外伝エピソード

五丈麻子 外伝1・懐かしき街への再訪

 2月14日、世間ではバレンタインデーとして騒がれる日。そんな中でその騒ぎとは全く関係なしに、表札を一軒ずつチェックして回っている人物がいた。


「確か、人に聞いた情報だとこの辺りって話だったんだけど……。9年もご無沙汰だから地理感に自信ないなぁ」


 茶色の、厚手のコートを羽織りその上から大きいリュックを背負って周囲の家々をチェックして回っているこの人物は五丈麻子。

 以前はこの街に住んでいたのだが9年前に東へ2つ離れた市町村へ引っ越しをしており、今は自由に出歩けるようになったので久しぶりに足を運んだのだ。


「『深沢』または『園川』のどっちかの表札さえ見つかれば目的達成まであと一歩なんだけど、似たような家屋ばっかりでわかりにくいっての!」



 今、麻子がこうして歩き回っているのには勿論理由がある。一昨日まで彼女はメイドとしてある人物と主従契約を結んでいたのだが、突然地下室に連れ込まれた。

 その部屋には青少年にとって相応しくないような物体が壁や床に所狭しと設置されており、壁面には鎖に繋がった鉄の枷までも……。

 この時点で既に嫌な予感が満載だった麻子、そして主人からの要求は見事に予感的中し彼女の貞操を要求してきた。その瞬間、今まで多少の無茶な要求は我慢していた麻子も流石に限界が訪れた。


 その数分後に地下室は半壊、殆どの魔力を消費し大量の汗を流しつつも麻子は自分に嵌められるはずだったと思われる壁面の枷に気絶した元主人を繋ぎ、サインを交わした契約書をその場に破り捨て、地下室を出た後に自身の持ち物を回収してその家を速やかに離れた。


 遂にやってしまった、契約破棄。このまま黙っていても数日はバレないだろうが、少なくとも麻子自身のメイドとしての評価は間違いなく下がるだろう。母である未千恵も女性なので理由を話せばわかってくれるとは思うが、このまま付近に留まっていてもどうしようもない。


(悪い噂が立つ所に留まりたくはないし……。そうだ、せっかくフリーになったんだからあの街に戻ってみようかな。思い出の地に行ってみるってのもたまにはいいよね)


 全く想定になかった、自由行動のチャンス。こうして麻子は数ヶ月ほど仕えていた主を見限り、幼少の思い出が残る街『神鳴町』へと足を運ぶ事になった。





 2日後の現在、電車に乗って神鳴町へとやってきた麻子はすぐに目的地である深沢家・あるいは園川家が見つかると思っていた。

 しかし現実は甘くなかった、町自体がかなり広いのだ。加えて子供の頃の不確かな記憶しか頼れるものがなく、探索は想像以上に難航した。

 朝早くにホテルを出て電車に乗り、早い時間に神鳴町についたというのに今はもう午後3時間近。今の時期の肌を刺すような寒気も相まって、これ以上の探索は身体が持たなくなりそうだ。

 独力だけでの探索を遂に諦め、麻子は周りの人を頼る事にした。すぐ近くにいた人に尋ねてみると、既に目的の町番地には到着済みで後は表札さえ見つかればという位まで近付いていた。

 だが、肝心の表札が未だに見つからず、既に麻子の心は限界に達しようとしていた。


(やばい、このままじゃ身体が冷えきって最悪凍死しかねないわ……。一回どこかのコンビニとかに入って、身体を暖めるついでに情報を集めた方がいいかも……)


 凍え死ぬのはいくら何でも御免被る。現状のままでは考えもうまく纏まらないし、情報も足りていない。

 そう思った麻子は、付近のコンビニに入って暖をとる事にした。



 コンビニに入った麻子は暖房のきいた屋内の暖かさに有り難みを感じつつ、店内で軽く食事を取る事にした。探索を開始する前に買っておいた食糧は既に食べ尽くし、いい加減お腹が減っていたのだ。


