式会社IWASHI』は言うことが違いますね」


「誉め言葉と受け取っておこう……で、どこまで知っている?」


 アルの脳裏に、一瞬クリスチーナの姿が浮かんだ。後をつけ全てを暴いたあの晩、クリスチーナの口からも全く同じ言葉を聞いた。


「何も」アルは鼻で笑い「ただの売れないバンドマンですから」


「そうか……まあいい。それは調べれば分かることだ」


 質問を続けようとするスーツの男を制してアルが訊ねた。


「馬、とさっきの彼が言いかけましたよね。馬がどうかしたんですか?」


 男は一瞬言葉に詰まるが、取り繕うように言う。


「その話をするかどうかは、今後のお前の行動次第だ。……もっとも、お前が立場的に『白』なら、という前提だが」


「個人的には灰色が好きですが」


 アルが言うと男は鼻で笑って背を向け、そのまま去っていった。

 持ち去られた荷物には身分証も入っているため、この場からアルが逃げたとしてもそれは一時的な逃避に過ぎない。『株式会社IWASHI』にとって人一人をこの世から亡き者にすることなど造作もないことだ。

 アルは地面に横になり目を閉じた。

 父親のことが頭に浮かんだ。それはモンゴルに来てから一日に一度は必ず浮かぶイメージだった。

 暗い部屋で一人座り込んでいた父。仕事一筋で酒もギャンブルもやらなかった父は、ある日突然解雇を言い渡され職を失った。工場労働者であった彼は他の生き方を見つけることが出来ず、結局近所の駐車場の警備員として時給で働いている。収入はこれまでの三分の一以下だった。

 その原因に迫りつつある、とアルは感じていた。

 モンゴルの工場で見たことについて、父親の口からは何も聞けなかった。アルを巻き込むまいとする父の考えが分かったためそれ以上は追求しなかった。


「ウエスタンローゼスと『株式会社IWASHI』か。……おもしろい」


 アルは思わず呟いていた。

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