第3話 女神の証明
女神ライネは憤慨した。必ずこの暴虐な旅人を異世界転生させねばならぬと決意した。相手は女神のなんたるかが分からぬ。無宗教な人間を選んでいるので仕方ないのかもしれないが、けれど女神は威厳が傷つくことには人一倍敏感であった。
……これには神としての事情もある。
神は普通、正しく神として振る舞えば自然と神として認知される。だから存在を疑われる状況というのは、神格の低さ、または怠慢を意味するのだ。もっと酷くなると神として死んでしまったりもする。何にせよ存在を否定されることは、神へのダイレクトアタックなのだ。
(そんなこちらの事情も知らずに、この男は……!)
ここは自分が女神だと証明せねばならない流れだ。
しかし実は、ライネにはそれさえも恥ずかしい。自分は神なんですと主張する神もまた、つまりは神格が低い証拠なのである。まさにぐぬぬだった。
(……異邦の、信徒でもない人間の前に姿を現すと、こんな屈辱的な目に遭うのね)
大手の異世界転生の女神になることを同郷の神に伝えたら、なぜか微妙に半笑い顔のリアクションを返されたのは、こういうことだったのかもしれない。
まったく。あの最初の暗示さえちゃんと機能していれば、こんな風にはならなかったはずなのに……!
ともあれ。ここからは神の尊厳を賭した戦いだ。
さすがに負けられないので、きりりと気持ちを引き締めるライネ。
「……旅人よ。汝は女神である証拠を出せ、などと言いますが……そもそも、神がどういう存在なのかは、ご存知なのですか?」
まず一手。逆に聞き返す。
難しい顔になる男。
「ぐっ……神の定義か」
「ふふふ。そんなことも知らず女神なのか、などと。ふふふ。お可愛いことですね。ふふふふ――!」
おやおや。焦って考え出す男の様子に、なんだか楽しくなってくるライネ。華麗に論破して顔真っ赤で泣かせたりできないかしら。ふふふふふ。
「……人知を超えた存在、あたりでどうだ?」
「……むっ」
まるでググったのを、ぱっと使ったような意見。
しかし、正しくはあった。神とは人知を超えた存在である。その通り。
なので―――次で証明完了だ。
「まあいいでしょう。ではもうお分かりですね? はいドーン!」
慈悲深い女神のポーズと同時に、空中にいくつもの炎の火球を出現させるライネ。びくっ! と男がビビった反応をしたのを見て、暗い愉悦を感じた。
「ふふふ。魔法こそ人知を超えたもの。つまり魔法を使う私は……神なのです!」
………。
静寂が生まれた。
ぐうの音も出ないとはこのことだろうか。やれやれと勝利の余韻に浸り勝ち誇るライネ……ハッと思い出して、いそいそと今度こそ火の魔法をちゃんと消した。完全なる勝利――!
しかし男のリアクションは、実はライネの思っていたそれと違っていた。
男は腑に落ちない顔をしていたのである。
「ちょっと聞きたいんだが」
「どうぞどうぞ」
「さっき『異世界とは異なる技術でもある』とか言って魔法を出してたが、じゃあ、異世界で魔法を使う人間とかはいないのか? 魔法使いとかそういうのは」
目を逸らすライネ。
「……まあ、いないなことは、ないですけど……」
ニヤリと、いやらしい感じで笑う男。
「じゃあお前は、魔法を使う人間が神を名乗っているだけじゃねーの?」
「違いますっ」
また失礼なことを言ったっ。ぷんすかと怒るライネだが、まあこれは明らかに男に知識がないからなので、大いに憤慨するほどではなかった。
「――旅人よ。神々は敬虔な信徒には加護を与えることがあります。そのひとつが、その神が司りし魔法なのです。……こう、詠唱ってありますよね? あれはつまり、敬愛する大好きな神様助けて私は虚弱貧弱無知無能の人の子なので今すぐ加護で魔法を起こしてくださいっ。とお願いしているのです」
「お前やっぱ邪神だろ」
ジト目で女神を見た後、ふと男は気づいた。
「詠唱ってあれだろ。黄昏よりも暗きもの……みたいな魔法を使う前に唱える呪文のことだろ」
「そうですそうです。それですそれです」
「そういえばお前、さっき火の魔法を使う時に詠唱なしで魔法を使ってるな……」
「よくお気づきになられました!」
呑み込みの悪い生徒が快活に解答を示したのを見た教師のような気持ちで、ライネは明るくぱちぱちぱちと拍手した。
「神とは魔法そのもの。なので魔法の使用に賛美や請願のための詠唱など不要なのですっ。そういうのが必要なのは、神頼みという情けない行いをするに至った無力な人間なのですよ……ふふふ……」
男はライネが水の魔法を使った場面を思い出す。
『ああっ、えーとえーとっ。あれっ、名前なんだっけ!? うーあー! 盟友たる水の神の加護をここに! アクヴォ!!』
「お前だって神頼みしてたじゃねーか!?」
「ぐっ……!」
すごい勢いで顔を逸らす女神ライネ。
「――ああ、そうか。詠唱してるってことは、お前は水の神じゃないからか。多分、水の神から加護を借りて魔法を使ってるってわけか?」
「ま、まあ。そお、ですね……」
同盟関係の神同士は、加護の融通が可能なのだ。
「しかも盟友とか言いつつ、相手の名前を忘れてるのでは?」
「………」
女神は黙秘した!
