一章 異世界フォルト

第8話 真・旅立ちの時

これまでのあらすじ:

 男を異世界に転生させるためには、うまいこと男にギフトを信用させて選ばせねばならない。新人女神のライネは、20あるギフトを試しに使ってみせるために、お試しの異世界フォルトに向かうのだった――


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 女神ライネが指を鳴らすと、何も無い空間を押しのけるように扉が出現した。異世界フォルトに通じる、旅立ちの扉の魔法である。

 すかさず音楽の妖精達がドヤ顔で鳴らす楽曲は、心高鳴るファンファーレ。男はごくりと息を呑む。お試しではあるが、ついに異世界へと足を踏み入れる時が来たのだ……!


「旅人よ、今こそ旅立ちの時です!」

「ああ。扉を開けていいぞ」

 と言った男の声は妙に遠い。んん? とライネが振り向くと、男は旅立ちの間の中央にある玉座っぽい椅子の裏に身を潜めて、こちらの様子を窺っていた。ジト目になるライネ。


「いやいやいや。大丈夫です。大丈夫ですよ旅人よ」

「うるさい。あんな目に遭ってすぐ信用できるか」


 がるると男は警戒を緩めぬ様子。今まさに冒険の始まりを奏でるシンフォニーは絶好調だが、肝心の主役の心はあまり晴れやかではないらしい。ちょっとトラウマになってしまったのかもしれない。


「もう。本当に今度は大丈夫なのに……」

 とは言うものの、実は異世界フォルトについて何も知らぬライネ。だんだん心配になってくる。


(……いくらなんでも、さすがに二度は……いや……まさか……)

 しばし考えた末に、ささっと扉から離れるライネ。天丼の可能性を考えたらしい。何が来ても火の魔法で遠距離から迎撃できる位置に身構えた。


「旅人よ、今こそ旅立ちの時です!」

「ああ、行こう!」

 ついに異世界へ足を踏み入れる時が来た――!


 ゴゴゴゴゴゴ……!!

 旅立ちの扉が重々しく開くのを、離れた位置から固唾を呑んで見守る二人。それに合わせて妖精の演奏もフィナーレへ。やがて扉の隙間から光が溢れて、異世界の光景が広がる。


 ……扉の向こう側は、青と緑で二分されていた。

 ライネは表情を緩めて、すたすたと扉に歩み寄る。扉をくぐって屋内から外に出た瞬間、開放感に満ちた空気に変わったのが分かった。……深呼吸。青い空は明るく、雲を穏やかに運びながら、なだらかな緑の草原に暖かな陽射しを降り注いでいる。


 ――その草原は、平和な静穏で満たされていた。

 まばらな木々が目立つ程度で、彼方にうっすら都市らしき影が見える他は、本当に見渡す限りの草原だ。ふと吹いた風がライネの豊かな金髪を揺らし、そして目の前に広がる緑色の海原を波立たせた。どこかライネの故郷の異世界を想わせる風景。


 ふふふと機嫌よく笑い、扉に振り返るライネ。


「旅人よ。何も恐れる必要はありません。近くに怪物モンスターの気配はありませんし、お試しとはいえ記念すべき異世界の大地、その第一歩を踏み締めるとよいでしょう。そして、この降り注ぐ陽光の優しさ、吹き抜ける風の囁き、草木の揺れる音を、全身をもって実感するのです……!」


