第13話 葛藤

 リビングでは、カミーユとレオが、洗面所にこもってしまった女性たちの戻りを、まだか、まだかと待ちわびていた。

 ソファーから立ち上がってダイニングとリビングの境をうろつくレオに、カミーユが落ち着けと声をかけると、キッと睨み返された。


「こんな時に落ち着いてられるか。待ちに待った翼の乙女が見つかったばかりか、ソウルスタンプが出たんだぞ」


「分かっている。俺も同じ気持ちだ。本当なら自分の目で確かめたいところだが、エミリの化身は臆病な小鳥だ。二人で迫って怖がらせたくない。お前は人好きがするからいいが、俺が見つめるとエミリは目を逸らす。何ともじれったい気分だ」


 悔しそうな顔を見せるカミーユに、レオがおやっ?と目を見張って立ち止まる。


「そういう表情を見せたら、女は堪らなくなるんじゃないか?もっとも、身内からして敵ばかりのカミーユが、心を読まれないように防御するのも分かるがな。でも、エミリにはもっと気持ちを伝えてやってもいいんじゃないか?」


 動揺を隠すようにカミーユが瞼を半分伏せる。仕方がないなとレオがため息をつき、カミーユの隣にドサッと腰かけて言った。


「ruler(支配者)の中の血が騒ぐのか、俺も自分の刻印を翼の乙女に刻みたい。だけど、エミリはカミーユに気があるようだ。悔しいが様子を見れば分かる。なのに、俺たち二人の手を同時に取るとは、賢い娘だな」


「ああ、瞬時の判断だからこそ、エミリの性格が現れる。自分の気持ちを優先するのではなく、他人の心を思いやれる公正で優しい性格だ。妃としてこれ以上ふさわしい女性はいない。レオが相手じゃなかったら、俺もコナーのようにとち狂った行動をとったかもしれない」


「欲しいか?」


「欲しいな。正直、こんな気持ちは初めてだ」


 廊下に繋がるダイニングの扉がガチャリと開き、反射的に二人が振り向く。老婦人を先頭に母親と姉が続き、最後に衣望里が入ってきた。

 誰の表情も硬い。ただ一人、無理に笑顔を浮かべている衣望里を除いては……

 カミーユは結果を悟った。

ショックを押し隠して、すでに素の顔ともいえる無表情の仮面をかぶったまま席を立つ。


「俺がいると話しづらいだろう。隣の部屋を借りる」


 断りを入れ、カミーユが隣の客間へと入っていく。取り残されたレオは、心配そうな表情を浮かべてカミーユを視線で追ったが、扉が閉まると、おもむろに衣望里へと顔を戻した。


「俺のライオンの刻印が出たんだね?」


 祖母たち三人から離れて、衣望里がリビングに足を踏み入れ、レオの前に進んで立った。


「ご覧になりますか?」


 目を伏せながら衣望里が問う。

 翼の乙女が自分のものになった事実を喜んでいいはずなのに、レオの心を占めたのは、衣望里に対する哀れみだった。


「今はいいと言いたいところだが、見間違いがあるかもしれない。写真でもいいからソウルスタンプを見せてくれないか?」


 ホッとした様子の衣望里が、羽音に言われてスマホで撮ったという写真をレオに見せた。

 赤っぽい動物の指先を目にして、レオが首を傾げながら画像をアップするが、ほんの少し指先だけが現れているだけで、判断がつきにくい。

 自分のソウルスタンプを見誤らないために、動物の生態は調べてあるが、これでは爪が露出しているのが分かるだけで、せいぜいイヌ科かネコ科の判別にしかならない。


「う~ん。ライオンと言えばライオンだな」


 ダウンライトだけに絞った隣の客間のソファーに腰かけ、レオの声を聞いたカミーユは、やはりそうかと諦念に至り、自分の立場を見据えた。

 これからは、コナーとレオが王位継承権を争うことになる。第二王子にも拘らず、翼の乙女を得られなかった自分は王位継承権を失い、レオを支える臣下にならざるをえないだろう。

