第7話 攻略対象者はお姉さま

 聖女候補に選出されてから、早三年。

 義姉たちと日々の生活では友好的に接してきたつもりのナディアであったが、個人的な部屋の行き来というのは初めてだった。


「アンゼルマ姉さま、部屋のセンスに王族感がありますね……!」


 一歩足を踏み入れたところで、ナディアは感嘆の吐息をもらして辺りを見回す。


 天井から吊るされたクリスタルのシャンデリアの真下には、大輪の花を活けた一つ足テーブル。

 優美な幾何学模様の描かれた青系の壁紙が、部屋の印象を甘くなりすぎないように引き締めている。窓には、濃い群青の厚いカーテン。大理石の暖炉の上には、金の燭台や陶器の置き時計が並べられ、空と草原を描いた風景画がかけられていた。

 テーブルやソファといった調度品も瀟洒で高級感があり、さりげなく置かれたクッションの一つ一つまで趣向の凝らされたファブリックがかけられている。


「王宮暮らしが長かったからね。雰囲気は似ているかもしれないな。そこ、座って」


 アンゼルマに促されて、ナディアはソファに腰を下ろす。品よく整えられた空間を改めて憧憬のまなざしで眺めた。


(部屋の作りは同じはずなんだけど……。私は初期状態からほとんど物を買い足していないから、地味。必要とも思わなかったし、贅沢に慣れたくなかったから……)


 神殿は度を超えた奢侈に流れるのを良しとしないが、聖女候補者たちに清貧を強いているわけでもない。

 なにしろいざ聖女に選ばれたとなれば、国王と並ぶ国の頂点。

 聖女として庶民に寄り添う感覚はもちろん重要だが、同じかそれ以上に、王侯貴族並に物を見る目や広範囲の知識を備えていることが大切なのも、間違いない。ある程度の贅沢品や身を飾ることは推奨されている。


 ナディアは生家が裕福ではなかったために、贅沢に対しては気後れがあった。聖女になる見通しもなかったことから、元の生活に戻れなくなることを警戒して、これまで自由になるお金にもほとんど手を付けていない。

 生まれ育ちは候補者に選ばれた段階で不問にされているとはいえ、こうした端々に少なからず影響として出る。アンゼルマの部屋を一目見ただけで、強く実感した。


(今までは、無いものねだりをしてはいけないと、都合よく目を逸らしてきた。これから先は、もう手遅れだなんて弱気にならず、貪欲に吸収していこう。アンゼルマ姉さまは良いお手本だ。何しろ、王家のご出身なのだから)


 この国の王家は、聖女の直系でもある。それだけに、聖女を輩出することには、王家の威信がかかっているはずだ。首尾よく王族から聖女が出れば、独自の勢力である神殿、特に軍事に長けた神殿兵たちを王家の監視下に置き、掌握できるという実利もある。

 王家出身で聖女候補者となったアンゼルマの肩には、多くの宿願がかけられているのは間違いない。そのプレッシャーの中にあって、自由に呼吸をしているその胆力は、ナディアからすると、計り知れないものがある。


「それで。具体的に何を望んでここに来た? 本来なら聖女の座を争う敵同士なわけだが、話があるみたいだから聞こう」


 アンゼルマは、向かい合ったソファではなく、ナディアと肩がぶつかるほどの近さで隣に腰を下ろした。

 ちらりと見上げれば、前を向いたままのアンゼルマから、視線を流される。深い群青色の瞳。高貴さを思わせる高い鼻梁に、薄く形の良い唇。その口角が軽く持ち上がり、魅力的な笑みが浮かんでいる。ナディアは、体ごと向き直って、思い切って言った。


「私の中で、一番聖女に近い候補者は、アンゼルマ姉さまなんです」

「敗北宣言か?」


 腕を組んで、人が悪そうに笑うアンゼルマ。ナディアはすかさず「いいえ!」と答える。その勢いのまま、きらめく光を湛えた群青の瞳を真っ直ぐに見上げて、言い募った。


「姉さま、近々北部の魔物頻出地帯の戦線に向かわれる予定がありましたよね。私も、同行します」

「あそこはいま激戦区だ。ナディアの『浄化』で戦えるつもりか?」

「はい。私の『浄化』はアンゼルマ姉さまよりは弱いですが、セレーネ姉さまとサンドラ姉さまよりは若干強いです。実質、二番手です。つまり、そこだけ見れば、私は聖女にかなり近い」


