第3話 キスをする人

 僕らはそうして、サッカーの勝利への欲望と、お互いへの欲望をないまぜにしていった。特に夏から秋にかけてはサッカー日本代表のワールドカップ予選があり、その試合の前に抱き合っていた。必ずどこかの駅で待ち合わせした。


「先にシャワーを浴びてて」

「裕太が先に入って」

 そういう絵美に従って、僕は先にシャワーを浴びていた。するとそこに絵美が入ってきた。ずっと、一緒に風呂にはいるのを、嫌がっていたのに。

「どうしたの」

「たまにはいいかと思って」

「キレイだ」

「この体が、お腹がこんなに出ているのに」

「だって、抱き心地がこんなにいいんだ。この肌も。どうせなら一緒に湯船に入ろう」

「狭いでしょ」

「だからいいんだ」

 僕は先に入り、絵美にこっちに来るよう声をかけた。そして、僕の上に座った。

「キスをして」

 僕は望まれるままキスをした。

「やっぱりこっちの方がいい」

 絵美は僕の方に向き直った。そして、両手で僕の顔を挟んでキスをした。そして離すと胸に抱き寄せていた。僕はその胸に吸い付いていた。

「あぁ、もっと。やめないで」

 手は耳を弄び、首筋を撫でていた。


 絵美はいつの間にか、欲望に正直になることを覚えていた。特に胸を僕にねだることが多かった。そして気分が高まるとキスをする。彼女を満足させてからでないと、させてはもらえなかった。不満ではなく、そうして一つになった時、僕は彼女と溶け合っている幸せを感じていた。お互い同時に果てることもできた。寝込みを襲って、横になったまま抱いたこともある。ベッドの上では常に欲望の対象だった。そして、彼女からのキスを、僕はいつも待っていた。


 秋から冬になる時、サッカー日本代表は、ワールドカップ出場を決めていた。

「結婚を考えないか」

「新婚旅行にワールドカップに行こうってこと」

「そう、長い休暇を取ることができるし、僕はずっと君とこうしていたい」

「結婚じゃなくても、頑張れば海外旅行ならできるし。結婚しなきゃできないことじゃない」

「僕は一人暮らしが長いし、べつに家事だってできる」

「こうしていたいって、生活はそんなに簡単なものじゃないし」

「絵美ちゃんは、僕と離れられるの」

 その一言が効いたのか、絵美は僕の顔を見た。

「私はべつに裕太といる必要はないの。わかった。もう会わない。別れよう」

 そう言って、ホテルから出ていってしまった。しかも、料金を精算していた。


 僕はこんな仕打ちを受けるとはと怒っていた。そして絵美はサッカーの試合会場にも顔を出さなくなっていた。でも、サポをやめたわけではないことは、別の友人から聞いていた。


 ワールドカップが終わった頃、一通のメールを受けた。それはとても嬉しいことだった。その相手と早速会った。

「お久しぶり」

「どうかした」

 僕はその人に聞いた。

「なんとなく、顔を見たくなったの」

「そうだ。僕、もう少し真っ当に生きようと考えているんだ」

「そう、それは良かった。それじゃこれで」

「待てよ。呼びつけておいてこれだけか」

「だって、真っ当に生きるのでしょ」

「気が変わった。実はここのホテルに、部屋を取ってある。502号室だ」

「気が向いたら」

「僕は今でも、君からのキスを待っているんだ」


 そして、しばらく経って僕は結婚した。相変わらずサッカーを応援して日本中、世界も旅をする。それに付き合うというか、許容してくれる相手を見つけたからだ。

「裕太、ちょっと手伝って」

「わかった行くよ」

 僕は彼女のところへ駆け寄って、頼まれたことをやった。

「ありがとうのキスは?」

 彼女は僕にキスをした。それは僕が、いつでも、欲しいものなんだ。

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僕が本当に欲しいのは 瑞野 明青 @toyotooo

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