第7話・姉の矜持と急展開

 休憩室での用事を一通り終えた4人は、揃って部屋から退室した後に再度別行動を開始。さすがにあれだけの重量を持つモノを持ち歩き続ける訳にもいかないので、尚人だけ一度単独で家に戻り身軽になってから再度来店する事になった。


 尚人が一人で帰宅する事に未千翔は少し難色を示したが(一緒に居られない方の意味で)、自転車を使って出来る限り早く戻る事を告げると何とか納得してもらう事が出来た。最初はコインロッカーに預けるつもりでいたのだが、この後更なる買い物で荷物が増える事が既に確定しているため自転車の籠を利用して積載容量を増やす意味もあって尚人が一時離脱する事になったのだ。


 自宅に戻った尚人は荷物を自室のベッドに無造作に置き、勉強机の引き出しに入れてあった自転車の鍵を取り出してすぐにまた外出。出来る限りの速度を出して自転車でソルトモールに向かっていった。





 尚人がソルトモールの駐輪場に戻り、自転車を停めると先程から既に30分以上が経過していた。待ち合わせの場所として決めていた1階のサービスカウンター前に行くと、そこに残っていたのは健吾1人だけであった。


「おう、お帰りちゃんだな尚人。30分くらいで戻ってこれるのはだいぶ健闘したみたいだな」


「何とか信号に一切引っかからずに済んだからな、かなり運が良かったとしか言い様がないな。未千翔と麻子は……買い出しか?」


「そうだぜ、これからが二人にとって本領発揮になりそうだな。安く食材を手に入れてやるって二人とも意気込んでいたからな、後からオレらが大量の荷物を持つ事になるのはもう確定だな」


 五丈の姉妹は既に買い物と言う名の戦場に出撃済みであり、今頃は安売りの商品を巡って周りのライバルたちとシノギを削っている事だろう。


「……寧ろ買い出しを手伝ってやる、って展開にはならなかったのか?」


「オレもそうは言ったんだけどな、物の見事に双方からお断りされたよ。人の荒波に飲み込まれて致命傷を負いたくなかったらすっこんでろ、ってな……」


「そういえば何年か前に、人混みに飲み込まれて重傷を負ったってニュースで話題になった事があったな……。場慣れしてない奴が無暗に踏み込んだらいけないって事だな」


 タイムセール時の売り場はまさに命が掛かった戦場、目的の商品を手に入れるためならばカート内の商品を横取りする事すら厭わない。現に、過去には壮絶過ぎて人命に関わる状況になった事もあり行政指導も入った。


 だがその行政指導は、結局何の効果もなかった。店が引き起こした事項ではなく、客がヒートアップして勝手にやっただけだとの主張が通ってしまったのだ。一応の対策として商品の入荷数を増やしたりタイムセールの頻度を減らしたりなどが行われたが、売り場の争いをどうにかするには至ってない。


「こういう時には男はいても邪魔になるだけなんだな……。あっ、そういえばさっきこっちに戻ってくる時の信号待ちの間に由利香ゆりかに会ったぞ」


「……何、由利香だと……?アイツまだこの街にいやがったのか……。もうとっくに出て行ったものだとばかり思っていたんだがな……」


 ある人物の名前を出した途端、一気に健吾が不機嫌になった。その人物の名は泉由利香いずみゆりか、健吾が現在の家で一人暮らしをするようになった元凶でもある。彼女もメイドであるが麻子や未千翔とは異なり、普通に高校にも通っており未千翔と同い年で尚人の後輩にもあたる。


 健吾がどうしてそうなったのかを述べると、そもそも健吾は『園川家』というこの街に多大な影響力を持つ有力者の一族、つまりはお金持ちの家の出だ。更に言うならば、麻子とも五丈家が主催した社交会で出合って以来そこそこ仲が良かった。


 そんな健吾が、尚人の家の隣にやってきたのは半年ほど前。元々別荘として五丈家から借りていた(家族ぐるみの付き合いなので無償貸与)家なのだが、健吾が正式に持ち家として使う事になった。


 その理由は、専属メイドであった由利香の暴走。どういう訳か由利香は一方的に健吾を横恋慕しており、しょっちゅうアプローチをしていた。昼夜・公私を問わず、人目も憚らず。


 はじめは由利香がメイドとしては特に優秀だった事もあり主人として寛大な対応をしていた健吾だったが、能力の高さ故に自分を解雇する事など出来ないだろうと由利香を調子付かせる結果になってしまった。


