第5話 第一章 ー5

 その日は夜遅かったということもあり、それ以上の話は無かった。次の日の練習ではティムも姿を見せ、一通りの曲を合わせた後、何点かの修正ポイントを出し合った。練習の間中、ティムは一言も口を開かずただ淡々とスティックを振っていた。それがいつも通りの事なのかアルには判断できなかったが、サムとジョニーには特に気にする様子が見られなかった。


 そして当日、『クリスチヌス』結成史上初となる4人編成でのライブは、開始2曲ほどは微妙な盛り上がりとなった。ジョニーの痛々しい姿に、ファンが少し引いてしまった、とアルは分析した。音楽的には全く問題なくやれている、という判断をしていたアルは、特に何をすることもなく、淡々とルートを刻んでいた。


 アルの分析は正しかった。曲を重ねるごとに、拍手の数が増え客からの熱気が肌に感じられるまでになってきていた。アルにとっては久しぶりの感覚であった。

『クリスチヌス』というバンドの中でベースがどういう役割を担っているか、アルは完全に理解していた。それは突き詰めて言えば「何もしない」ということである。


 ベースから解放され、不自由な左腕を抱えながらも颯爽と舞台上を踊るジョニー。一人ひたすら自分の世界に浸り早弾きを繰り返すサム。以前ほどの生気が無いとはいえ、その体に染み付いたタム回しと手数の多さは健在であるティム。

 そんな中、負けじと自己顕示するベースでは駄目だ、とアルは考えていた。他の三人を生かすためのベースプレイをする必要がある。そのためにはひたすらルートを刻み、要所のみ、ティムに合わせてアクセントを付けてやればよい。それも極限までシンプルにしてやる必要がある。

 2度目のライブでも淡々とベースとしての職務を全うしたアルは、その打ち上げの席で、左腕のギブスが外れ包帯のみとなったジョニーに感謝の意を伝えた。その時、ジョニーの方からその先もベースとしてバンドに残って欲しいと言う要求があった。アルにとっては意外な提案であった。GHホールの仕事がある、ということを理由に辞退すると、ジョニーはすぐに引き下がった。これもアルにとっては拍子抜けするほど意外な、ある意味では潔い態度であった。

 その夜、一人で帰途についたアルは、背後から呼び止められ振り向いた。ティムであった。

 ティムはその視線を左右にうろつかせ、しきりに辺りを気にしている様子であった。

 アルは、少し早足で歩くティムにしばらく付いていった。

 ついに何かを打ち明ける決心が出来たのだろう、とアルは理解した。以前のティムを知っているアルにとって、現在の鬱々と押し黙ったティムの態度は明らかに不自然であり、何か理由があってのことだと薄々感じていた。


「クリスチーナが怪しい男と会っていた。間違いない、この目で見たんだ」


 興奮を抑えきれない、と言った様子のティム。

 アルはしばらく思考をめぐらせた後、ティムから詳しい話を聞くことに決め、アルのアパートまで連れて行った。


「今から話すことは誰かに聞いたことじゃなくて、俺が自分で見たことだから、信用してくれ」


 そう前置きすると、ティムは話し始めた。


 クリスチーナの身元についてアルは今まで気にしたことはなかったが、ティムの話によれば一人暮らしのようだ。『クリスチヌス』のマネージャー以外に特にバイトをしている様子がないにも関わらず、どこからその資金が入ってくるのか、かなり高級なマンションに住んで、高級な食事をしている、とのことであった。


「ほら、数年前、工場が建つやら建たないやらで噂になったあの地域、あそこのマンションに住んでるんだ。周辺住民の反対も多かったらしいけど、結局一番の原因はあそこのマンションが立ち退きを拒んだからだっていう専らの噂……知ってるだろ?」


 アルはもちろん知ってます、と答え、先を促す。


「で、これは全く信憑性の無い話だけど、工場を建てようとした側は、そのマンションを買い取るために、通常の倍以上の金を積んだけど駄目だった、ってさ。噂だからまぁだいぶ尾ひれがついてるだろうし、どこまで真実なのか分からないけど」


 その後のティムの話の内容は何月の何日にどんな男に会っていた、といったような状況の羅列に過ぎず、クリスチーナが成金の娘でただの遊び人である、としてしまえばそれまでのような内容だった。

 それでも、アルはティムの話の途中から、手帳にメモを取っていた。一笑に付すことも出来たが、そうはしなかった。アルは頭の中でいくつものシミュレーションを行っていた。聞き流している部分に、何か重要な秘密が隠れているかもしれない。


 ティムの話は尽きることなく続いた。胃の中に溜め込んでいたものを全て吐き出そうとでもしているかのように、アルに口を挟む隙間を与えない。話しているうちに、ティムの表情に少しずつ以前のような自信が垣間見られるようになっていた。


 ちょうど朝日が差し込んできた頃、話し終えたティムは晴れやかな笑顔を見せアルのアパートを出て行った。

 一人になったアルは一旦は横になったが、隣接する国道からのあまりの騒音に睡眠をとることを諦めて机に向かっていた。


「いつも、誰かに会うのは夜中……か」


 唯一アルが見つけた不自然とも取れる共通点、それは男と会うときは必ず夜中である、ということであった。ただ、それはティムが目撃したのが夜中だけであった、という条件付きでの共通点である。

 そして、いわく付きの高級マンション住まい……。

 そこまで考えたアルは、手帳を閉じ布団にもぐりこみ目を閉じた。

 もう少し様子を見よう、という結論に達したのである。


 ティムのこの話よりも以前から、クリスチーナには何かある、とアルは漠然とは感じていた。しかし、この「天性の勘」ともいうべき掴みどころのない感情は、アルにとっては嫌悪の対象であった。その感覚にティムの証言という具体的な事実が加味されることで、アルの中ではようやく意味のある事柄として成就することになったのである。


