第12話 希望を託して

 情動に突き動かされて叫んだ結果、三輪家のリビングで家族が見守る中、衣望里はおとぎ話の挿絵でしか見られないシーンを体験していた。

 家族は反対したけれど、祖母は衣望里の気持ちを尊重して、抱きしめてくれた。


「あなたに、私のソウル刻印スタンプが出ればいいのに。そうしたら、ここに繋ぎとめておけるのにね」


「おばあちゃん、ごめんね。勝手なことして。でも、美羽をこのままにはできないの」


「分かってるわ。美羽は私にとっても、あなたと同じくらい可愛い孫娘よ。強く見せている反面、あの子は中身がもろい部分があるのよ。あなたとは反対ね。あなたは人を護るために殻を突き破って、強さを発揮する」


 祖母は、ソウルスタンプが出ますようにとは口には出さず、強い目の光で上手くいくよう願っていることを衣望里に伝え、母と羽音の横に並んだ。

 シーリングライトに銀髪を輝かせるカミーユが、衣望里に一歩近づいて、本当にいいのかと心配そうに尋ねる。


「もし、ソウルスタンプが出れば、ミウの代わりにヴァルハラに住んでもらうことになる。それも、俺たちの次の世代が、自分の翼の乙女を見つけるまでの長い間だ」


 本当はすぐにでも確かめたいだろうに、気遣ってくれる優しさが心に沁みた。


「コナーみたいな人と一緒なら耐えられないだろうけれど、あなたたちは紳士だから……」


 それを聞いたカミーユが、そうでもないと言って、レオと目を合わせて苦笑する。


「今夜、もしエミリに会わせてもらえなかったら、触れないまでも、二階の部屋に翼の乙女がいるかどうか確かめていたかもしれない。それほど、翼の乙女は俺たちにとって魅力的だし、国にとっても大切な存在なんだ」


 カミーユの冷たいアイスブルーの瞳に熱がこもり、色濃くなるのを見た途端、衣望里はときめいて、自分の身体が熱くなるのを感じた。 

 さらりと告げられた不法侵入計画も、彼なら許してしまいそうだ。

 美羽が言った通り、この人に惹かれているのかもしれないと衣望里は思った。


 もし、できるなら、この銀の支配者の刻印を刻みたい。

 十年か二十年か、王となるものの刻印を刻む次の翼の乙女が現れるまで、長い年月がかかるだろう。

 その間未知の国で生きるとしたら、一見怖そうで不愛想に見えるけれど、正直で優しい気遣いもできるこの人に、傍にいてもらえれば、どんなに心強いことか。


「あの、カミーユ殿下……」


「カミーユでいい」


 本当に呼び捨てにしてもいいのだろうかと、カミーユの隣にいる従兄を見ると、レオはにっこり笑って首肯する。


「俺もレオと呼び捨てにしてくれ」


「わ、分かりました。一応、心の準備をするので、教えてください。レオさ‥‥は、ライオンの刻印だと想像がつくのですが、カミーユ殿…カミーユのは、どんなソウルスタンプがでるのですか?」


 期待しながら聞いた衣望里に、カミーユが言いにくそうに答えた。


「それが……俺にも分からないんだ。多分王は、王位を継承するのは第一子のコナーだと考えていたに違いない。俺たち王族には神獣の血が流れていて、動物に関する名前を付けなければならないという決まり事があるのに、第二子の俺にはそれが無い」


「いや、絶対にあるはずだ。でなければ洗礼は受けられない。エミリ、安心してくれ。触れた場合のソウルスタンプは、一部が出るだけだ。カミーユの刻印がとんでもないバケモノだろうと、一部だけなら怖くないだろ?」


「誰がバケモノだ!彼女を怖がらせるな」


 カミーユがレオを軽く睨んで黙らせると、衣望里に向き直り、上体を起こしたままスッと片脚を後ろに引き、美しい所作で片膝をつく。それに倣ってレオも傍らにひざまずいた。


「エミリ、俺とレオは君に全てを任せる。どちらの魂の刻印が出ても、俺たちは全力で君を守る」


 おとぎ話の挿絵のように、目の前に凛々しい王子たちがひざまずき、衣望里を見つめて片手を差し伸べている。

向かって右手には金色の獅子が、俺を選べとばかりに、自信に溢れた笑顔を浮かべて、衣望里の手が触れるのを待っている。

 左手には銀の王子が、真剣になるほど、冷酷に見える整った顔を上げ、心を貫くような強い視線を衣望里に注ぐ。ドキリとした衣望里が瞳を揺らすと、怖がらせたと思ったのか、アイスブルーの瞳が半分伏せられ、長い銀色の睫毛が頬に影を落とした。


