第9話 不定形粘体生物の証明

これまでのあらすじ:

 20ある神々のギフトを試すために、お試しで異世界の大地に足を踏み入れた男と新人女神と妖精。そこに現れたのは、半透明な粘性の球体めいたポップなモンスターであった――


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 ……それは奇妙な光景だった。

 よく考えれば、大昔は人間も野生的な生物だったはずであり、そうした環境における未知の生物との遭遇は、やるかやられるか、みたいな切羽詰まった危機的状況だったはずなのだ。

 しかし『初めて遭った生物が既知のもの』という矛盾は、ただただ現実感を喪失させるだけで、どこか受け止めきれない奇妙さだけがそこにはあった。警戒を解くには不可解すぎて、おそおののくにはシュールすぎる。


 ぷよんぷよんと足元へ弾むように転がり出てきた半透明の球体粘性生物に対する男の感想は、まあ大体そういったものだった。

 要するに……男は頭を抱えた。


「お、おかしい。ありえねえ……」

「何をぼーっとしているのですか旅人よ!」

 きりりと勇ましい声をかけるのは、女神のライネである。


「モンスターですよ! 油断していたらやられるかもしれません。そんなことで異世界を生き抜けると思っているのですかっ」

 男はジト目でライネを見る。謎のテンションで拳を握りしめる女神。


「異世界とは、異なる生態系! 油断一発で大蛇の口の中! それが異世界の常識なのです。ほんの僅かな気の緩みが生死を分ける過酷な環境ですが、人間は他者の死や危険を知恵として語り継ぐことで、なんとか種族として途絶えることなく生存し続けています。しかし、語る側になるか語られる側になるかは、陰険で陰湿な先輩の気まぐれ程度の差だと思いなさい! つまりは、ええと………危険です!」


 くわっ! と頑張って力説するライネ。

 男が視線を落とすと、ぱたぱた飛んでるスオの動きに反応して、ぽよんぽよんと軟体液状生物が跳ねている。しかし、僅か10センチにも満たない跳躍の繰り返しは、見下ろすスオの表情に優越感を与える程度の危険度にしか見えなかった。


「まったく、こんな危険がいっぱいの異世界でギフトも無しに転生しようなどとは、無知無謀にも程度がありますよ! とはいえ……こほん。神の愛は汝を決して見放しはしません。……はい。というわけで今回ご紹介するギフトは―――」

「待て待て待て待て」

 急に通販番組みたいなノリでギフトの説明に入ろうとしたライネを制止する男。さっそくギフトを試したかったのだろう。まあそのためにここに来たのだから、間違ってはいない。間違ってはいないのだが。


「なんですか旅人よ」

 女神は微笑に不満を混ぜた顔で、唇を尖らせる。

「いや、おかしいから。ありえねえから」

 頭が痛くなるような気分になりつつ、やはりジト目でライネを見る男。スオが小首を傾げて寄って来た。


「何がおかしいの?」

「このモンスターは、俺のいた世界にもいる」

「私の故郷というか出身世界にもいますよ。それ」

 ライネは地元の田舎を思い出しながら言った。よく人間の子供が木の棒でつついて親に危ないからと怒られるのである。


「ただし………こっちはゲームとかの中で、だ。。なんでこっちの空想上の生き物が異世界にいるんだ? おかしいだろ?」


 ライネとスオは顔を見合わせた。

 そして、口を揃えて男に言う。


「「たまたまじゃない?」」

「そんな偶然があるかーっっ!!」

 叫ぶ男。足元の不定形液状生物も驚いたのか、ぽよんぽよんと離れる。

 ふと。ライネの顔が、急に余裕のある落ち着いた笑みを形作った。


「……旅人よ。それは考え方が間違っているのです」

「どういう意味だ? 別に間違ってないだろ?」

 急に意味不明なことを言い出した子供を諭すようなライネの顔にイラッとしつつ、男は先を促す。


「このモンスターが異世界に存在するのが普通であって、そちらの世界にいないのがおかしいのです。つまり、!」


 ぴしゃーん!