 二週間後、アルの抜けた『クリスチヌス』はジョニーのベースボーカルに戻り、GHホールでのライブを行っていた。ティムには以前の生気が戻り、いつにも増してその手数は多い。

 打ち上げはいつものように最寄りの居酒屋『弦』で行われた。アルは仕事が残っている、という理由で打ち上げに参加せず、GHホールの一室で息を潜め、クリスチーナが帰途につくのを待っていた。その部屋の窓から、ちょうど『弦』の出入り口が見下ろせたのである。

 ティムからの告白を聞いてからこれまで、アルは独自に調査を進めていた。結局、クリスチーナの正体について、真相を突き止めるには至らなかった。唯一分かったことと言えば、クリスチーナの住むマンションについてである。巧妙にカモフラージュされてはいたが、その裏にはある組織の影があった。数年前から巷の話題にも上がるようになってきた、反『株式会社IWASHI』を掲げる一派である。

午後9時を回った頃、表通りにクリスチーナが姿を現した。一度も振り返ることなく、早足に夜道を歩いてく。

 アルは即座に立ち上がるとGHホールを後にした。

 大通りを歩いているうちは、断続的にではあるが照明が設置されているため、うかつに近寄ると見つかってしまう恐れがある。アルはそう考え、視界の限界まで離れて歩いていた。クリスチーナの姿はシルエットしか確認できない。

 夜目にも幾分慣れてきたアルは、少し辺りの様子を伺う。

 すでに繁華街は抜けており、その寂れた風景の中で空き地や駐車場がちらほらと目に付いた。

 アルは前方に目を戻す。

 と、クリスチーナのシルエットが消えている。

 しまった、と口にした瞬間にはアルは行動を起こしていた。

 閑散とした大通りである。そこで人が消えたとなれば、答えは一つしかない。

 アルは瞬時にそこまで判断し、脇道へと入る。

 奥に人影が見えた。クリスチーナかどうかは分からない。人影が、さらに脇道へと消える。アルは速度を上げた。人影が消えた方角へと曲がるが、そのシルエットは確認できない。アルは勘を頼りに少し進むが、道は予想以上に入り組んでいた。アルは捜索を打ち切り、もと来た道へと引き返す。

 もし、クリスチーナが自分を撒くためにわざわざその入り組んだ路地裏におびき寄せたとしたら、撒いた後は元の大通りへと戻る可能性が高い。うまく追いつくことが出来る確立は低い。それでも、このまま当ても無くさまよい歩くよりは幾分かはマシだ、と判断したのである。

 アルは音を立てないように気をつけながら脇道を急ぐ。

 と、静寂の中に突然、甲高い物音が響き渡る。とほぼ同時に、地面を蹴る規則的な靴の音が、かすかではあるがアルの耳に届き、そして遠ざかっていく。

 アルは小走りで後を追い、大通りに出た。

 一瞬、シルエットが視界に入り、そして消える。アルはその消えた方角を目だけで確認すると、気づかなかったフリをして大通りを逆向きに歩く。しばらく歩いた後、ゆっくりと脇道に折れる。すぐに身を翻し、息を潜めた。案の定、人の気配を感じる。意図的にアルを付けているような動き方だ。

 やはりクリスチーナには何かあるのか?

 アルは胸の高鳴りを抑えながら、大通りへと身を躍らせた。


「あ、……あ、」


 目の前で口を開いたまま、男が立ち尽くしている。


「……サム」


 打ち上げ会場にいるはずのサムが、呆然と目を見開いてアルを見つめていた。


「もう打ち上げは終わりですか?」


 アルは笑みを作る。

 サムはようやく落ち着いてきたらしく、少し視線を逸らし、息をついている。


「クリスチーナを追ってここまで来たんです。そしたら、誰か怪しい……あ、いや、男がクリスチーナの後をつけているようだったので」


 サムがちらとアルに視線を向け口ごもるが、アルは笑顔を崩さず言った。


「クリスチーナ? 彼女も『弦』を出たんですか? 私はマスターに届け物だったんですが。ああ、そういえば、さっきあの路地裏で男とすれ違った気がします。ひょっとしたら……」


「やっぱり」


 サムが口を挟む。


「その男が、クリスチーナをつけていたんですよ。どこに行ったか分かりますか? どの方向、というぐらいでいいんですけど」


 いつになく声を荒だてるサムに、アルはゆっくりと首を振る。


「でも、物騒ですね、こんな夜中に若い女性の一人歩きは。いつもは送っているんですか?」


「たまに、一緒に帰るぐらいです」


 サムはそこで一度は口を閉ざしたが、すがるような目をアルに向けると、再び話し始めた。


「今日のことは特別ではないんです。いつも、この時間になると彼女は一人で帰ると言って聞かないんです。ああ見えて我が強いところがありますから……いつも打ち上げの途中で一人だけいつの間にかいなくなることをご存知ですか? で、今日はこっそりとあとをつけていたんです。彼女の身の安全のこともありますし、それから……」


 サムが口ごもる。

 彼の懸案はクリスチーナの浮気、ということだと瞬時に悟ったアルは、曖昧な相槌を打つと、言った。


「まぁ今日は遅いですし、後で電話するということでどうでしょうか?」


 この言葉にサムが納得して大通りを繁華街へと進む。

『弦』へ戻るのだろう。

 アルはしばらく共に夜道を歩いていたが、マスターからの頼まれ事を思い出した、とサムに伝えると、答える暇を与えずに身を翻した。

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