 そもそもお試しで異世界を見せようという話になったのは、男が異世界の実在をなかなか信じないからであった。しかし。


「………あれ?」

 男が出てこない。玉座っぽい椅子の裏から顔を覗かせている様子もなかった。

 はて? と小首を傾げるライネ。

 やがて「あっ」と思い至る。うっかりしていた。


 目を細めるライネ。精神を集中。

 ……かなりうっすらとだが、扉の前でうろうろ浮いている青白い火の球のようなものを見る。


「えー、旅人よ。ちょっと旅立ちの間に戻りなさい。そこにいるのは分かっていますから、落ち着いて戻りなさい。いいですね?」

 そう言いながら、ライネも慌てて旅立ちの間に戻っていった。


 旅立ちの間には、困惑した様子の男が立っていた。急に現れたのである。

「な、なんだ今のは。俺はどうなっていたんだ」

「すっかり忘れていました。今のあなたには肉体が無いのです」

「はぁ……!?」

 驚いた様子の男だが、少し考えてみれば当然の話ではあった。そもそも彼は死んでいるのである。


「じゃあ今のこの身体は何なんだよ?」

「この旅立ちの間が存在する世界では、魂だけでも肉体があるように認識できるのです。ですが、あちら側は普通の世界なので、転生していないのなら剥き出しの魂のままでしか存在できないのですよ」

 そんなライネの説明を聞いて、なるほどなー? と納得する男。


「……いや待て。お試しとはいえ、俺はあんな状態のまま異世界に行くのか?」

「いいえ、それは危険です。魂のままというのは、とても無防備な状態なのですよ。えーと。しばし待ちなさい」


 すたすたと旅立ちの間を出ると、ライネは控室から何かを持って戻って来た。


「なんだそりゃ。……服か?」

「これは魔法の服です。その服を着れば、人間の姿を保ったまま異世界で活動できることでしょう」


 周囲を見回す男。

「……ここで着替えろと?」

「早くなさい旅人よ。魔法ですから時間が経てば旅立ちの扉は消えてしまうのです」

「えっ。マジか」

 慌ててズボンのベルトを緩めようとする男。あわあわと慌てるライネ。


「ちょっ、そこの玉座っぽい椅子の陰でお着替えなさいっ」

「急ぐんだろ!」

「急ぎはしますが女神への不敬は許しません!」

「というか、今の俺の身体は魂のはずなのになんで着替えなければいけないんだ? そもそも脱いだ服はどうなるんだ!?(ガチャガチャ!)」

「好奇心で脱がないで!?」


 あわわと慌てて背中を向けるライネ。背後の衣擦れの音を聞いて赤面する。

(……こ、これだから信仰心のない人間は……!)

 初々しい女神なのであった。

 ぱー、ぱららららー、と少しエッチな雰囲気になってしまうBGMが流れ始める。ライネが睨み付けると、妖精達は肩をすくめて演奏を止めた。


「着替えたら脱いだ服が消えた!」

 振り返るライネ。男はファンタジー世界に登場するような、地味であまり豊かではなさそうな村人めいた格好になっている。


「つまり魂の形が変わったのです。これでその異世界では、外見だけは誰がどう見ても一般的な村人に見えることでしょう」

「おお、便利だな魔法の服!」


 ――などとやっている間に、ふと見ると、旅立ちの扉の魔法は消えていた。


「…………」

「…………」

 微妙に気まずい顔のライネと男とついでに妖精達。

 こほん、と女神は咳払い。指を鳴らす。

 再び音もなく現れる扉。ゴゴゴゴゴゴ――!! と重々しく開き始めるが、三度目ともなると、もはや新鮮さは無い。


「旅人よ、今こそ旅立ちの時です!!」

 気まずさを振り払うように声をあげる女神。

「いったいどんな異世界なんだろうな!!」

 なんとなく雰囲気を察して乗っておく男と、空気を誤魔化すように派手に鳴り響く妖精達のBGM!!