 真剣に話したのに、妙な間が空いた。

 沈黙の後、アンゼルマがクスッとふきだした。


「大きく出ることにしたみたいだな」


 低く柔らかい声で混ぜっ返されてしまったが、ナディアはなんとか強気を保とうとする。


「大きくも何も……、今までも、候補者としては振り落とされずに来たことを思い出しまして……! 自分で自分を信じることから始めます。『出来ない』『無理』『向いてない』そういうネガティブなことは禁止にしました。自分に」


 言いながら、段々声が小さくなってしまう。笑いをおさめたアンゼルマの表情が、凛々しくも険しい。

 逃げ出したくなるほどの迫力。

 いつしか、体が緊張でガチガチになっていたが、そのせいでかえって目を逸らせぬまま、ナディアはなおも続けた。


「今までの私は、せめて人から嫌われないように『身の程をわきまえた振る舞い』を意識してきました。だけどそれは、嫌われないだけで、好かれもしないんです。いてもいなくても変わらない。それが私でした。でも、それで良いのだと思おうと……。私ごときが姉さまたちより目立ちたいとか、周りから、必要とされたいとか。あ、愛されたいとか……」


「愛? 愛されたいの、ナディアは。そういう欲が出てきた?」


(欲……なんだろうか)


「いまの私は、特に誰にも愛されてはいないので……。自分で自分を信じ、愛さないと。好かれる人間になりたい。その手始めに、私自身が憧れる人を徹底的に観察して、その魅力を分析しようと思い立ちました。そう! いま目の前にいるアンゼルマ姉さまです!」


 鋭いまなざしが幾分和らぐ。口元には微笑を浮かべながら、アンゼルマが楽しげに言った。


「ずいぶんと調子が良いことを言うものだ。それで私がほだされるとでも?」


「ほだされるかどうかはわかりませんけど、今までよりは私を気にするようになるとは思うんです。アンゼルマ姉さまの視界に入って、候補者だと認識してもらい、できれば敵とみなされたい。アンゼルマ姉さまからして『無視できない存在』になったら、周りの皆さんが私を見る目も変わってくるわけで」


 がつん、と腕を組んだまま肩をぶつけてきたアンゼルマは、目を輝かせながらキッパリと言い切った。


「遅いんだよ。それはここに来て最初にすべきことだ。三年も適当にやり過ごしてからその方法で人望を得ようと気づくなんて、人の上に立つセンスなさすぎだろ。聖女になるなんて絶望的だ。諦めろ」

「諦めません!」

「勢いで言い返せば良いってもんじゃない。今さらお前が一人できゃんきゃん喚いたところで『おもしれー女』なんて誰も思わないさ。本気になってももう遅い」


(正論です、姉さま)


 頷いて認めて引き下がりそうになる。自分の一番楽な状態、「無欲なふりをして諦める」に。だめだ。


「まだ遅くありません。本選まではまだ時間があります。もし万が一今のままの私が聖女に選ばれたら、その時は何というか……その時こそ、取り返しがつかないわけで」


 最終的には自信のなさに押し流されかけて声が小さくなる。そのナディアの俯き加減の顔を、少しだけ身を屈めてのぞきこみながら、アンゼルマが明るい声で言った。


「あまりいじめるのは良くないね。ひとまずナディアがこの一日、一人で猛烈に考えたことは評価しよう。ただし戦場に出る出ない以前に、ナディア、お前の周りには味方がいなさすぎる。また危ない目に合わないよう、うちからはギルベルトを護衛に貸すよ。何かあればあれがお前を必ず守る。私は、聖女候補者としての真っ向勝負以外での候補者の脱落は望まない。私の期待を裏切らないように」


 落ち込んでなるものかと、歯をくいしばっていたナディアは、アンゼルマの提案に目を瞬いた。

 理解は遅れてやってきて、かなり良心的な申し出をされていることに気づく。


「一番最初にアンゼルマ姉さまの攻略を選択して正解でした!」


 とても頭が素直になっていたせいで、思ったままのことを口にし、勢いのままソファから立ち上がった。ぶん、と風を切るように手を差し出すと、半笑いのアンゼルマがその手を取る。美しく長い指。それでいて、痩せているせいだろうか、骨ばって固い。ナディアは自分の手がアンゼルマの手にすっぽりと収まる、そのサイズ感の違いにひそかに驚きつつ、固い握手を交わした。

 そして、晴れ晴れとした顔で「ありがとうございました!」と挨拶をして部屋を後にする。

 残されたアンゼルマは、目を細め、口角を持ち上げてぬくもりの残る自分の掌に目を落とし、低い声で呟いた。


「さて、お手並み拝見と行こうか。実際、俺は結構期待しているんだよ、お前に」

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