 手を取りたいのは一人だけた。

 でも、もし最初にソウルスタンプが出なかった場合、後で選ばれた者は、例え自分の刻印がでようと、良い気がしないに違いない。

 美羽と自分のように、カミーユとレオも仲の良い従兄同士だ。これからヴァルハラに帰って、宿敵であるコナーと戦うのなら、カミーユとレオの間に、どんな些細な葛藤かっとうや摩擦を残してはならない。

 衣望里は頭の中ですばやく状況を計算した。

 どうか、どうか、銀の支配者の刻印が現れますように!

 心で強く念じながら、衣望里は両手を伸ばして、二人の手に同時に触れた。

 瞬間、身体の中の血液が沸騰したのではないかと思うほど、カッと身体の内側が燃えた。


「キャーッ」


 美羽の様子を見て覚悟はしていたはずなのに、衝撃は凄まじかった。

 自分でない者の気に包まれ、得たいのしれない波動と気力が内部へと浸食を始める。

 ざわざわと鳥肌が立ち、皮膚を引かれ、細胞までが作り変えられて同化する感覚。背中の左の腰辺りが、焼けるように熱く痛んだ。

 大きく身体を揺らがせる衣望里の様子に、カミーユとレオが目を見開いた。

 今目にしているものが実際に起きているのかどうか半信半疑で、顔を見合わせる。探り合う双方の瞳には、次第に喜びと希望の光が増していった。


「カミーユ!エミリにソウルスタンプが……」


「ああ、信じられない幸運だ。だが、エミリはかなりショックを受けたみたいだ。エミリ、大丈夫か?どこか痛むか?」


 身体に衝撃を受けて放した支配者の手を、また目の前に差し出され、衣望里は、思わず首を振る。

左後ろの腰を押さえながら、前かがみになっていた身体を起こし、涙目のまま何とか大丈夫と答えた。


「衝撃は一度だけだ。普通に触れる分には問題ない」


「そう、よかった。あんなの二度と体験したくないもの。本当にどうなってしまうかと思ったわ。ここに痛みがあったけれど、今は大丈夫みたい。でも、確認するのが怖いわ」


 美羽の時は、黒いハイネックのノースリーブシャツから覗く肩に、グレーに煙る狼の耳が刻印されていた。

だから、見えやすい部分に出るのだろうと思ったのに、よりによって骨盤の後ろとは、見る側にとってはかなり際どい位置になり、期待を裏切られた気分だ。

 衣望里は、身体を捻った状態で、ライトブルーのブラウスの裾をまくって確かめようとするが、スカートのファスナーを下さなければ見えないことを確認しただけに終わった。

 身体を元に戻すと、期待に満ちたカミーユとレオの視線とガチあう。


「何が出ている?」


「どんな形のものだ?」


 二人が同時に聞き、困った衣望里は二人の顔を交互に見て、恥ずかしそうに顔を伏せた。


「見えにくい場所なの。洗面所で確認してきていい?」


 カミーユとレオが頷くのを待って、家族につきそわれ、衣望里は洗面所に入って引き戸を閉めた。

 洗面台と洗濯機が置かれた四畳ほどの脱衣所は、さすがに女四人も入ると狭苦しい。

 大浴場ならいざしらず、この十年間家の風呂には一人で入るのが当たり前だった。

 女ばかりとは言っても注視される中で、背中や腰を晒すのにはためいが涌く。

 衣望里の気持ちを察して、姉の羽音が顔を寄せて、小さな声で言った。


「出ていなかったって言ったら?私たちも見えなかったって口裏を合わせるわ」


「お姉ちゃん、さっきの私の様子を見て、何もなかったって言える?通用しないと思うわ」


 母の羽月も難しい顔をしながら、その通りねと頷く。


「大事な娘を行かせたくはないけれど、刻印が出たことを黙っていると、あまり良くないことが起きるという言い伝えがあるわ。私たち一族は、どんなに遠くに逃げても、結局はあの人たちの及ぼす力からは逃れられないのよ。だから支配者なの」