「というかお前、神が友達の名前忘れたり、いやそもそもドジって火事起こしてるのはいいのかっ!?」
「か、神様だってドジったりド忘れしたりすることはありますぅー 人知を超えてるだけで全知全能とは言ってませんしぃー」
ついに女神は唇を尖らせて開き直った!
男は戦慄した。
(なんてこった。神様にしちゃ人間的すぎるからそのへんで切り込もうとか思ってたが、そんな人間みたいに不完全でも神とか、アリなのかよ……!?)
とはいえ、思い返せば地球の神々も完璧超神ではなかった気がする。まあ唯一神とかそういうのだと違うのかもしれないが。しかし、これには困った。
(……くそっ。他にも神がいるっつーなら、まあ多分だが、多神教みたいな感じなんだろうな。……や、ヤバイ。このままだと、こいつを神と認めざるをえなくなる! 正直こんな迂闊そうな神の言うことを聞いて異世界に行くとか、今から船旅に利用する旅行会社の名前が『ドロブネ』ぐらいありえないだろっ!?)
異世界は実在するかもしれない。
魔法は神の加護だか奇蹟なのかもしれない。
神はいるのかもしれない。
しかし。
(……たった一度の異世界転生なら、もっとまともで、きっちりした異世界転生をしてみたい――!!)
その点で考えると、この異世界転生の女神は、どこか胡散臭いのだった。
「……ふふふふ。途中ほんの少しだけ取り乱しましたが、私が神であることは根拠付きで証明できたことでしょう。もちろん私がそう言っているだけ、などと主張することは出来るかもしれませんが、それもまた異世界に
男があれこれ考えている間に落ち着いたのか、ライネは女神の笑みとポーズと後光でグイグイ男を圧してくる。もうこのへんが胡散臭い。こんなラノベめいた異世界転生の女神に従った日には、ラノベめいた酷い目に遭うぞと考える男。
女神ってこう、もっとさあ……! ビジュアル重視もいいけどさあ……!
(ん……いや、待てよ……?)
何か矛盾が。引っかかることがあった。
「素人質問で申し訳ないが、いいだろうか」
「……なんなりとお尋ねなさい旅人よ」
ちょっと身構えるライネ。
「俺みたいな異世界の人間が別の世界に行ったら、その世界に無用な混乱を引き起こしたりするのではないだろうか?」
「――――」
大丈夫。これはマニュアル対応で済むレベルだと考えるライネ。
「安心なさい。確かに汝の存在は異世界では奇異なる存在ですが、その点については加護を与えたりして、しっかり万全の態勢でサポートしましょう!!」
ここぞとばかりに光輝く笑顔で明朗に答える女神。
「具体的にはギフトという……」
「――異世界があるという事実は、異世界でも一般には知られてないんだな?」
「え、ええ。まあ、そうですが。……あっ。召喚に応えたいという形での転生などをお望みでしたら、少しだけお待ちいただくことになりますが……」
「い、いやまあ、それはいいんだが」
じっと女神を見て、男は言う。
「お前は神だ」
ぱっと顔を輝かせるライネ。
「ええ、そうですとも!」
そして男は目を光らせて言い放った。
「……異世界が知られてない世界で、『異世界転生の女神』なんて女神がいるわけあるかーー!!!!」
ばっ! と音がする勢いでライネは顔を逸らした!