 お弁当とおにぎりに麦茶、あと何故か板チョコを2枚購入し店内のイートインコーナーで少し遅い昼食と言うか、おやつと言うべきか。

 かなりお腹が減っていた麻子は、周囲の目も一切無視して食事に没頭した。


 だいぶお腹が落ち着いてきたところで、情報を得るために周りの人に話しかけようと考えた麻子。


「そこのあんた。悪いけど隣の席、座らせてもらうぜ?」


 その時、隣の席に誰かが座った。声を掛けられたのでその方向を振り向き、思わず麻子は固まってしまった。


「え……。あ、アンタ……もしかして……!!」


 肩まで伸びた薄茶髪に黒い瞳、黒い長袖の学生服。どこにでもいそうな汎用的な格好。だが感じた衝動のままに麻子は尋ねた。


「間違ってたらごめんなさい。アンタ……じゃないわ、貴方。名前は深沢尚人、で合ってるかしら?」


 確証など一切ない、完全に勘に任せた質問。だが、件の男性は驚いていた。


「俺のフルネームを知っているとは、凄いじゃないか。ただの女性じゃなさそうだけど、何者なのか教えてくれないか」


 いきなりフルネームを言い当てられた事により、無意識のうちに警戒心を高めて目付きが鋭くなる男性こと尚人。その眼差しを直で見てしまい、一瞬怖さを感じる麻子だが怯まずに返答をする。


「もう、4年前まではビデオ通話で一応顔合わせしてたのに、わからなくなっちゃったの?」


「4年前まで、ビデオ通話……?……え、その黒髪ツインテールに青い瞳……、まさか、麻子か?」


「そうよ。あたしは、アンタの幼馴染の五丈麻子よ。自分で気付いてくれたのにはホッとしたわ」


 少しのヒントを与えた事で、自力で正解に辿り着いた尚人。もしもの場合にはもう少し具体的なヒントを提示するつもりでいたが、そこまでは必要なかったようだ。

 相手の正体がわかった尚人は、目付きを通常の柔らかい眼差しに戻す。


「驚いたな、最後に顔合わせした時はまだ中学生だったよな。正直見違えたぞ、その髪型も前より長くなってるし」


「そりゃあ当然でしょ、寧ろ4年の間に何一つ変化がなかったら色々おかしいっての。……背丈だって、結構伸びたし」


 久しぶりの再会を果たし、喜びあう2人。

 