 レオには人を惹きつける魅力がある。仕える者として何の不服もない。ただ、横に並び立つ女性がエミリであるというのを除いては。


 衣望里の表情を見た瞬間、結果は分かったはずだった。だが、もしかしてと希望を捨てられず、声が聞えるようにほんの少し扉を開けたままにしたのは、浅ましい未練さゆえだ。

 レオが隣室にいる自分に気を使って、その場で直接衣望里の肌を確かめなかったことだけが救いなのかもしれない。


 そろそろ、リビングへ戻ろうと思いソファーから腰を浮かした時、細く開けた扉の隙間から射しこむ光に異変が起きた。

 咄嗟に構えたカミーユの前で、揺らめく光が小鳥の形をとる。

 ドアの隙間から、キョロキョロと辺りを見回した小鳥が、カミーユの元に光の長い尾を引きながら飛んでくる。戸惑いがちにカミーユの前で羽ばたく小鳥に腕を差し伸べると、小鳥はふわりと尾をなびかせながらカミーユの腕に止まった。首を傾げながらカミーユを見上げる目が濡れている。


「お前、どうしてここに来た。お前が懐いていいのは俺じゃない」


 苦し気に呟いたカミーユを、小鳥は悲しそうにみつめている。おずおずと両羽を広げると、カミーユの腕を抱くように覆った。

 

 一方リビングでは、周囲の目を盗んで隣室を窺い見る衣望里の様子を、レオが捉えていた。

 スマホの画面を注視するフリでそれとなく観察すると、チラリと隣の扉に視線をやっては、すぐにレオの方に戻す衣望里に、邪魔者は自分の方だと苦笑を漏らしそうになる。 

 そんなレオの心中を知らないであろう衣望里が、おずおずとレオに問いかけた。


「あの…ソウルスタンプを全て現すことはできないのですか?」


「それは……」


 ガチャリと開いた扉からカミーユが現れ、言いよどむレオの言葉を引き取って平然と答えた。


「レオと真実の意味で結ばれれば、君の身体にレオの魂の刻印が全て現れる」


「…っ」


 息を飲んだ衣望里には目もくれず、カミーユがレオに言った。


「本国へ知らせよう。コナーが次期王だと名乗りを上げる前に、レオこそ次の王に相応しいと印象づける手を打たなければならない。帰国の準備を急ぐぞ」


 言った途端にカミーユの眉が寄り、今は俺が臣下か。つい命令口調になると呟いた。


「本気で言っているのか?お前が俺に仕えると?」


 レオがカミーユを睨みつける。カミーユは仮面を厚くして、きっぱりと頷いた。

 もう一度カミーユをきつく睨みつけてから、レオがスマホの時間を確認する。サマータイム中の北欧と日本の時差は七時間。現地時刻は昼の二時と計算してから、緊急のために設けた王への直通ナンバーを押す。

 カミーユは黙ったまま、運命の成り行きを見守っていた。


「お忙しいところ申し訳ありません。レオです。翼の乙女を見つけました。……いえ、違います。刻印はカミーユのものです」


 静まり返っていた部屋にざわめきが起こった。

 カミーユがレオに駆け寄りスマホを取り上げようとするが、レオがひらりとソファーを超えて逃げる。


「取り急ぎご連絡まで。私は翼の乙女を探すのを諦め、カミーユ殿下に今以上の忠誠を誓うつもりです。……有難きお言葉。はい心得ました。では……」


 レオがスマホを切るのを待っていたカミーユは、怒りも顕わに怒鳴りつけた。


「お前は、何てことをするんだ!虚がばれたらどうするつもりだ?どんな重い罰を受けるか分からないんだぞ」


「そんなことより国の心配をしろ。俺は皇族とは言っても今まで気楽な立場だったから、帝王学を学んでいない。お前は俺が人に好かれると言うが、カミーユのように他人を統率して動かすカリスマ性はない」


「そんなものは、上に立てば培われる。俺がお前をサポートするから心配はいらない」


「いや、人々は血統と慣習を重んじる。コナーが悪事を働くことを知っているのは、もみ消してきたお前と、王族の一部と、軍の上層部だけだろう。俺とコナーを比べたら、国民の覚えがいいのは、当然今まで皇太子扱いだった第一王子のコナーだ。俺では太刀打ちできない。カミーユが王にならない限り、コナーに国の未来を潰されるぞ」


 レオを睨んでいたカミーユの視線が下がった。片手で額に落ちた前髪をかきあげながら、迷いを全て吐き出すように息をつく。そして、再び視線を上げると、レオに向けて分かったと首肯した。