 ……ぐっだぐだな旅立ちであった。


 ともあれ。

 女神ライネと共に、男は異世界の大地に踏み入る。難しい顔をしながら周囲を見回したり、草に触れたりしている彼の様子を見ながら、さて、まず最初はどんなギフトを見せてやろうかと考えるライネ。うまいこと言いくるめて誤魔化し、このギフトを持って転生したい! とか言わせねばならぬ。


(……もちろん、勝算はある。あるけど……)

 なぜだろう。初仕事のせいなのか、妙に嫌な予感がするライネである。

 万が一ということもある。うっかり全てのギフトに問題ありとされた場合、人間如きの願いをなんでも叶えねばならないのだ。勢いでああ言ったのだが、ちょっと心配になってくるのが女神心というものである。


 ライネは足早に扉まで戻ると、旅立ちの間へと声をかけた。


「音楽の妖精達よ。私のサポートとして、汝らの中から一名を同行させます。すぐこちらに来なさい」


 いざという時の保険として音楽魔法を確保しておこうという算段であった。

 どよめく妖精達。戸惑いと期待に揺れている様子。

 しばしの後……


「はいはーい、ボク行きまーす!」

 ぴゅーん、という感じで扉から飛んできたのは、黒みがかった紫の髪と瞳をした、美しい容姿の妖精だった。全身は白い包帯に包まれていて、それ以外は何も着ていない。それでいて中性的な身体つきなのか、男の子か女の子かよく分からなかった。


 ジト目になるライネ。

「お前、服はどうしたのです」

「そんな熱い視線で見られると困るんだけどぉー」

 無駄に艶めかしいポーズになる妖精。薄く笑う。

「燃えちゃったよ。なんでだろうね?」

 目を逸らすライネ。


「えー、なんと呼びましょうか」

「スオでいいよ。女神様、よろしくねー」

 にこー、とスオは笑った。


「なんだそいつは」

 ライネとスオの様子に気づいて、男が寄ってくる。

「やあやあ旅人さん。ボクはスオって言うんだ。せいぜい頼りにしたまえよ」

 投げキッスして飛んできたハートを、思わず手ではたいて落とす男。なんつー適当な存在だろうか。


 そして。

「じゃあまずはこのあたりの様子を偵察してくるよ。いってきまーーすーーー!!」

 とても凄い速度で飛んでいった。

 妖精というのはもっとふわふわした生き物かと思っていたので、男も女神も、スオの意外な飛翔速度にあっけにとられることになった。


 ふと気づく。

「……あいつ、適当にどこか遊びに行ったとかそういうことはないよな?」

「………………」

 妖精なので否定はできない。女神は遠い目で何も答えなかった。


「さて旅人よ! 汝がその身をもって異世界の実在を確認したところで! 次はさっそく! ギフトを試しに使ってみようではありませんか!」

 スオのことを無かったことにして話を進めようとする女神ライネ。しかし。


「あー。その件についてなんだが」

 ちょっといいか? みたいな顔で手をあげる男。

「……なんですか旅人よ」

 嫌な予感がする女神。


?」


「もちろん異世界ですが」

「ところが……だ。こういう草とか木とかは、俺の世界にも普通にあるんだよ。異世界とは異なる生態系だ、みたいに言ってたよな? それなのに植物とかは見覚えがあるというか、ほぼ同じ。これはどういうことなんだ? かなり怪しい――」


(……ま、まさか……)

 疑念に満ちた男の眼差し。ライネは白目になった。

!?)

 もう8話ですよ!?

 どうしよう。さすがに想定外だ。近くに何か異世界っぽいものはないかと周囲を見回すライネ。……見つけた。ふふふ。と余裕のある女神の微笑で天を指す。


「旅人よ。あれを見なさい!」

「……はっ!?」


 頭上の真昼の空には、衛星らしき大きな星が、なんと2つも浮かんでいた!


「あなたのいた世界には小さな月が1つだけよね? つまりあれこそが、ここが異世界だという証拠に他ならないのですっ!」


「……地球に似た別の惑星かもしれん。やはりお前は宇宙人……!!」


(ああああああ!!)

 心の中で頭を抱えてヒステリックに叫ぶライネ。

 1話まで話が戻った……!!


「た、たまたま、たまたま似た植物なのです!」

 実際は知らないが、それで通そうとするライネ。

「太陽の大きさも似てる気がするなあ……」

「たまたま似たような距離なのです!」

「なるほどなー」

 うんうんと笑顔で頷く男。


「そんな偶然があってたまるかぁぁ!!」

(……め、面倒くさい!!)


