第5話✦幕間(王城の一室にて)


 さてさて、その頃のとある男爵令嬢は。



「おかしいじゃない!私はヒロインなのよ!」


 ピンクの髪を振り乱しながら、部屋の扉を叩いている少女がいる。その部屋の窓は鉄格子がはめられ、逃げられないようにされているが、部屋の様相は普通の貴族の私室と言っていいほど、高級な調度品に溢れていた。座っただけで沈み込むベッドに猫脚の長椅子。別室にはトイレもバスルームも存在するのだ。文句を言うなら、自由に出入りができないことだろうか。


「それに何でヴィネーラエリスが悪役令嬢じゃないのよ!闇落ちして、魔王と結託して王都を襲ってくれないと私が聖女になれないじゃない!」


 なんだか独り言で物騒な言葉を叫んでいる。


「全然、いじめて来ないで赤髪の女が文句をやたら言ってくると思ったら、そっちが婚約者だなんて、バグすぎるでしょ!」


 それは王太子の婚約者として、最低限の忠告はすることだろう。それが、バグだとは如何なものか。


「それに奴隷落ちしたヒュー様が全然見つからないし!どうなっているのよ!ここは私のための世界なんでしょ!」


 そのヒューという者は、ここで叫んでいる少女よりも、己自身に生きる選択肢を与えた者と生きた方がきっと幸せになることだろう。

 

 まるで、世界の中心が己だと言わんばかりの言動は、男爵令嬢が言葉にするには些か問題発言になることだろう。それに、彼女は王太子に虚言を吹き込み唆した罪に問われているのだ。

 それに加え、何も罪がない公爵令嬢を糾弾し大勢の目の前で、ただの男爵令嬢が私刑を王太子にするように促した罪にも問われている。これは稀代の悪女と呼ばれる所業ではないのだろうか。


 いや、人の心を操る魔女というものかもしれない。



「私は聖女なのよ!ここから早く出しなさいよ!!」




「ここから出たいのかな?」


 唐突に少女の背後から声が聞こえてきた。おかしなことだ。この部屋には少女しか居ないはずだ。唯一出入りできるところは、先程から少女が叩いていたトビラだけなのだから。


 少女は驚き、後ろを振り返る。そこには長椅子に足を組んで座っている人物がいた。金色に輝く髪に黄金を思わせる煌めく金の瞳。青年と思われるモノは、容姿は整っており、少女からすればどこか見慣れた顔だちだった。だから、少女は直ぐに警戒を解く。


「貴方は何方?お名前はなんておっしゃるの?」


 少女は猫撫で声で金色をまとう青年に声をかける。


「さぁ。私の事は好きに呼べばいいよ。それよりもここから出たいのかな?」


「出たいわ。だって、私は聖女になるのだから!」


 少女は、ただの男爵令嬢にすぎないというのに、聖女とは少し見栄を張りすぎているのではないのだろうか。


 少女の言葉に金髪の青年はニヤリと笑った。


「いいよ。いいよ。その願いも叶えてあげよう。それで、君の本当の願いは何かな?」


 青年はとても楽しそうに笑いながら、少女に尋ねる。少女は青年の言葉を聞いて、胸を張って答えた。


「私はヒュー様と結婚して、エスピーリト国の王妃になるのよ!」


 とんでもない発言が少女の口から出てきた。確か少女はこの国の王太子に対して婚約破棄をするように唆したはずだ。これは少女が王太子の婚約者になりたいという意味ではなかったのだろうか。


「へー。王妃ね」


 青年は少女の王妃発言にはあまり興味はないようだ。


「まぁ、人間という者は欲深い生き物だからな。その『ヒューさま』って誰だ?何処にいる?」


「それが全然見つからなかったのよ!居るはずの奴隷商には居ないし、王都中の奴隷商を探しても居なかったのよ!私なら彼を助けてあげられるの。名前はヒューレスト。王子様よ。あ、元ね」


「ふーん。その元王子と結婚したい?おかしな話だね。君は王妃になりたのだろう?」


 青年は少女の矛盾を指摘した。元王子ということは今現在、その地位にはいないということだ。それも少女の言葉から奴隷として現在は存在しているようだ。それなのに、少女はその『ヒュー』という者と結婚して王妃になると言ったのだ。


「そうよ。ヒュー様は王様になるために必要な物を持っているの。それをエスピーリト国に持って帰れば王様になれるんだから!」


「へー。それはそれで面白そうだね。じゃ、その王子さまとやらの居場所を探して見てみようか」


 青年はそう言って右手を上げ、空中に円状の何かを作り出した。いや、どこかの風景が映し出されているようだ。


「どうやら、ここから西の方に向かっているみたいだね」


 青年が右手を振ると段々と映し出されている景色が鮮明になってきた。

 見えて来たのは小雪が舞い降る夜の街道を、幌の荷馬車が進んでいく姿だ。



 幌の荷馬車の御者台には、白髪の男が座っているが、護衛兼御者であるのか筋肉隆々の男だ。ただ、その男の外套の裾からは片足しか見られず、もう片方の足があるべきところには木の棒しか見られなかった。

