第10話 第二章 ー2

 連日ウランバートルの市街地に繰り出していたアルは、人々の会話に頻繁に登場するある話題に惹きつけられていた。


「ウエスタンローゼスがやってくる」


「やつらがやってくる」


 泣く子に対して、「良い子にしてないとウエスタンローゼスが来るよ」という母親を何度か見かけた。すると嘘のように泣き止むのだ。


 ウエスタンローゼスが来る、とは何なのだろうか、アルはひとしきり頭をひねる。日本で言ういわゆる「鬼」のような概念的なものだろうか。それにしては「やつら」と複数形の呼称が存在することが不可解だ。概念や象徴のようなものなら「やつ」となるはずだ。

 アルはこれ以上考えても無駄、と判断し、次からその言葉を耳にした際には その発言者に説明を求めることにした。

 数日かけて尋ね歩いたアルであったが、ウエスタンローゼスとは何なのか、というストレートな問いに対して納得のいく回答は得られなかった。


「嘘をつくとやつらに連れ去られる」


「恐ろしいやつら」


「ひいじいさんから聞いた」


 どれも伝聞に過ぎず、ただの都市伝説なのか、と少し興味を失ったアルは翌日からバイトをすることになっている工場へ顔を出すことにした。元々『株式会社IWASHI』関係の工場へ潜り込み情報を集めることこそが、今回の主目的である。


 クリスチーナに対し口止め料としてウランバートル行きを提案したアルであったが、いかに『猫の額』の財力を利用するとは言え早期の実現は不可能だろうと予測していた。まずバンドをウランバートルへ送ることに対し、クリスチーナが組織に納得のいく事情説明をする必要があるのだ。

 その辺りの詳しい事情は分からないが、クリスチーナの方からバンドで、という条件を提示してきたからには、おそらく何らかの考えがあってのことなのだろう。


 いくらイベント参加のためとは言え、バンドをウランバートルへ飛ばすなど普通に考えれば不自然極まりない。組織の中にも不信感を持つ人間がいるかもしれない。その覚悟はしていたが、同時に、何か問題が発生したとしても仕方が無いという開き直りもあった。結局は動くしかない、と割り切っていたのである。


 アルが工場の門をくぐり受付へと向かうと、ちょうど男二人とすれ違った。一人は現地人風の男で腕に髑髏のタトゥーが覗いていた。モンゴル人としては珍しいほどの長身で浅黒い肌をしていた。少しその後姿を眺める。確信は無いがもう一人の男からは日本人的な雰囲気を感じた。顔形というよりもそのスーツ姿に親近感を覚えたのだ。門の外に停まっていた車から人が降りて来る。迎えのようだ。


 アルは背を向け受付に向かう。

 ひとしきり挨拶を交わした後、何となく気になったアルはすれ違った男達のことを尋ねた。


「ああ、日本の方ですよ。『株式会社IWASHI』関係の方で、こちらにはたまに顔を出しています。生産ラインの定期見回りに来られているのだと思いますが」


「もう一人の方は? モンゴルの方ですよね?」


 このアルの問いには、受付の女性は首をひねるのみであった。

 アルは振り返る。すれ違った男二人は車の前で雑談している。と、アルの横を小走りで通り過ぎる小柄な男が一人。反射的にその腕に目をやったアルはそこにも髑髏のタトゥーを見つけた。その上部にはW.R.の文字。

 アルは瞬時に判断を下し受付に言う。


「あ、と、初日から申し訳ないんですけど、明日私は休ませていただきます。他の三人は来ると思いますので」


「えっ?」


 あっけにとられ言葉を失う女性に背を向け、アルはすばやく周囲を見回す。

 後から追いついてきたタトゥーの男が車内へ足を踏み入れた。最初にすれ違った二人の男も乗車済みであろう。

 と、門から小型のバイクが入ってきた。その後部に変則的に取り付けられたタイヤ付き荷台の上には、タンクが3本載っている。バイクはアルの隣をすり抜け、受付の前で停車した。男がバイクから降りた瞬間、アルは地面を蹴った。


「すいません。すぐ返しますので」


 男は振り向きはしたが、そのまま固まっていた。目の前で何が起こっているのか理解していない様子だ。

 アルは車体の赤いボタンに手をかけ、荷台の連結部にあるフックを足で蹴る。予想通り、フックが外れバイクが荷台から離れた。アルはそのままシートにまたがりクラッチを繋いだ。体に鈍い振動が伝わり、バイクは一気に加速する。背後から誰かの叫び声が聞こえたような気がしたが、アルは振り返らずに前方に意識を集中する。