 肩を落とす羽月の腕に、祖母の衣里が優しく手をかけた。


「あの二人の支配者は、美羽をさらっていった男よりずいぶんましだと思うわ。慰めにはならないけれど、みんなで衣望里の相手がどちらなのか見極めましょう」


 衣望里の中でためらう気持ちが消えた。


「そうね。刻印が出ることを望みながら、あの二人に触れたんだもの。どちらと運命づけられているのか、しっかりとこの目で確かめなくっちゃ」


 スカートのウェストのホックを外し、腰骨に引っかかるまで下げる。ブラウスを捲って、下着を少し下ろした。


「?……」


 みんなが身をかがめて覗き込むので、恥ずかしくなったが、衣望里も鏡に映して小さく現れたものを見つめた。


「動物のつま先?爪が出ていないからネコ科かしら?」


「輪郭が赤みがかったオレンジ色をしているわね」


「手も映ってないし、こんな先っぽだけでは判断しずらいところだけれど、ライオンかしらねぇ?」


 口々に感想を述べる姉と母と祖母が、衣望里の意見を聞こうとして顔を上げた途端、ハッと息を飲んだ。

 衣望里は三人から顔を背けて、眉間に皺が寄るほどぎゅっと目を瞑り、嗚咽が漏れないように唇を引き結んだ。だが、押しつぶされて薄くなった唇は小刻みに震え、閉じた瞼からは涙が滲み出る。

 羽音がくしゃりと顔を歪め、腕を伸ばして衣望里を抱き寄せた。


「かわいそうに!銀の支配者に惹かれたのね?」


「お姉ちゃん。どうして私こんな気持ちになるのか分からない。まだ会って間もないのに、おかしいよね?勘違いだって言って」


「恋ってそういうものよ。私も、美羽ちゃんも、翼の乙女でいるよりも、目の前の愛する人を選んだんだもの」


 姉の肩にもたせかけた衣望里の頬に伝わる涙を、母親らしい愛情をこめて羽月がハンカチで拭いながら、ため息交じりに言った。


「遠くに行く犠牲を払うのに、想う人と結ばれないなんて、あんまりよね。カミーユ殿下とレオさんは始終一緒にいるのでしょう?衣望里が辛くなるだけよ。やっぱり獣紋は出なかったと言った方がいいんじゃない?」


 羽音と羽月が衣望里を慰めるうちに、しんみりとした空気が狭い洗面所に漂ったが、祖母の一喝で消し飛んだ。


「それじゃあ、堂々巡りになるでしょ!衣望里はどうして、銀の支配者ではなく、同時に二人の手を取ったの?答えは既に出しているはずよ」


「おばあちゃん……そうね、私はカミーユのソウルスタンプが出なかった場合のことを考えて、二人の間に軋轢(あつれき)が生まれることがないように、同時に触れたのよ。どちらの刻印が出たとしても、ヴァルハラ王国に行って、美羽を助けるつもりでいたのに……」


 望んだソウルスタンプが出なかったからといって、今更刻印が出なかったと誤魔化したり、二人に失望した顔を見せるのは間違っている。

 衣望里は表情を引き締め、水で顔を洗ってタオルで拭いた。

その様子に衣望里の決意を悟った祖母が、着物の懐から細長い箱を取り出して、衣望里に差し出した。


「あなたが支配者に向かって叫んだ時、これが必要になるかもしれないと思って、用意したの。私たち一族が代々受けいできた家宝よ。もし、支配者が現れて、ヴァルハラに行く娘が出た時に、渡すようにと言い伝えられているものなの」


 恐る恐る箱を受け取った衣望里が、祖母に開けてもいいか確認を取り、ふたをあけると、中から現れたのは、洗面所の電気を反射して、キラキラと光り輝く見事なクリスタルカットを施された大粒の透明度の高い石だった。

 あまりにも立派な宝石に、衣望里の中の怖がりな部分が顔を出し、警戒心を顕わに祖母に訊ねる。


「これは何?ダイヤモンドかしら?どうしてこんな高そうな物を持っていかなくちゃいけないの?」


「それはね、【ワルキューレの涙】というの。何の石かは知らないけれど、支配者と翼の乙女の関係を変えるきっかけになるかもしれない大事な石よ。翼の乙女たちの希望と未来がかかっているのよ。衣望里、あなたにこれを託します」

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