「エミリ」


 固唾を飲んで見守っていた衣望里に、カミーユが声をかける。衣望里の身体が小さく跳ねた。


「もし、嘘がバレた時に、どちらのスタンプが出たのか、エミリは分からなかったことにしてくれ。判断したのは俺だと答えるんだ」


「そんな……」


「君を守るためだ。エミリのためなら、体格の勝る男相手に、木刀で立ち向かうご家族にも心配をかけたくない。住み慣れた日本を離れてヴァルハラに来てくれる君を、出来る限り幸せにしたい。俺とレオが傍にいて守るつもりだが、もしもの時は何も知らなかったと答えるんだ。いいね?」


 二人のやりとりを温かい眼差しで見つめていたレオにも、カミーユは釘を刺すのを忘れなかった。


「レオもだぞ。エミリの証言と合わせるのが大事だ。嘘が発覚した場合は、俺に強制されたと言えよ」


 レオが肩を竦めながら、イエスと言うのを聞いて、衣望里も渋々頷いたものの、一人で罪をかぶるつもりでいるカミーユに不安を抱いた。

 王と国民をたばかった罪に問われた場合、重い罰を受けることは容易に想像がつく。


「カミーユとレオが私を守るつもりなら、私も嘘がバレないように精一杯努力するつもりです。人々に疑われないように、カミーユと本当の夫婦として暮らすことはできますか?」


「それは……」


 カミーユがレオの顔を見た。レオの顔が曇るのを見て、衣望里は煮え切らない態度のカミーユにズバリと言った。


「そういう風に遠慮をしていたら、私がどちらの翼の乙女か分かってしまうじゃないですか?」


「いや、遠慮したんじゃない。他のrulerの刻印が出た翼の乙女を、違うrulerが実質上自分のものにしてはいけないんだ」


「どうして?何か訳があるのですか?ただ争いが起きないようにという理由なら、レオが納得すれば済む話ですよね?」


 衣望里はカミーユに食ってかかった。

 知らない国に行って、ただお飾りにされて、好きだと思う人を指を咥えて見ているだけの生活なんてしたくない。

カミーユの刻印が出なかったと知った時に、受けたショックから、カミーユへの気持ちをはっきりと自覚した。同じくらいに思ってくれていなくても、せめて夫婦になって、愛情を育むことはできないのだろうか?

 ただ、国のために私が必要というだけでは、気温の低い北欧で、私の残りの人生は、寒々として、凍り付いてしまいそうだ。

 恨み言にならないよう、衣望里は思いのたけを視線だけで伝えた。なのにカミーユの口から出た言葉は……


「すまない。今はまだ、俺の身体は国のためにあらねばならない。でも、心はエミリに」


 どういうこと?と訊こうとしたとき、カミーユのスマホが鳴った。

 どうやら、衣望里がソウルスタンプを確認しているときに、Spのジルに連絡を取っていたようだ。


「エミリ、パスポートは持っているかい?」


 衣望里は頷いた。習得した語学が通じるかどうか、大学の休暇を利用して海外で試すつもりで取ってある。

 まさか、美羽と半日前には見も知らなかった男のために、日本から出国することになるなんて思いもしなかったけれど‥‥‥

 ソウルスタンプが出ることに賭けたのは自分だ。覚悟していたとはいえ、いざ日本を出ると聞くと、最後通牒を言い渡されたような気分になる。お前は、もう日本に戻れないかもしれないぞ!と。

 衣望里の不安を見抜いたのか、カミーユが心配そうに顔を覗き込んだ。

 衣望里が首を振って迷いを振り払い、ついて行く意思を瞳に込めて見返すと、カミーユの腕が、優しく衣望里を包み込んだ。

 抱きしめられた驚きで、ハッと息を飲み身を固くした衣望里の背中を、カミーユの手があやすように撫でる。


「俺の心はエミリに捧げる。必ず君を守って幸せにする。ついてきてくれるね?」


 衣望里の心臓が高鳴った。あまりにもドキドキして、外にまで音が漏れそうだ。

きっと背中に触れるカミーユの手には、どれだけときめいているか伝わってしまっただろう。


「あなたと行きます」


 臆病者の衣望里は消えていた。

 強く強く意思を持って、宿命を背負った翼の乙女として、また一人の女性として、まだ見もせぬ北欧の地ヴァルハラ王国へと、衣望里は一歩を踏み出したのだった。

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【翼を狩る者と運命の乙女】 2024.夏に出版予定のため第二章から非公開です マスカレード @Masquerade

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