 そもそも、ライネは女神であって、教師でも博士でもないのである。そういう疑問はこちらが資料を用意してからやってほしいと思いつつ、さて、どうしたものか。男の世界になくて、異世界にはあるもの―――


 ぴこーん! とライネの頭上に豆電球が点いた。

 そうだ、あれならどうか。

 この世界にはあるだろうか。


!」

 ライネが宙に向かって呪文を唱える。すると………何やら文字や数字の書かれた、半透明の板のようなウィンドウが空中に現れた!


「やった!」

「なん、だと……」

「こほん……旅人よ。ここには私の職業や能力値が書かれています。これは汝の世界や他の惑星ではありえない現象! つまり――ここは異世界なのです!」


!!!」

「ええええええ!?」

 男は叫んだ。ブチ切れだった。


「こんなんゲームやん!? ゲームの機能やん!? 異世界にゲームがあるのは理解できるかもだがゲームは異世界じゃないだろ!? じゃあこの異世界はゲームデザイナーが創造の神なのか!? ああ!?」


「い、いえ……旅人よ。落ち着きなさい。!」

「―――なぬ?」

「魔法とは人知を超えるもの。そう説明しましたよね? ステータスは数字の神の魔法で、対象のいろいろな要素を定量化して数字として表現するという魔法なのです。これは古い型式のものですが、まず間違いありません!」


「……。ステータス」

 疑わしい顔のまま男も唱えてみると、目の前にステータスが表示される。黒い背景に白い文字。とてつもなく見覚えがある形式の画面にイラッとする男。


「いや、ちょっと待て。確か……魔法には魔力が必要だったり、信徒が神様に詠唱でお願いして起こるとかじゃなかったのか?」


「そこが数字の神の凄いところなんです。なんと数字の神は、。ステータスの魔法は、低コストで空気中のほんの僅かな魔力だけでも発動可能、詠唱も呪文名だけというレベルまで短縮された、洗練の極まった凄い加護なんですよ!!」


「……それは気前のいい話だな」

 神々の業界でも有名な話なのでライネは力説するが、なぜか男は半眼である。


「いや、これは本当に凄いのですよ!? このステータスの魔法は、数字の神のベストセラーとして多くの異世界に加護が輸出されてますし、そもそも計算という行為が数字の神に対する信仰方法なので、いろんな世界から信仰も集まって――」


「なあ」

「なんですか」

「この画面ステータス、思いっきり日本語とアラビア数字で書いてあるんだが……?」


 しばしの間。


「それは魔法の服の効果で、異世界の文字でも魂で見慣れた文字や数字に変換されるのです!」

「お前それ今考えたんじゃないよな!?」

「違いますってば!」

「嘘つけー!」

「なんと不遜な!」


 そもそも呪文名が英語なのはおかしい、いいえそんなことはありません、とぎゃあぎゃあ言い合いをしていると。「おーい」というのんびりした声。

 ライネと男が視線を向けると、ふわふわとスオが飛んで戻ってきていた。


「妖精よ。偵察はどうでしたか」

 ちゃんと戻って来たことに驚きつつライネ。


「面白いのを見つけたよ」

「面白いの?」

「うん。連れてきた」

「……は?」


 あれ、あれ。という感じでスオが指し示したその先に……それはいた。

 草原の茂みを揺らしながら、ぷよん、とした動作で、ライネと男の前に現れる。


 ――丸みのある青みがかかった透明な軟体。

 ――つぶらな二つの黒瞳。

 ――横に伸びる赤い口。


「お、おおおお……!?」

 衝撃を受ける男。

 この知財権とかに引っかかりそうな容姿には、極めて見覚えがあった。


 ファンタジーの世界ではお馴染みの、怪物モンスターなどと呼ばれる人間を襲う生物。その代表格として名高い気がするポップな存在が今、ライネ達の目の前に姿を現したのである……!

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