 男の横には寒空の中、丸まった毛玉が見られる。雪が降っているのだから幌の中に入ればいいというのに、中には入らず御者台でまるまっているのだ。


 その幌の荷台の中には、蒼穹を思わせる美しい髪の少女と夜明け前のしらじんだ空の色のような薄い紫色の髪の青年がいた。


 その青年は少女の顎のあたりで切りそろえられた天の色の髪に触れている。

 少女は少し困ったような顔をして青年を見ていた。


『おい、ヘタレ。いつまで、そないしとるんや』


 少女でも青年でもない声が聞こえてきた。声がする方を見てみれば、幌の布地の隙間から、灰色の毛並みをまとった猫が顔を出していた。


『いい加減にせなぁ。ここから、ほおり出すで』


 どうやら、猫が声を出しているようだ。


「はははっ。お嬢様と離れるのが嫌なのはわかるがのぅ。けじめというものは、つけんとならん」


 幌の荷馬車の外から年寄りくさい声が聞こえてきた。恐らく青年にかけた言葉だろう。


『せやせや。ワイらは我が身だけやから、姫さんについて行けるんや。ヘタレはいい加減にどっちをとるんか、はっきりせなぁあかん』


 なにやら、青年は訳アリのようだ。灰色の猫から発せられた言葉に青年は困惑の色を見せる。


『バレてへんと思うてるやろ?ワイらをなめたらあかんで?定期的に国と連絡を取ってるやろ?』


「お前がどうなろうと、ワシらには関係ないがのぅ。お嬢様に迷惑がかかることになるのは、この爺が許さぬぞ。ここで別れるか、お嬢様と生きるか決めるが良い」


 灰色の猫と爺と名乗る者が幌の外から青年に生きる道の選択肢を迫った。共に我らと歩むのであれば、今までのものをすべて捨てろと。

 その言葉を少女は困った顔で聞いていた。


「ねぇ。シオン。私は公爵令嬢という身分を捨てたの。きっと皆からは逃げたと後ろ指を指されることでしょうね。でも、私はこれで良かったと思っているの」


 少女は金色の目を細めて微笑む。貴族の令嬢の立場を捨ててまで得るものがあるというのだろうか。


「でも、シオンは違うでしょ?生きる場所があるのなら、送り出すのも拾った私の役目だと思っているわ」


 少女は微笑みを絶やさずに言葉にする。その心情に何があるのか悟られないように。


「私は言ったわよね。シオンとして生きるか。それ以外の者として生きるか決めなさいと。それで、答えは出たのかしら?」


 少女の言葉に青年はその決意を口にした。


「私は···いや、俺はヴィと生きる。シオンとして」


 青年の言葉に灰色の猫は不満そうな声で言った。


『じゃ、なんで国と連絡を取ってたんや。帰るためやったんじゃないんか?』


「それは俺が国を出るときに、国から持ち出したものがある。それを安全に戻す手立てを探していたんだ。だから、信頼できる者と連絡を取っていたのだが」


 青年の様子から上手くいかなかったようだ。そして、青年は少女を見つめ、己の想いを口にする。


「ヴィ。好きだ。いや、愛している。だからシオンである俺と共に生きてほしい」


「シオン!!」


 少女は青年に思いっきり抱きつく。その少女の思い切った行動に青年は床に押し倒されてしまった。


『やれやれ、やっとヘタレが素直になったなぁ。まぁワイらからすれば、紫の王子はんの姫さん好き好きオーラはバレバレやったけどなぁ』


「はははっ。取り敢えず国境を目指せば良いかのぅ」


 幌の荷馬車の外では猫と爺がやれやれと肩をすくめていた。



 と、突然映像が電源でも切られたかのように真っ暗になった。だが、ピンク色の髪の少女にとってみれば、その映像だけで十分だったようで。


「はあ?!ナニコレ?結局、ヴィネーラエリスが悪役令嬢っていうことにかわりはないってことでしょ?私のヒュー様に変なあだ名をつけて呼び捨てするなんて許せないんだから!ヒュー様もヒュー様よ。なんで悪役令嬢と一緒に生きるって、愛しているって、なによ!」


 部屋中に少女の叫び声が響き、地団駄を踏んで、怒りをあらわにしている。しかし、ふと動きが止まり、少女が先程映像が映されていた何もない空間を睨みつけた。


「もしかして、ヒュー様は悪役令嬢に騙されているんじゃない?きっとそうよ。そうじゃないと、ヒロインの私以外に愛してるなんて言わないはずよ!」


 少女は自分勝手な言い分を言い始めた。他人の心などわかりはしないのに、少女からは『ヒュー』という者はどういうふうに見えていたのだろうか。己の心を偽っているように見えたのだろうか。