 それでも健吾は一過性のものだと信じて耐えていたが、半年前に遂に我慢の限界を迎え由利香を解雇、自身は園川の屋敷を離れ一人暮らしを決行した。


「学校でも意図的に会わないようにしていたから消息は知らなかったが、まだ相変わらずな様子だったか?」


「いや、だいぶ落ち着いているような感じだったな。お前に迷惑をかけた事を詫びたがっていたが、直接顔を合わせたらまた暴走する可能性があるからどうすればいいのか悩んでる感じだったぞ」


「そうか……。由利香の経緯に関しては昨日麻子にも話しているから、家に戻ったら詫びを受け入れるか否かを話し合ってみる事にする。一応同業者だからか、気にはしていたみたいだしな」


 家ごとによって教導方針など違いはあるものの、同じメイドを職としている事もあり麻子も気にかけていたようだ。それもそのはず、麻子も契約破棄を2度も行っている事で業界での評判はあまり良くなく、3人目の主人候補に窮した末に健吾の元に転がり込んだようなものだからだ。


「今振り返ってみると、オレの周囲にいるメイドは癖のある人物が多いな。由利香は主人へのアプローチが激しいし、未千翔ちゃんはそもそも契約自体が二の次って扱いしてたし、麻子は……」


 そこまで口にして、突然健吾の口が止まった。その顔色は急激に悪くなり、ガタガタと震えている。尚人はいきなり口を閉ざした健吾の様子が気になったが、すぐにその理由に思い至る。しかし別に自分が失言をした訳ではないので、顔色などは変わらずそのまま自然体でいた。


「あーら健吾、あたしが何なのか是非とも聞いてみたいわねぇ。まぁあたしが癖のあるメイドって事そのものは否定する気はないけどさ」


 健吾の背後から、魔力を垂れ流しにしながら現れたのは話題の渦中にいた麻子だった。至近距離でその魔力に充てられた健吾は恐怖で二の句が告げられなくなり黙ったのだろう。


「あっ、お帰り尚人くん!見てみて、いっぱい食材買えたよ!」


 未千翔が両手に下げた大きなビニール袋を見せてくる。その中身はこれでもかと言う程に安く買えた食材が詰まっており、今回の成果が上々である事が見て取れる。


「いくつかアテにしてたモノが売り切れにはなっちゃったけど、目的にしてた分の大半は買えたわ。……ほら健吾、いつまでもこんなところでブルってないで早く立ち直りなさいよ」


 麻子は体外に放出していた魔力を消し、恐慌状態にあった健吾を叱咤する。ここまでされてようやく立ち直った健吾は深く息をつき、吐き出す。


「よ、よう……お帰りさん。つーか音もなく人の背後に立つのはやめてくれよ、マジでビビっちまったじゃないか」


「ふふん、これも教導の成果の一つよ。ウチの家系が元は忍びだって事は話したでしょ、教導の中にその頃の教えも少なからず残ってるのよ。さすがに人を殺めるような技術とかはもう教えてないらしいけど」


 時代や状況が異なっていたら、確実に今の段階で健吾は終わっていた。そう思わせるくらい、先ほどの麻子の隠形技術は様になっていた。


「……で、あたしが何だって?……って詰問したいところだけど、自分でもそこはわかってるから別にいいわ。過去に契約破棄を2度もかましたあたしが業界での評判が悪いってのは、もう今に始まった事じゃないし」


 既にやってしまった事は仕方がない、とばかりに過去の契約破棄については、麻子は評価の低下も含めて受け入れているようだ。


「それに、こう見えて健吾には有難く思ってるのは本当よ。何のアポイントもなしでいきなり訪問してきたあたしを快く家の中に入れてくれた上に、説明する前に契約書にサインしてくれたりで全面歓迎してくれたからね。ここまであたし本位な条件を黙って快諾してくれたのって健吾だけよ」


 昨日の夕刻から夜にかけて、尚人と未千翔が色々やっていた隣の家で麻子と健吾も色々やっていたようだ。しかも全面的に麻子優位な状況で。


「そもそも隣同士の家で、実の姉妹がメイドとして仕えに来る事そのものが相当なレアケースだな……。俺としては顔馴染みがすぐ近くに全員揃ったのはとても嬉しい事だけどな」


「尚人も尚人で嬉しい事を言ってくれるじゃないの、幼馴染の一人として鼻が高いわ。……そういえば未千翔、アンタはどうやって尚人と契約を締結したの?きっとかなり手がかかったんじゃないの?」


「え、尚人くんとの契約……?してないけど?」


「……は?ちょい待ち、それじゃあまるっきりただの同棲じゃないの!!」


 さすがはあの母にしてあの娘と言うべきか、全く同じ反応を返してきた麻子。一年早く正規メイドとして世に出た事もあってか、このような例外事項に関してはかなり敏感に反応してしまうようだ。