「それで、学生服を着ているって事は今は学校帰り?」


「そんなところだな、ついでに買い出しもしてきたところだ。ウチ、訳あって今は俺1人だから」


「1人暮らし!?……ねぇ、この後一緒についていっていいかな。実はアンタの家を探してたんだけど、子供の頃の曖昧な記憶しか手掛かりがないからすっかり迷っちゃって」


 尚人が1人暮らしをしている事に驚きつつ、確実に目的地へと行く為に同行をお願いする麻子。


「俺の家に辿り着けなくて困ってたんだな、別に拒む理由もないしついて来て問題ないぞ」


「良かった、探しているうちにコート着ていても身体が冷えてきてどうしようかと本気で困っていたの。もうすぐ食べ終わるから、その後で出発しましょ」


 お願いを受け入れてもらった事で気分が良くなった麻子は、その後残った食事を一気に食べ尽くし、大変上機嫌でコンビニを後にした。



「こっちだ、俺から離れすぎないようについてきてくれ。……そう言えばさっき、冷えるって聞いたが使い捨てカイロでも持っておくか?通学中に持ち歩いてるんだけど」


「是非とも!今年はとても寒くて、本当に参っていたの」


 現状の防寒対策が不十分だと思い知った麻子は、喜んで使い捨てカイロを受け取った。すぐにカイロを振ったり擦ったりして、暖かさを確保する事が出来た。


「はー、温い温い。コートの下ももう少し重ね着出来れば良かったんだけど、あまり着過ぎると肝心のコートが着れなくなるから困りものなの」


「着過ぎ注意って、何を着ているんだよ……」


「え、言ってなかったっけ?メイドなんだからメイド服に決まってるじゃないの。……って、ごめん。その反応だと本当に言ってなかったようね」


「メイド服かぁ、確かにあんまり重ね着すると服にシワとか残りそうだしなぁ。……ってえっ、メイドやってんのか?」


 麻子の現職に驚く尚人、だが麻子はその反応に頭を抱えた。


「あのねぇ、うちはそういう家系だって以前にも言ったでしょ。五丈の女は、職業選択の余地はほぼないのよ」


「……ああ、そういえばそう言っていたな。段々思い出してきたぜ……お、そろそろ俺の家が近くなってきたぞ」


「えっ、もう!?まだコンビニを出てそんなに歩いてないのに……。よっぽどあたし、この辺の地理をまともに記憶してなかったのね」


「当時は俺も麻子も、7歳だった頃の記憶だからそこら辺は仕方ないだろ。あのコンビニも当時はなかったしな」


 自分の記憶力に不安を感じる麻子を、何とか落ち着かせようとする尚人。ようやく麻子が落ち着きを取り戻したのは、目的地である深沢家の建物が視界に入るくらいにまで近付いた頃だった。


「……と言うわけで、ついたぞ。……長時間お疲れ様だったな、麻子」


「あ、あたしの数時間の苦労はいったい何だったの……。本気で心身共に疲れたわ」


 一気にどっと疲れが押し寄せてきた麻子だが、何とか気力を奮い起こしてスマホを取り出し、尚人の家周りの写真を撮影した。


「表札も含めて、周囲を撮影させてもらったわ。これでもう、再訪する時も何とかなるはず!!」


「……あとでうちの住所、紙に書いて渡すから。それも撮影なり入力なりしておいた方が更なる備えになっていいんじゃないか?」


「……それもそうね。似たような見た目の家が結構多かったから、撮影した画像だけポンと見せてもわからない人とかいそう……」


 とりあえず、スマホの機能を使って簡単には尚人の家の情報を忘れないように対策を行った麻子。その間に尚人は家の玄関扉の鍵を開けていた。


「麻子、色々積もる話はあるだろうけどまずは中に入ってくれ。暖まってからゆっくり話そうぜ」


「う、うんそうね……それじゃあお邪魔しまーす……」


(扉前の居住者リストに、尚人の名前しかなかったのはどういう事なのかしら……。まさか、英治おじ様と真梨華おば様の身に何かあったの!?)


 生じた疑問に言い知れぬ不安を感じながらも、ブーツを脱いで尚人の家に上がる麻子。この後、その不安は最悪の形で的中する事となる。



 尚人の家に入り、台所兼居間で暖房を入れてもらった事によりすっかり中は暖かくなりコートを脱いでも問題はなくなった為、麻子はコートを脱いだ。

 事前に麻子が告げた通り、青を基調としたメイド服を着用した姿が露わになった。


「おお、本当にメイドの服装を着ているんだな。写真や映像以外で現物を着ているのは初めて見たぜ」


「街中でこれ着たまま動き回るのは本気で目立ち過ぎるから、季節に合わせてジャケットやコートで出来るだけ隠しているの」


「まぁ、そりゃあそうだろうなぁ……。せっかくウチを探しに来たんだ、ただ単に来てハイ終わりって訳じゃないんだろ?」


 一度会話を切り、麻子の返答を待つ尚人。久しぶりの再会と言うことでそれなりに会話は弾んでいたが、先ほどから麻子の様子が気落ちしているように思えたのを尚人は感じ取っていた。


「……うん、一昨日まで契約していた人と派手にこじれてね……。こっちから契約を打ち切ったんだけど、五丈の家には戻りたくなくて……」


「それで、フリーになって時間が空いたから俺の家を探しに来たって事か……。せっかく来てくれた上に俺も話したい事が沢山あるんだ、気が済むまで居てくれていいぞ」


「本当!?ありがとう尚人、お言葉に甘えてしばらくお世話になるわ」


 麻子の事情を感じ取り、無条件で当面の滞在を許可した尚人。喜ぶ一方で、聞くべきか迷っていた事柄を麻子はこのまま一気に聞く事にした。


「ねぇ尚人、英治おじ様と真梨華おば様は……どうしちゃったの?扉の近くにある居住者リストにも名前が書かれていなかったし……」


 その言葉を聞いた尚人の表情が曇るのが、麻子にはすぐにわかった。


(あっ、まさかこれって聞いたらいけない事だった!?)


