第10話 現れた獣紋(ソウルスタンプ)

 リビングに飛び込むように入ってきたのは、銀色の髪の支配者だった。

 美羽が慌てて衣望里の手を掴んで勝手口に下りようとする。気配を察した支配者がこちらに振り向き、衣望里たちが逃げようとするのに気が付いた。


「待ってくれ。君と話しがしたい。触らないから戻ってくれ」


 美羽が話を聞いちゃだめだと、衣望里をぐいぐい引っ張ろうとする。

 銀色の髪の男に続き、金色の髪の支配者も横に並んで、衣望里たちに優しく言った。


「俺たちは決して害を加えたりしない。約束する」


 衣望里が迷い、どうするか美羽を振り返ろうとしたとき、長身の支配者たちが並び立つ後ろで、何かが空を切り、カミーユとレオの頭に振り下ろされるのが見えた。

 咄嗟に身をかわした二人が、竹刀を掴んで動きを封じる。祖母と母が、カミーユとレオを睨みつけているのが見え、衣望里は驚愕に目を見開いて、手で口元を覆った。


 小さなころ羽音とかくれんぼをしていた衣望里は、応接間やリビングの壁にある隠し扉を見つけ、中に竹刀と日本刀が忍ばせてあることを知った。

その時は祖母から、防犯用だと説明を受けて納得したが、幸い使うことが無いままに時が流れ、すっかり忘れ去っていた。

 まさか泥棒相手ではなく、支配者に使われるとは!もしかして、隠し扉の本当の理由は、こっちだったのだろうか?

 衣望里の思考を祖母の怒鳴り声が破った。


「出て行きなさい!衣望里と美羽に手を出して、獣紋をつけようとすれば、本物の刀で切り付けますよ」


 祖母が語気を荒げるのに対し、カミーユは凍るような視線を祖母に向けて、冷たく言い放つ。


「後ろからいきなり切りつけるとは、手荒い歓迎だな。そんな腕では真剣で迫ろうが勝ち目はないぞ。今は油断していたが、今度は容赦しないから覚えておけ」


「そうだ。こちらは礼儀を持って接している。一国の王子に対しての無礼、カミーユ殿下が許しても俺が許さん」


「ま、待って!二人とも。おばあ…そ、祖母と母を許してあげてください。乱暴して申し訳ありません。私は翼の乙女の衣望里です。あなたたちの望み通り、お話しをさせて頂きます」


 カミーユとレオが振り向いて衣望里をみた。

 祖母たちの攻撃を瞬時にかわした反射神経といい、上に立つ者の尊大な威厳といい、とても敵うものではない。二人に対して緩んだ警戒心が再び甦り、衣望里は身を固くした。


「エミリというのか?いい名前だ。俺はカミーユ、こっちは従兄のレオだ。君の後ろの女性は……」


 衣望里は美羽を隠すように前に出た。だが、すでに遅く、カミーユとレオの驚く表情で、翼の乙女がもう一人いると知られたことが分かる。二人に動く気配はなかったが、衣望里は両腕を通せんぼするように開いて心から訴えた。


「美羽には彼がいるの。彼女を家に帰らせてあげてください」


 人一倍臆病な衣望里が、自分の盾になろうとしてくれたことに感動して、美羽が声を震わせる。


「衣望里、あなただけが怖い思いをすることないわ。かばってくれてありがとう」


「ミウと言ったな。何度も言うが、俺たちは乱暴する気はない。無理やり掴みかかったりはしないから安心しろ。とは言っても、俺たちがソウルスタンプ魂の刻印と呼んでいるものを、君たちがアニマルスタンプ獣紋と呼んでいることで、どう見られているかは窺い知れるがな」


 自嘲気味にこぼしながら、口の端を少しだけ上げたカミーユの極薄の笑みは、偏見もはなはだしいと、衣望里たちを詰(なじ)っている様にも見える。なまじ整いすぎているだけに、表情があまり出ない顔に、銀色の髪とアイスブルー瞳の組み合わせは、話す言葉までが冷たい棘を含んでいるようで、心理的に圧迫された。

 露天風呂で、彼が湯気の小鳥に向かって故郷を語り、お前は愛らしいなという声を聞いていなかったら、衣望里はこの場から逃げ出していたかもしれない。


 逆に隣にいる金髪のレオは、明るい髪色もさることながら、光によってグリーンにも明るい茶色にも見える瞳の表情の豊かさが、好奇心旺盛で溌剌としたイメージを与えている。

 王子と従兄という責任の重さの違いからか、彼の方は気負いがなく、取っつきやすい印象があった。


「君には彼がいるのか。その彼とは将来の約束をしているのかい?」


 レオが美羽に問いかけると、美羽はホッと息を吐いて緊張を解いた。


「将来を共にしたい人がいるから、羽衣を返したいの。あなたたちの国ではどうしているのか知らないけれど、翼の乙女を降りるには、羽衣を支配者に返す必要があると聞いたわ」


「ああ、そうだ。本来なら国王に返すのだが、不在の場合は王子が代わりに受け取る。カミーユが許可して羽衣を受け取れば、君は自由だ」


 美羽が恐々カミーユの表情を窺うと、カミーユが事もなげに分かったと頷く。


「残念だが、翼の乙女にも自分の道を選ぶ権利がある。今、羽衣を持っているか?」


「いえ、恋人の家に預けてあるの。守哉に電話をして持ってきてもらうわ」


 あまりにも美羽の希望がすんなり受け入れられたので、その場にいた祖母たちの支配者に対する印象が変わった。

 いつもはかくしゃくとしている祖母が、うろたえながら、カミーユとレオに非礼を詫びる珍しい姿を見て、衣望里がまん丸に目を見開きながら大事件!と呟いたので、他の女性たちが思わず噴き出した。