 胸を稲妻で撃ち抜かれたような顔になる男。 

「……なん、だと……」


「そう。思えば先ほどの、そちらの世界にある草木が、こちらの世界にもあるのはおかしい、みたいな考え方それ自体も、そちらを主とした意見ではありませんか? そちらのいう異世界からすれば、貴方のいる世界も異世界であり、。そこに似通っている点や、多少違っている点があったところで、片方だけが異世界としておかしいという根拠にはならないのです――!!」


 ライネは、両肘を腰につけて掌を上に向ける、女神のポーズを決める。

 なぜか後光が差して、くっ! と男が怯んだ。


「えー。異世界は異なる生態系って最初に言ったの女神様じゃむぎゅ!」

 女神のポーズのまま片手で素早く妖精を掴んで言論を封じるライネ。


「……じゃあ、なんでこいつは、俺のいる世界には存在しないんだ? こいつは虚構フィクションなら割とメジャーなモンスターなんだが」

「そこまでは私にも分かりません。ですが、よく見て下さい。このモンスターは本当に、貴方の知る空想上のモンスターそのままでしょうか?」

「――――――――」


 言われてみれば。確かに。

 頭は突起状ではなく、丸々とした楕円だった。

 青みのある軟体は、透明度が高い気がする。

 黒いつぶらな瞳には、愛嬌がありすぎる。


 まるで知財権を侵害しないために絶妙に外したデザインになっているような感じではあるのだが、いや、そういう考え方がすでにおかしいのかもしれない。ここが異世界であれば、こちらの世界の知財権に配慮なんてするはずがない。

 ……ならば、答えはひとつしかなかった。


「ば、馬鹿な……たまたま似てるだけ、だと……」

 その場で膝を突く男。


「そう。恐らくは偶然、そちらの空想上の生物と一致率が高いだけなのです。………とはいえ。このモンスターが存在しない異世界は、他にもあるかもしれません。ですので、あなたのいた世界にこのモンスターがいないこともまた、おかしいことではないのかもしれません」


 女神は慰めるように男の肩に触れて、微笑んだ。


「――そんな風に考えたら、異世界のここがおかしいとか、おかしくないとか、疑う必要さえないとは思いませんか? 世界は世界として、ただあるがままに存在する。その奇妙さをそのままに愛することが、今の旅人には必要ではありませんか?」


 ライネの青い瞳は、星のよう。

 星の光に魅入られそうで、男は目を逸らした。


「……たまたま、か……」

「ええ。その通りです。それに御覧さない。このモンスターは、こうして目の前で生きている。どんな存在であれ、きちんとした命あるものの存在を、どうしておかしいなどと否定できましょうか」


 男は、足元の不定形生物を見下ろす。

 さきほど男が叫んだせいで離れていったそれは、ぽよんぽよんと、またこちらに戻ってきていた。男の足元で呑気そうに弾んでいる。不思議と嫌悪感はない。強力な酸性をもったものもいるらしいが……いや、それもこちらの世界の話だな、と男は苦笑した。こういうのも一種の固定観念なのかもしれない。


(……そういえば、こっちの世界のスライムの起源は、現実のどの神話や伝承にも存在しないって何かで読んだ気がするな。本当に完全な空想上の存在から生まれたという話らしい……)


 ――この異世界で、それは確固たる存在として弾んでいた。そんな存在そのもののパワーを前に、しみじみと感じ入る男。そうだ。この女神の言う通り。生きているものを前にして空想のほうが正しいなどと言うのは、おかしな話だろう。


「……確かに俺が変なこと言ったな。すまん」

 素直に謝る男に、顔を輝かせる女神。

「いいのです、いいのですよ旅人よ。汝は異世界初心者ですもの。そうした思い違いやカルチャーショックも数多くあることでしょう。現実の異世界ではスライムひとつで右往左往、そういうものなのです。ですが、ご安心なさい。大丈夫です」


 ふふふ。と目を輝かせるライネ。

「そんな異世界への認識のギャップを埋めて余りあるのが神々からの贈り物、すなわちギフトなのですから! では、まず最初にご紹介するのは―――」


「待て。今なんて言った?」

「……はい?」

 冬の嵐のような顔で、目を光らせる男。


 


 バッと音がする勢いで顔を逸らすライネ。

 その隙を突いて、女神の手の中から脱出するスオ。


「……ふう、やれやれ。で、そっちの世界でもスライムなのー?」

「ああ。ラテン語だったか英語だったか忘れたが、そのあたりが語源になってるはずだぞ。こっちでもスライムなのか?」

「うん。ボクらは、こういう水気みずけのないところのスライムは『平原スライム』って呼んでるよ。地方や場所によっては別の呼び名もあるけど、湿地帯とか洞窟とかのスライムはこんなに跳ねないからねー」


「なるほど。こちらでもスライムと」

 ジロリと女神を見る男。

「……おかしいよなあ……ありえないよなあ……!」


 ふふふ。と鉄壁の笑顔の女神。

「たまたま……ではないでしょうか?」

「なるほどなあ。これも、たまたまかあ」

「ええ、そうですとも!」

「そうかー はっはっは」

「ふふふふ……」

「あははははは」

 なんとなく笑いだす男と女神と妖精。


「見た目が酷似してる上に名前が丸々同じでそんなもん通るかぁぁー!!!」

「ぴゅぇっ!?」

 ちょっと涙目になるライネ。

 なんとか頑張って誤魔化そうとしたが、ダメだったか。ほとんどいけそうな雰囲気だったのだが。


(まったくもう、なんでこう、都合の悪いところばかり突いてくるのかしらこの男は――!!)