「許さないわ。絶対に許さない悪役令嬢をシナリオどおりに国外追放にすべきだったのよ!」


 その少女の言葉を唯一聞いていた青年は、面白いおもちゃでも見つけた子供のように無邪気な笑顔を浮かべている。


「君に新しい力を与えようか?」


 青年が無邪気な笑顔を浮かべながら、怒りを顕にしている少女に問いかける。その言葉に少女は食いつくように答えた。


「何?なんの力をくれるの?」


「人を操る力だ。王妃になるっていうなら必要だろう?その代わり僕に君のキレイな目をくれるかな?」


「それは嫌よ。目が見えないとキレイなヒュー様を見れないじゃない」


 少女は嫌そうに答える。しかし、その答えも微妙だ。普通なら痛いのが嫌だとか、物が見えなくなるのは不自由すぎるというべきだろう。しかし、少女にとって『ヒュー』という者を愛でることに意味があるようだ。


「大丈夫。代わりに新しい目をあげる。魔眼だ」


 青年は宝石のような赤い石を少女に見せる。どう見ても目には見えない。ただの赤い石のようだ。


「これが?」


 少女も不審げに赤い石を見ている。


「そうだ。目には見えないかもしれないが、これは力の塊だ。これで君は王妃だろうが、王子の嫁だろうが、君の思いのままだ」


 少女は誘惑の言葉に心を揺り動かされる。その少女の小さな変化に青年はほくそ笑んだ。


「君は悪役令嬢と言った者の立場を得たいのだろう?そして、王妃になって聖女にもなるのだろう?」


 傍から聞けば、なんて欲深い少女なのだろうと思ってしまうが、ここには青年と少女しかいない。この話を聞いている者は誰もいないのだ。


 青年の言葉に少女は右手を差し出す。


「それをちょうだい」


 少女の言葉を聞いた青年は、歪んだ笑みを浮かべる。しかし、少女は赤い石に意識を取られているため、青年の残虐性を帯びた笑みを目にすることはない。


「それじゃ、先に君の美しい瞳をいただこう」


 少女は青年のその言葉に視線を赤い石から青年に向けるが、闇に包まれ青年を見ることができなかった。その代わり唐突な痛みに襲われる。


「い゛……い゛たい゛ーーーーー!!」


 青年は手の内には先程まで青年を見ていたはずのピンクの瞳の目玉が収まっていた。


「じゃ、変わりに魔眼を入れてあげよう」


 そう言って、青年は赤い石を血を流しているなにもない空洞に押し込める。それも、どう見ても空洞より大きな赤い石をゴリゴリと押し込めているのだ。少女の頭が動かないように、なんだろうか。黒い影のようなモノで押さえ込んでいた。


「やめて、やめて、やめーーーーアガッ」


 少女の言葉は青年の行動を止めることはできず、赤い石は少女の眼球の代わりに収められた。しかし、少女には新たな痛みが襲ってきた。その痛みに声も出せず、床の上で痛みに悶え苦しむようにのたうち回っている。

 そのうち、少女の目から出た血だろうか、床が赤く染まっていた。いや違う。ところどころから、血が吹き出しているのだ。


 青年はもだえ苦しむ少女をまるで無機質なものを見るような視線を向けて眺めている。


 そして、少女の体はまるで内側からの力に耐えきれなくなった風船のように爆ぜた。少女がいたところには、ただ血溜まりがあるだけだった。赤い赤い血の海。肉塊も骨すら存在しない血の海だ。


 青年は手の内にあるピンクの眼球の瞳に口づけをする。そして、その眼球の片方を血溜まりの中に落とした。


「さて。前のモノは失敗してしまったからな。なぜだか知らないが、生まれ変わった瞬間に潰れたカエルみたいになっていたなぁ。力の馴染みが悪いが、数時間ほどで生まれ変わってもらおうか。それぐらいなら待ってやれる」


 そう、独り言を青年が言葉にする。いや、その場にいたのは金髪金目の青年ではなかった。闇のような漆黒の髪に鮮血のような真っ赤な瞳。そして一番目立つのが頭の横にある歪んだ角だろうか。これはどう見ても人ならざるモノだ。


 そのモノは残虐性の帯びた笑みを浮かべながら、手の内側に残ったもう片方の眼球を口に含み飲み込んだ。


「へー。異界というものがあるのか。欲深い者の知は興味深いが、こいつは当たりだ。異界とは、どうすれば行けるのか。クククッ」


 異形のモノは楽しそうに笑っているが、その目はどこでもない空間を見ているようだ。


「クククッ。新しいおもちゃと一緒に遊ぼうと思っていたが、こっちのほうが楽しそうだ。へー。この世界が物語に?ん?ああ゛?!この俺が人間に恋?巫山戯んな!!興が醒めた。くだらん」


 突然怒りを顕にした異形なるモノは不快だと言わんばかりに、血溜まりを睨みつけ、影の中に消えていった。そこに残されたのは血溜まりと片目の眼球のみ。ここにはまるで誰もいなかったように、静まり返っていた。

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