「どういうことや? 神様ってのは神頼みされるような存在なんやろ? なんで異世界を知らんはずの異世界の人間が、異世界転生させてくれー、ってお前にお願いしとるんや? ああん? 理屈が通らんやないか……!?」
「……いえ、そ、その、そういうことはありませんが………あっ、そう、来世! 来世という概念は異世界にもあったりするんですよ、ええ! 多分!」
ライネの頬を流れる汗。
じわじわと狭い路地に追い詰められている感覚になりつつ、しかし女神はなんとか微笑を崩さず続ける。
「……どんな世界の人間であれ、死は等しく訪れるもの。そして生きとし生けるものであれば、次なる生を望むこともまた心のありよう。私はそうした人の心を救う神なのです――!」
「そやな。確かに最初に『旅立ちと変転を司る女神』とか言うとったな」
「で、ですです。つまり異世界への転生ですよね? もう、いやですねえー、ほらー、伏線ばっちりじゃないですかー。というか急にそっちの独立言語で喋るのなんか怖いのでやめていただけませんか……!?」
「じゃあ聞くんだが」
極めて疑わしいという顔で、男は言った。
「なんで異世界転生の女神が、火の攻撃魔法を司っているんだ? 異世界転生と全然関係ないだろ。それ」
「――――――」
ぶわっ! と全身で汗を流して、女神は固まった。
「………。そ、それはー。そのー、えー、神の聖なる光の炎がー、みたいなー?」
あわわわと内心で慌てるライネ。
まずい。とても、まずい流れだ―――
「お前は神だ。なるほど、これは認めてもいい。神も人間みたいなポカをする。なるほど、これも認めよう。まあアリだ」
淡々と男は言った。
「で。何の神だって?」
「……だ、だからその、旅立ちと変転の……」
「じゃあ、お前は人々からどのように崇められているのか聞かせてもらおうか。今までの話から考えると、最低でも火が関係しないと辻褄が合わないよな?」
女神の言動や様子から、男には確信があった。
恐らく神として崇められている内容は、異世界転生とは関係がない――!
「……」
笑みも浮かべずに、黙秘顔の女神。
「まあ。ちょっと言うのが恥ずかしい崇められ方をしてる神なのかもしれんが」
「―――――――――――!!!」
ライネは顔を真っ赤にして、男を睨み付けた。
「……うです……」
「なんだって?」
「火葬ですが何かっ!!!!?」
女神は涙目でキレた!
「ええ、そうですよっ。死体を骨まで燃やし尽くしてあの世に送るのが私の神としての本質です! なんですか馬鹿にしてっ。こっちにだってちゃんと厳かな信仰があるんですよっ!!」
ぴーぴーと喚き出した!
それはもう一転してものすごい剣幕だったので、思わず男も後ずさった。
「あなたも土葬が主流ですよとか言うんですかっ!? 疫病に感染してそうな神とか言うんですかっ!? 死体の首を切り離せばいいのにとか言うんですかっ!? 葬式くさいとか灰被りとかディスりますかっ!? もっとジメジメ重いイメージじゃないのとか言いますかっ!? 女神がイメチェンしたらダメですかっ!?」
「あー! いや、まあ! その、なんだ! 俺の世界というか国は火葬の国なので、えー、大変にありがたい神様だとは思いますというか……」
「白々しいフォローは要りませんっ!」
どうもライネには謎のコンプレックスがあるらしい。神様の神性をいじるのはまずいんだな、とようやく実感する男。
「……せっかく大手の異世界転生の女神になったのに……人間如きにまで……こんな……醜態を……ぐすっ……」
泣き出した!
「あああー、火っていいよなっ! 文明を興した神の一手! 闇の炎に抱かれて消えろ! 炎の魔女もすげー強いわけで、やっぱ火ってカッコいいっすわー! 超メジャーっすよねー!?」
しばし、あーだこーだ女神をヨイショし始める男。
―――30分後。
「………。ふふふ。旅人よ、どうやら神の偉大さを真に理解したようですね――!」
「マジ認める! すごい! パねぇ! ヤバイ! ただの人間とか消しゴムのカスみたいなもんっすよねー!?」
機嫌を回復させた女神と、ぜえぜえ息を切らせて語彙を尽くし疲労した男。こう、いじめたみたいになったので、つい慰めてしまったのであった。
とはいえ。
「こほん。……では旅人よ。私が女神であることを認めたようですし、いざ異世界へと旅立とうではありませんかっ!」
「いいや、まだだ」
それはそれとして、である。
「…………………ちっ」
泣き落としからの流れでうまくいかんかなー、とも思っていたライネは、そっと小さく舌打ちした。
「……この疑問に答えてほしい。ちゃんと答えてくれたら異世界がどんな感じなのか見に行くぐらいは、考えてもいい」
「……なんでしょう」
「なぜ火葬の神が」
「旅立ちと変転を司る女神ですよ!!!!」
「あ、はい」
がるるという目付きになった女神を素直に面倒くさいと思いつつ、男は続ける。
「なぜ、現地で旅立ちと変転(火葬)の女神として崇められている神が、わざわざ遠い異世界の、そこで死んだ人間の転生を案内なんかしてるんだ? これ、近いようで全然噛み合ってないよな?」
「――――」
「もっと言えば、だ」
男は目を光らせる。
「現地の人間に信仰されるからとかなら分かるが、異世界の人間を対象にするのは何故だ。どんなメリットがあって、神様は異世界転生なんてことをしているんだ? そこを聞かせてもらおうか」
「―――――――」
女神ライネは、女神のような笑みを浮かべながら、静かに思った。
(やはり、そこが気になってしまいますか……)
内心で焦り出す。この流れだけは避けたかった。
なぜなら……それだけは素直に話すわけには、いかないからであった。
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