 触れてはいけない事に触れてしまった、そう思った麻子だったが時すでに遅し。少しの沈黙の後、尚人は覚悟を決めて顔を上げた。


「こっちに来てくれ、見せたいものがある。……それで、親父とお袋の事もなし崩し的にわかるはずだ」


 尚人に案内され、台所の北側にある玄関から一番遠い部屋へと案内される麻子。そこには、真っ黒な開閉式の仏壇が置かれていた。それを目にした瞬間、麻子は嫌でも尚人の言いたい事・見せたい物がわかってしまった。


「この仏壇……。もしかして、英治おじ様の……?」


「それだけで済めば、まだある程度救いがあったんだけどな。同じ日にお袋も一緒に、な……」


「同じ日に二人とも、何て……。今はそれだけわかればもう十分だから、無理して続きを話そうとするのはやめて……」


 どんどん表情を暗くしていく尚人を目の当たりにし、そんな尚人にこれ以上詳細を話させようとするのが辛くなった麻子は話題の中断を提案した。

 その提案を受け入れたのか、少しずつ尚人は落ち着き表情が元に戻っていった。


「すまねぇな麻子、4ヶ月経った今でもまだ気持ちの整理が不十分だったみたいだ。この調子じゃ本当に立ち直れるのはまだ当分先だな……」


「ううん、『私』の方こそ軽はずみな事を聞いてごめんね。おじ様とおば様に手を合わせてから戻りましょ」


思わぬ形で訃報を知る事になった尚人の両親に、麻子は手を合わせて冥福を祈るのだった。



 祈りを終えた麻子は、尚人に連れられてまた居間に戻って来た。ここで尚人は、気になった事を質問する事にした。


「そういえば、さっき自分の事を『私』って言ってたけど……。大人になってから変えたのか?」


「あー、あれは本気で事に当たる時だけよ。普段は今まで通り、お気楽な『あたし』で通しているの」


「そういう切り替えが出来るようになったのか……。って事はさっきのは、本気で俺を気遣ってくれたって解釈でいいのか?」


「……うん、まぁ、そういう風に受け取ってもらえるのはこちらとしても嬉しい、かな……」


 麻子の返答を聞いた後に尚人が返した言葉に、思わず麻子は赤面してしまいしどろもどろになる。いくら普段は強気の性格をしていても、9年のブランクがあるとは言え僅か2歳の頃から過ごしてきた尚人の前では自然と素直になってしまうのだ。


「……そ、それはさておき!尚人、少し聞きたいんだけど……。隣の家って、未だに空き家なの?」


 気分を切り替えると同時に、気になった事を質問する麻子。何を隠そう、隣の家は以前麻子をはじめとする五丈の一家が暮らしていた家で、尚人と麻子が7歳の頃に引っ越していったのだ。


「隣……?ああ、そういえば何年か前から借家扱いになってるけどまだ住人が入って来るって話はないな。……それがどうかしたのか?」


「実はね、隣の家は既に園川家が借りていて今は居住者だけ不在って状態なの。もし既に人が住んでいたら、今回あたしは隣に入ろうと思っていたんだけど……タイミングが良くなかったみたいね」


 タイミングが上手くかみ合わなかったとボヤく麻子だが、一昨日いきなり契約を切って想定外のフリーとなっただけの事であり、周りの都合と合わないのは仕方がない事だろう。


「園川……って麻子お前、健吾と知り合いなのか!?アイツ俺と同じクラス何だが……」


「え゛え゛っ、それマジなの!?あたしの方も、15で家を出るまでの間にうちの家で主催した社交会で知り合ってそれ以降何回か顔合わせはしたんだけど……。まさか尚人のクラスメイトだったなんて……」