 ……実は神々の中には、魔獣の神がいる。

 紆余曲折あるのだが、要は、その神が全てのモンスターを創造しているのだった。スライムはそんな中でもベストセラーを誇る傑作であり、いろんな異世界に輸出されていたりする。そして魔獣の神が、スライムをデザインする際に参考にして、ついでに名前まで拝借した世界が――


(……このあたりの話は、おいそれと人間には言えないのよね……)


 なぜなら――魔獣の神は、ライネのいる異世界転生の組織にも所属しているのである。主に人外への転生を担当しているのだ。とはいえ、モンスターは基本的には人間に対して害をなす存在であり、その創造主と組んでいると知られれば世間体が悪くなる。なので魔獣の神に関する情報は、全て機密扱いなのであった。


(……詳しい事情を話したら、絶対に、神とモンスターのマッチポンプだのなんだの言いそうよね。この男の場合……)


 さて。どうしたものだろうか。

 疑心たっぷりに睨んでくる男と、なんだか面白そうという顔のスオの視線を受け止めながら、澄ました笑顔になってライネは考える。


「そちらのスライムと、こちらのスライム。名前がなぜ同じなのか」

 くわっと目を見開いて、ライネは言い放った


「…………私も知りませんッッッ!!!」


「――――――」

 ジロリ、とライネを見つめる男と妖精。

「……旅人よ。神は全知全能ではないのです。もしも気になるのであれば、汝が自ら異世界を探求して、その理由を探すが良いことでしょう……」

 ライネは鉄壁の微笑を保ち続ける。

「まあ。知らないなら別にいいんだけど、な」

 極めて疑わしい。そんな言葉が顔から滲み出ている男であった。


(……明らかに信用度が下がった感じね……)

 とはいえこの先、男のいる世界の架空のモンスターなどいくらでも出てきそうなものなので、これは必然だったのかもしれない。まったく! 暗示さえ、暗示さえきちんと効いていれば何も問題なかったのに――!


(ま、まあ、今はこの男にギフトを選ばせることだけを考えよう……それにしても、脅威になりそうな手強いモンスターがいない場所ね。私がそういう場所を選んだんだからそれはそうなんだけど、ギフトを試して見せるなら……いや)


 ぴこーん!

 ライネの頭上に閃く豆電球。そうだった。

 異世界におけるモンスターとの戦いは、何も自衛のためだけ、というわけでもないのだ。


「ふふふ。ふふふふ」

「な、なんだよ急に」

「いえ……旅人よ。よく考えると、スライムがそちらにはいないとか名前の由来がどうとか、そんなことは些細なことなのです。それよりも汝は、今からもっと重大な問題について考えねばならないのですから」


「な、なんだと……」

「汝のステータスには、レベル1とありますね?」

「だったら、なんだよ」


「異世界はたくさんあって、その在り方もさまざまですが―――異世界によっては、モンスターを殺して経験値を貯めることでレベルを上げて、自身を強化しなければいけない世界というのもあります。ステータスやレベルがあるのであれば、ここもそうした異世界なのでしょう」


 ――男の顔が強張った。

 女神が何を言いたいのか察したのだ。


「はたして、? 例えば、その足元の無害そうなスライムを、なんの罪悪感もなく殺せますか……?」


「――――――」

 男は凍り付いた。


 死者は蘇らない。だから自衛のためならモンスターと戦うしかないかもしれない。誰だって死ぬのは嫌なものである。では……より危険の少ないモンスターであれば、自らの強化のために命を奪うのは……許されることなのだろうか?


 男の足元では、つぶらな黒瞳のスライムが、ぽよんぽよんと気楽そうに弾んでいる。生きている――


 えっ。これを殺す? 俺が?

 ……なんで??


?」


 ライネは内心で、これだ! と喝采をあげた。

 男は、いや、男のいる世界では、命を奪う行為が日常化していない。どんな人間であれ、そうした職業にでも就いていない限りは、生き物を殺すことには抵抗があるものなのだ。ましてや食事のためでもなくレベル上げを理由に何かを殺すなどと、やったことのある狂人は男の世界にはいないはずである。


 もちろん普通の転生者には、暗示でそのあたりをボカして異世界に送っているのだが、今のこの男には、それがないのだった。


(……そう。レベルが存在する異世界では、とにかく殺して経験値を稼いでレベルを上げなければいけないものなのです。…………?)


 うわー。みたいな顔で引いてる妖精をぺしんとはたきつつ、ライネは微妙に邪悪な女神の笑顔を浮かべるのであった――

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