第6話 賭け

 ディルクの襲撃があったその日。

 昼の間はひとまず、何もなく過ごした。他の姉たちとは終日別行動になり、神官長の発言について会話をする機会はなかった。

 顔を合わせた神殿の者たちから、話題として振られることもなかった。

 襲撃に関しても伏せられているらしく、騒ぎにはなっていない。

 その奇妙な静けさの中、ナディアは日課をこなしつつも、一人でぐるぐると考え続けることとなった。


(戦いから下りている状態は、楽だった。すべてにおいて。勝利による達成感は無いけど、誰かに負けた絶望に身を焦がす心配もない。対外的には、欲のない謙虚な人間のふりができる。そうやって、今までの私は自分が傷つかないように立ち回ってきた)


 なりふり構わずに上だけを目指す人間とは違うのだ、と。

 実際に、セレーネはナディアが敵になると悟った途端、即座に手を打った。まさに「なりふり構わないやり方」であり、ナディアは「セレーネは聖女に相応しくない」という義憤めいた怒りを覚え、アンゼルマに訴えた。


 少し時間が経ってから自分のその言動を思い起こすと、それはそれでひどく浅い考えに思えてならず、居ても立っても居られなくなってきた。


(あのときは、アンゼルマ姉さまに認めてもらいたい一心で、売り言葉に買い言葉のようになってしまったけれど……。セレーネ姉さまの決断力や実行力は、いまの私には全然無い。それはつまり、そこまで「聖女」になることに真剣に向き合っていないから。誰を蹴落としてでも、絶対に自分が一番になるという決意が足りない。セレーネ姉さまの手口は卑劣だったし、同じことはしないけれど、あの本気度は見習うべきところだ)


 仕掛けられた側だから、被害者の顔をしていられた。

 あんな人間は「聖女」になるべきではないと、さも当然のように言えた。


 だけど、そうやって


 セレーネから見て、ナディアこそ聖女にふさわしい存在ではなかった。だから、決まる前に排除しようとした。

 それが、聖女への信頼を守る為に必要であると真剣に考えた結果なのだとすれば。

 一概に私利私欲と断じることはできない。

 セレーネの側にも、聖女候補としての正義や信条があるのだ。


 同じく候補に選ばれながら、一歩ひいていたナディアは、果たしてそこまで大局を見て物事を考えることが出来ているのだろうか。

 姉たちを見上げるばかりで、実は自分の周りすら見えていなかった。


(出遅れているどころじゃなくて。私は姉さまたちを、もっと知らなければならない)


 * * *


「それで真っ先に私のところに来たわけか。まあいいだろう」


 早朝から始まった一日の予定を終課まですべてこなし、本来なら床につく時間になって、ナディアはアンゼルマの私室を訪ねた。

 特に嫌がる素振りもなく、アンゼルマは「入るなら入って構わないが」と自分の部屋のドアの前に立ち、ナディアを見下ろす。

 面白そうに口の端を釣り上げて、言った。


「一度部屋に入ってしまえば、二人きりの密室。逃げ場はない。何かあったときに助けを呼んでも間に合うかどうか。さて。今日あんなことがあったばかりなのに、ナディアはなぜ私を信用する? 私がお前の危機に手を差し伸べたからか? だけどこうも考えられないか。『実はあの襲撃自体が、セレーネに疑いが向くように仕組んだものであった。ナディアの信用を得るために』そして現にナディアは簡単に私を信用し、頼ってきたと。私に悪意があった場合、今度こそ命は無いよ? 大丈夫?」


 耳に心地よい低音で、さらさらと並べ立てられた陰謀裏話。

 うぐぐ、と歯を食いしばって聞き終えてから、ナディアは「それも考えなかったわけではないですけど」と切り出した。


「信じることと、疑うことのバランスです。本当に、誰一人周りに信頼できる味方がいないとしたら、実際に聖女になっても誰もついてきません。というかなれません。私は味方を必要としています。そのためには、自分から信じると決めたひとを信じて、ときには身を任せる判断もします。これは賭けです。私は、アンゼルマ姉さまを信じると決めました。もし裏切られたとしたら、それは賭けに負けただけです」


「賭けなんかして良いと思っているのか。賭けているのは、お前の命だぞ」


 笑ってる。

 その余裕いっぱいの笑顔を見上げながら、ナディアは前のめりになりつつ言い切った。


「私みたいな中途半端な人間が聖女になるとしたら、実力と努力だけではなく、ものすごい運も必要だと思うんですよね……! ここで賭けに負ける、つまり運に見放されているならそこまでだと思うんですよ。もちろん後先は考えていますけど、考えているだけだと動けなくなるので。いま一番味方になってくれそうなひとを考えたとき、姉さまの顔しか思い浮かばなかったんです。他に選択肢無いんです!」


 腕を組み、ドアに背を預けて、アンゼルマはくっくっく、と喉を鳴らして笑った。


「消去法なのか? それはあんまり、面白くないな。もう少し私のテンション上げてみてよ」

「テンション……!?」

「そう。『アンゼルマ姉さま、大好き』って可愛く言われたら、考えるんだけどなぁ」


 唖然として見上げたナディアに、アンゼルマは片目を瞑ってみせる。


(完ッ全に……、からかわれているような……。い、言う? 言うの?)


 何か、思ってもみなかった覚悟を試されている気がして、ナディアはごくりと唾を飲み込んだ。口の中が乾ききっている。

 素直に声が出せる状況でもない中、真剣に検討した。


(好き? アンゼルマ姉さまのこと? もちろん嫌いじゃないし尊敬しているし信じているし、んん? それって好きってこと? 好きっていまこの場で言っても、嘘にはならないのかな……?)


「あ……、アンゼルマ姉さまのことが、す……」


 口がさからう。

 抵抗があって、なかなか最後の一言が言えない。それでも、ナディアは呼吸をととのえて、なんとか言おうとした。す「き」と。その瞬間をみはからったかのように。

 アンゼルマは、不意に目を細めて、ぼそりと呟いた。


「つまらない。もういいから、入って。ここで立ち話をしていても時間の無駄だ」


(無駄って言われた……。私の馬鹿)


 いきなり暗雲がたちこめた気配を感じつつ、ナディアは悄然としてアンゼルマの部屋に足を踏み入れた。

 背後をとったアンゼルマが、すぐにドアを閉ざした。

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