「てかこの事、母さんは知ってるの?黙ってたら相当な怒りを買いそうな気がするんだけど……」


「その件に関しては大丈夫だ麻子、既に昨日のうちに未千翔が電話かけて話を付けたからな。ちなみに数日以内にこっちに来るとも言ってたぞ」


「ああそう……それならよかっ……ってこっち来るんかい!!こうなったらあたしも色々と聞かれる事を覚悟しなきゃいけないようね……」


 実のところ、麻子は母親の未千恵に若干の苦手意識を持っている。と言うか内心恐れている。

 子供の頃は純粋に親として頼りにしていたのだが、教導の合間に財閥のトップである未千恵が当主としての仕事をしているのを見る機会があった。


 その時、麻子は興味半分で未千恵の仕事振りを見たいと言った事を心底後悔した。対立勢力への情け容赦ない苛烈極まりない制裁、時には相手勢力を社会的どころか物理的に抹消するケースすらあった。


 このような母の恐ろしい一面を麻子は10代前半で知る羽目になってしまい、出来る限り未千恵の怒りを買わないように心がけていたが、正規メイドの資格を得るまでの間に何度か仕置きを食らっていた。


「おい麻子、未千恵さんってそんなに怖いのか?昨日俺が電話で話したときは話の通じる、昔と変わらない印象があったんだが……」


「甘いわね尚人、それはきっと久しぶりに話す尚人相手だから猫かぶりをしていたのよ。今はもう大丈夫だけど、以前は電話の時も敬語を使わないといけなかったのよ。アレはマジで堅苦しくてあたしは毎回ヒヤヒヤものだったわ。まあ、幸いな事に最初の1回で今後は素の口調に戻していいってお達しが出たけど」


「うん、お姉ちゃんの気持ちわかるよ。私も、昨日の連絡で途中から敬語解除していいって言われてホッとしたもん。いくら実践の際には必要な事とは言え、血の繋がった親相手に対しても常日頃から敬語必須ってのがちょっと厳しすぎるんじゃないかなって前から思ってたのよね」


 普段からメイド業として慣らしていく方針のようだが、その教導を受ける当人たちにとっては日常の言動すら規則に則る必要がある、と言うのはたまったものではないようだ。


「……それで、実際には契約を締結していないのに援助金を貰ってるってのはどういう事なの?いくら何でも事実捏造の不正契約はあたしも許せないわよ?」


「その事も含めて昨日電話したの。そうしたら『契約成立した事に書類上ではしておいてあげる』って言われて、電話終わった後に振り込んできたんじゃないかな」


「完全に当主の立場を利用した不正契約じゃないソレは!?母さん未千翔にだけ甘すぎ!!」


 未千翔にとっては望みに最も近い形に持って行けたので願ったり叶ったりの条件だったが、既に三度も正規の契約を締結した経験がある麻子にとっては不平等な思いがしていた。


 だが、尚人と未千翔双方の事情と気持ちを知っている麻子はこの唯一無二の例外を許容する事に決めた。


「ホント、しょうがないわね……。未千翔は尚人の傍に居られるのが一番の目的のようだし、人一倍ルールに厳しいはずの母さんが認めている以上はあたしが文句を言っても何にもならないわ」


 ルールの制定・改定が自由に行える未千恵が許可した以上は、ここで麻子一人が不平等を訴えても意味はほぼない。その辺りはさすがにわかっているので、これ以上この件に突っ込みを入れるのは止めにした。


「そういえば、さっきから健吾の姿が見当たらないんだが……アイツどこに行ったんだ?」


 先程から全く会話に参加していない事が気になり、辺りを見回すが健吾の姿が見当たらない。捜索範囲を広げてみようと思ったその矢先、買い物カートを2つ引いて健吾が慌てた様子でこちらにやって来た。


「お前たち、早く建物の外に出るぞ!!どっかの馬鹿が立て籠もり事件を起こしやがった、このままだと現場封鎖に巻き込まれるぞ!!」


「「「え゛……!?」」」


 まさかの事態としか言いようがない。尚人たちは未千翔と麻子の購入した商品を買い物カートに放り込み、大急ぎでソルトモールから脱出を慣行。買い物カート2台のうち1台を未千翔に任せて尚人は乗ってきた自転車の元に走り、そのまま乗り込んで出入口に急行。


 出入口を抜けてすぐに入れ違いも同然のタイミングで通報を受けてやってきた警察関係者によってモール出入口は封鎖され、警察官たちに促された尚人たちはそのまま帰路につかざるを得なくなった。


 周囲にはモールから逃げ出してきた店員が数名おり、買い物カートの店外持ち出しについて尋ねてみたところ今回は非常時なのでそのままカートを家に持ち帰っても構わず、落ち着いたら返却してくれればそれでよい事になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る