 支配者たちと翼の乙女の一族が打ち解けて、柔らかな空気が流れ始めた。その雰囲気を乱したのは、カミーユのスマホの着信音だった。

 ディスプレイを確認したカミーユが断りを入れてから電話に出ると、慌てたような声がスマホから漏れ、カミーユが母国語で怒りの声をあげた。

 何事が起きたのかと緊張しながら顔を見合わせる女性たちの耳に、突如三保家のインターフォンが鳴るのが聞こえ、全員がびくりと身を震わせた。


「出るんじゃない!」


 インターフォンの通話ボタンを押そうとした羽音に向かって、カミーユが日本語で怒鳴った。


「君たちがイメージしている通りのruler(支配者)が外にいる。ミウの彼はモリヤという名前だったね?」


 険しい顔を向けられ、美羽が首を竦めてコクリと頷く。


「レオ。コナーがモリヤを盾にして、翼の乙女に合わせろと旅館で騒いだらしい。SPのジルから連絡が入った。ナディアも一緒だ」


「あいつはバカか!王子が一般人を拘束して脅迫するなんて、本当に救いようの無い大バカ者だ!カミーユ、どうする?」


「俺が出る。エミリとミウはどこかに隠れてくれ。レオはここに残ってみんなを守れ」


 カミーユが空いている勝手口に気が付き、そこを閉めるように言おうとした時、黒い服を着た体格のいい男が覗き込み、外にいる仲間に向かって、ここにいるぞと叫んだ。

 チッと舌打ちをしたカミーユが、勝手口へと向かい、その隙に、衣望里と美羽が客間へと逃げ込こむ。二人を守るために、ダイニングとリビングの境には、祖母の衣里、母の羽月、姉の羽音が並んで竹刀と木刀を構えた。


 勝手口にいた黒服が扉の横に身を寄せると、背後に黒服を引きつれたコナーが姿を現した。

 カミーユの顔を見た途端、コナーが顔をしかめる。


「そこをどけ!お前がいるということは、翼の乙女がいるのは間違いないな」


「帰れ、コナー!お前のしていることは不法侵入だぞ。それに一般人に手をあげれば国際問題にも発展する。自分のしていることが分かっているのか?」


「僕は王位継承者だ。誰も俺のすることに文句は言わせない!国の評価が大事なら、お前が今まで通り片をつければいい」


「俺がいつまでもお前の尻ぬぐいをすると思うな。どうして王が今まで通り第一子に王位を継承させるのではなく、翼の乙女を見つけたものに譲ると仰せられたのか分からないのか?」


「ペット崩れのお前の母親が、父を色でそそのかしたんじゃないか?」


 こいつめ!と殴り掛かろうとしたカミーユを、レオが後ろから羽交い絞めにして止めた。 

 睨み合うカミーユとコナーを、面白そうに見ていたナディアがSPの一人に顔を向け、顎で指図をする。連れてこられたのは頬を腫らした守哉だった。


「カミーユとレオをつけていた男を、僕たちが尋問してやったんだ。怪しい態度をとったのはこいつだし、訊ねようとしたSPから逃げようとして、殴り掛かってきたのも、こいつが先だ。お前たちを危険から守ってやったことに対して、礼を言ってもらいたいな」


「この男性はここの家の知人だ。無礼を働くな。それに、探している翼の乙女は見つからなかった」


「そうか?なら、見つかるまで、こいつを痛めつけて吐かせるまでだ」


 これ以上話しても無駄だと判断したカミーユが、引き留めていたレオの手を外し、コナーに向かおうとした。

突然、美羽と名前を呼ぶ声が聞えて振り向くと、衣望里の制止を振り切って走ってくる美羽の姿が目に入る。


「待って。守哉を放して!翼の乙女は私よ!」


「ほう、お前が……なかなか可愛い女だな。こっちに来い」


「いやです!私の将来の相手は守哉です。それに、翼の乙女を降りることをカミーユ殿下に了承してもらいました」


「羽衣はもう返したのか?まだ、お前には翼の乙女の陽炎の光がまとわりついている」


「ま、まだです。でも、守哉に持ってきてもらうつもりだったの。あなたが守哉を拘束しなかったら、返していたわ」


「それなら仕方ないな。モリヤとやらをこっちに……」

SPに腕をがっちりつかまれていた守哉が、コナーの手で勝手口に引っ張り込まれる。


「ほら、迎えに来てやれ」


 にやりと笑いながら美羽に言うと、コナーは守哉の背中を勢いよく押した。

 段差に足を引っかけた守哉の身体が前に傾ぎ、悲鳴を上げた美羽が守哉を抱き留めようと前に出た。

 美羽を引き留めようとして、手を出しかけたカミーユとレオが、すんでのところで触れてはいけないことを思い出し手を引く。二人の間を通り抜け、美羽が守哉を抱き留めた

 その瞬間。


「きゃ~っ!」


 空気を揺るがすような美羽の悲鳴が上がり、全員が凍り付く。守哉の背中に回った美羽の手を、コナーが掴んでいた。

 感電したように身体をガクガク揺らす美羽を、カミーユとレオが、慌ててコナーから引き剥がしたが、美羽は右肩を左手で押さえたまま震えている。


「まさか!」


 カミーユとレオが疑念を抱きながら、恐る恐る美羽の肩に目をやった。

 押さえた指の間から覗いたのは、三角に尖った動物の耳!狼好きの意味を持つコナーの名前に因んだ狼の耳が現れていた。

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