 お互いが、お互いの知らないところで健吾と関わっていた。まさかの事態に、どちらが先かわからないくらいのタイミングでため息をついてしまった。


「まぁ、知ってるってんなら話は早いな。次に登校する時に健吾に話はしておくから、気が向いたら会ってみたらどうだ?」


「それもそうね……。尚人、話は変わるけど……しばらくお世話になる以上は家事等もあたしが手伝うわ。五丈のメイドとして受けてきた教導の成果を見てもらいたいの」


「か、家事手伝いまで!?……いや、やってくれる気持ちは有難いんだけどそういうのって確か有償だろ?だとしたら、俺も仕事料払うべきかな……?」


 家事代行は基本的に有料だと聞いていたので、今回の事も料金が必要だと思った尚人。しかし麻子は、それを否定する。


「何おかしな事言ってんのよ、家に置いてくれるのは尚人の提案で家事手伝いはあたしの提案。お互いの提案が上手い事合致した以上、お金のやりとり何て必要ないわよ」


 尚人と麻子、双方の提案がかみ合った結果なので金銭のやり取りは必要はないと強く力説する麻子。


「そ、そうか……。なら今日から宜しくな、部屋はどこでも好きなところを使ってくれ」


「わかったわ、メイドとしても幼馴染としても改めて宜しくね。……あ、隣にいい部屋がありそうね。あそこにしよっと!」


 羽織っていたコートとリュックをひっ掴み、台所の南西の部屋へと移動した麻子。ここで、ある事を思い出した尚人。


「今あいつが行った部屋って、確か前にお袋が使っていた部屋だったよな。もし麻子が替えの服を余り持ってなかった場合は、果たしてあの部屋の中の服で代わりが務まるか?」


 子供の頃よりは割とマシになっていたが、相変わらず麻子は身長をはじめとした色々な意味で小さい。現に尚人とは10センチ近い身長の差がある。

 尚人の母・真梨華の残した衣服が果たして麻子に合うかどうかと言う問題があった。勿論、サイズが合わなくてぶかぶかになるのではという問題だ。そんな事を考えながら、尚人は夕食として使う分の食糧を取り出してテーブルに並べていた。


 数分後、荷物を真梨華の部屋に置いた麻子がトボトボとした足取りで戻って来た。一応尚人が理由を聞いてみたところ……。


「尚人……。あたし、私服を持ってなかったからおば様の服借りようと思ってサイズを調べてみたんだけど一つもあたしの背丈に合いそうになかった……。完全に丈余りしてて、着たら恥を晒すだけになっちゃうわ!」


 どうやら、部屋の中にあった衣類全てのサイズを調べてきたようだ。その結果報告を聞いて、尚人は半ば予想通りだったため特に驚きはしなかった。


「お袋の服は軒並みダメだったか……。それで、これから何を着て過ごすつもりなんだ?……まさかとは思うが、四六時中メイド服で過ごすって訳じゃないよな?」


「うーん、実はさ。本来なら入浴中と就寝前を除いてメイド服を脱いだらダメって規定があるのよ。でも今は誰かと契約締結してるわけでもないから、好きな服を着たいなって思って……」


「そんなに厳しい服装規定があるのか……。もしかして私服とか持ってないのか?」


 契約が締結されている間は、基本的に日中はメイド服必須というなかなか厳しい衣装規定を聞いて大変だなと感じた尚人。


「私服?……ああ、前に契約していた相手から何着か買ってもらったけど、正直ダサかったし。今となっちゃソイツに買ってもらった物品全てに拒否感あるから全て置いてきたわ」


「そこまでソイツの事、嫌になったのか!!……って、そうなるともう本当に他の服はないのか?」


「一応メイド服のストックが3着と、あとは中学の時に来ていた制服を夏服込みで2着持ってきているわ。卒業してからそろそろ2年経つけど、特に問題なく着る事が出来ているから外出時に使ってるの」


 どうやら、本当に私服の類は一着も持っておらず、卒業してもなお中学の制服を着なければ外出がままならない状況であるようだ。思った以上に厳しい麻子の衣服事情に、尚人は決断をした。


「仕方ないな、家の中で好きな服を着れないってのは気分が良くないだろ?明日、買いに行こうじゃないか」


「えっ……、いいの尚人!?あたしに、服を買ってくれるってマジ!?」


 他ならぬ尚人からの誘いに、爛々と目を輝かせる麻子。どうやら、物凄く嬉しいようだ。


「勿論のマジだ、とは言え色々と限度もあるから良くて上下それぞれ3着が限界になるけどそれでもいいか?」


「うん、それくらいで十分よ。今使ってるリュックの容量的に見て考えても、それが詰め込める限界ギリギリの感じがするし。うーん、明日が楽しみになってきたわ!」


 明日の買い物に期待を膨らませる麻子、この後彼女の顔から滲み出る機嫌の良さは長く続いたのだった。

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