 男達を乗せた車が出てから1分ほど経っただろうか、と頭の中で見積もりながら門を出て方向転換すると、視線の先に目的の車が走っているのを見つけた。そこまでのスピードは出していないことを確認して一息ついたアルは、一瞬だけ辺りに目を配りすぐにギアを上げていく。

 ウランバートルの繁華街では車も散見され、また人通りも多かったため尾行に気づかれた可能性は低い。


 しかし一歩郊外に出ると、見渡す限りの草原の真ん中を真っ直ぐに道が走っていた。視界に入る限り、目の前の車とアルのバイク以外目に付くものは無い。感づかれるのも時間の問題だ。

 ただ、そこで向こうが何かアクションを起こす、ということはつまり何かやましいことがある証拠にはならないだろうか。アルは様々な思考を巡らせながら、車の後ろ百メートルほどの位置でバイクを走らせていた。


 しばらくはそのまま走り続けていたが、視線の先で目的の車が明らかに速度を落とし始めた。そして停車した。辺りには何もない。理由として考えられるのは、突然用を足したくなったかそれとも――


 アルが考えを整理する前に、下車した男二人により道が封鎖された。タトゥーのモンゴル人二人だ。

 アルはバイクを脇に停めシートから降り、


「こんにちは。いい天気ですね」と笑顔を見せた。


「なぜ後をつけた?」


 長身の男が単刀直入に言う。

 小柄な方は腕を組み、アルを睨み付けている。


「後をつける? 何のことでしょう?」


 通用するはずが無いことは分かっていたが、とりあえず知らぬフリを通すことにしてみた。


「あまりにもいい天気なので、ドライブを楽しんでいただけですよ。ただたまたまあなた達の車と同じ方向だっただけです」


 アルは笑顔でさらりと言う。

 長身の男はしばらくアルを見つめていたが、


「そうか、それは失礼した」と背を向ける。


 小柄な男の方も「悪かったな」と背を向け車に戻ろうとした瞬間、


「ンなわけあるか!」


 勢いよく反対側のドアが開き、スーツの男が姿を現す。ちらとアルを一瞥して、二人のモンゴル人に目を向ける。


「二人して納得してどうする。……それでだな、もし片方が納得して引き下がろうとしたとしたら、もう一方は間髪入れずに『ンなわけあるか』、だろうが……全く、ボケと突っ込みの概念ぐらいしっかり把握しておけ」


 男は腕を組み説教を続ける。

 アルは取り残されたような違和感を覚えながら、その場に立ち尽くしていた。

 小柄な男が反論する。


「でも、あいつがそう言ったんですぜ」


「そうです。あいつが言ったんです」と長身男も続く。


 スーツの男は一瞬言葉に詰まり、ため息をつく。


「ウソに決まってるだろうが……なぁ?」


 と、アルに目を向ける。

 アルは反射的に「はぁ、そうですね」と答えてしまう。

 その瞬間、二人のモンゴル人は目を見開く。


「……どういうことだ、それは」


「さっぱり分からん」


 何が? と思わず聞きかけたアルであったが口にはしなかった。


「だから、この男が、お前達を、騙すために、ウソを、ついたんだ」


 スーツの男は文節ごとに強調する。

 それでも二人の男は口々に、さっぱり意味が分からない、と首を振る。

 スーツの男は「言い方を変えてみよう」と一息ついて、アルを指差し続けた。


「この男とこの男を乗せたバイクは、工場を出てから今まで、私達の車と全く同じ道を通り、全く同じ場所にたどり着いた。ユー、アンダスタン?」


 二人が激しく頷く。


「で、百歩譲ってあいつがただドライブをしていて、たまたま私達と同じ道をたどってきたとしよう。で、お前達はどうしてあいつを止めようとしたんだ?」


「それは、この先にあるアジトを見られては困るからでやんすが」


「そうだな。で、万歩譲ってこの男が偶然そこまで来るとするわな。そしたら、どうなる?」


「アジトを見られるでやんす」


「そうだろう。じゃあ、どうするんだ?」


「捕まえなけりゃならんです」


 二人の男は互いに目を見合わせて大きく頷くと、アルを振り返った。

 スーツの男もアルに視線を向け、


「だそうだ。気の毒だが捕まってもらう」と笑みを浮かべた。

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