第8話 夜の訪問者
その夜、衣望里の家では、美羽を招いて女性だけの「翼の乙女会議」が開かれた。
夜の八時を超えたため、守哉が美羽を送ってきて、一時間後に迎えにくることを約束して帰っていく。美羽はずっと守哉のところにいたのか、昼間会った時の服装、黒いハイネックノースリーブシャツとカーキー色のチノスカートのままだった。
衣望里は、一応寝巻の浴衣から、ライトブルーのブラウスとスカートに着替えていた。
リビングのソファーの二人掛けに祖母の衣里と母の羽月が座り、三人掛けには、姉の羽音、衣望里、美羽が腰かける。
一同を見渡した祖母が、「さて」と重い空気の中口を開いた。
「支配者たちがやってきたことは、みんな知っていると思うけれど、衣望里と美羽をどうやって守るか意見を聞きたいの」
ハーフに見える衣望里とは正反対に、和服の似合う母の羽月と姉の羽音が、思案気に美羽を見る。祖母が美羽のいる理由を説明した。
「衣望里から聞いたのだけど、美羽もまだ羽衣を持っているそうね。今、美羽の家族は旅行中で、連絡を入れたら判断を任されたので、ここに美羽を呼びました」
祖母に秘密を暴露されて悪戯を見つかったように首を竦める美羽に、羽月と羽音があら、まぁと声を揃えて呟き、一瞬緊張が解ける。
その様子を横目で見ながら、衣望里は気になっていることを祖母に訊ねた。
「おばあちゃんは、支配者たちに羽衣を返せば、彼らのものにならずに済むようなことを私に言ったわよね?美羽は衣を持っているから、それができるんじゃないかしら?」
とんでもない!と羽音が叫んでソファーから身を起こし、衣望里に食ってかかった。
「あなた、裸で追いかけられたのを忘れたの?こっちが断るつもりで衣を渡しても、相手が受け取るフリをしていたらどうするの?あんな身体の大きな人が、突然襲い掛かってきたら、防ぎようがないのよ。腕でも掴まれて獣紋が出たら、間違いなくヴァルハラに連れて行かれるわよ」
「う~ん。確かに追いかけられたけれど、その前に私の化身に話しかけた声は、とっても優しかった気がする。私が溺れる音を聞いて、慌て女湯に踏み込んだりせずに、非常ボタンでフロントに知らせるように指示を出したり、女湯の扉を入るときには、声をかける礼儀もわきまえていたから、決して強引な人じゃないと思う。話し合うことはできないのかな?」
風呂で支配者と遭遇したことを聞いて、目を見張った美羽が、顔を衣望里に寄せ、入浴姿を見られたのかと声を潜めて聞いた。
「ううん、私のは見られてないけど、タオルの隙間から見えたというか、ちょっとだけど。えっと、経験上、美羽に少し近づいた感じ?」
真っ赤になたった衣望里を、美羽が小突きながらクスクスと笑い出す。
緊張感の無い衣望里と美羽を、呆れるように眺めていた大人たちは、笑い止まない娘たちを放っておいて話を進めることにした。
母の羽月は衣望里の意見に賛成して、支配者たちと一緒に話し合う機会を設けたらどうかときく。結婚間近の羽音は、翼の乙女の一族がここにいると知られたら、衣望里だけではなく、今後は自分たちが生むであろう娘たちにも危険が及ぶのではないかと心配した。
どちらの意見を取るか、答えを求めてみんなの視線が祖母に集まった時、玄関のチャイムが鳴った。
「守哉が戻ってきたのかもしれないわ。私が出る」
美羽が席を立って、ダイニングにあるモニターを覗き込み、アッと声をあげた。
何事かと集まった女たちの目に映ったのは、二人の男。支配者たちだった。
黙したままのインターフォンの前で、二人は微動だにせず立っている。まるでここに衣望里がいるのが分かっているように、モニターを見据えている。
祖母がスーッと深呼吸をして、ビシッと背筋を伸ばし、決心をしたようにモニターの通話ボタンを押した。
「はい。三保です。どちら様でしょう」
銀色の髪の男が、落ち着いた様子で名前を告げる。
「夜分に失礼する。私はヴァルハラ王国の第二王子、カミーユ・エイリーク。隣にいるのは従兄のレオ・エイリークです。【天女の羽音】の従業員からオーナー宅がこちらだと聞いて訪ねました」
「それは、それは、遠い国からお越しいただき、ありがとうございます。高貴なお方に、私どもの宿にお泊り頂けるなんてとてもて光栄です。旅館で何か不手際でもありましたでしょうか?婿が旅館におりますので、すぐに連絡を入れましょう。旅館にお戻りいただければ応接室で話し合えるように致します」
「いえ、旅館のことではく、翼の乙女についてお話しを伺いたい」
ズバリと切りこまれ、衣望里たちは息を飲んだ。動揺しながらそれぞれに視線を交わす。
一人動揺を見せず、画面に映る支配者を観察していた祖母は、お待ちくださいと答えてモニターを切ると、衣望里に向かって言った。
「あなたの勘を信じましょう」
「おばあちゃん……」
「羽月、あの二人を隣の応接間にお通しして。衣望里と美羽はそこのドアを閉めて隠れていなさい」
それから数分後、応接間の二人掛けのソファーにカミーユとレオが案内され、三人掛けのソファーに並んだ、祖母の衣里、母の羽月、姉の羽音が緊張した面持ちで対面した。
衣望里と美羽は、隣の部屋にいることを秘密にして、扉越しに話を聞くことになった。
リビングに向かい合ったダイニングルームのテーブルに、二人並んで着いた衣望里と美羽は、応接間から漏れるカミーユとレオの声に耳を傾けながら、いざとなったら逃げられるよう、すぐ横の勝手口のドアを開けていた。
「衣望里は近くで二人を見たのよね?どんな感じだった?モニターに映った顔はカッコよく見えたけど」
美羽が隣の部屋に聞こえないよう、衣望里の耳元で囁く。
「逃げることで精いっぱいで、じっくり見れなかったわよ。金髪の方のレオさんは、女湯に入って来た時に、横顔しか見えなかった。もう一人のカミーユって人は、髪も目も色素が薄くて怖いくらい整った顔をしているの。エレベーターに逃げ込んだ時に、少し遠かったけれど目があったの。アイスブルーの瞳に睨まれてブルッって震えちゃった」
「ふふん。衣望里の怖いっていうのは、恐怖じゃなくて、興味の裏返しでしょ」
「えっ?どういうこと?」
「怖い、嫌い、触れるのもおぞましいとかじゃなくて、捕まったら、自分がどうなってしまうか分からないという未知に対しての慄(おのの)きじゃないかな」
「そ、そんなこと……」
「ない、と言い切れる?羽音さんが支配者を悪く言った時に、衣望里は彼をかばったじゃない。銀色の支配者に惹かれているのよ」
「やめてよ。そんな風に自信満々に言われると、そうなのかなって思っちゃうじゃない。ただの怖いもの見たさかもしれないでしょ」
反論しながらも、衣望里は胸の内で、怖いもの見たさも興味があるのと同じ意味だと気が付いた。
でも、その興味は最初は異性に惹かれる意味とは違ったはずだ。異質の姿を目にして、恐れも感じたし、連れ去られると思うと、ただ単に怖かったのだ。
もし万が一、美羽が言う通り、惹かれる気持ちが芽生えたとしたら、何がきっかけだろうと考えを巡らせる。
彼が私の化身に小鳥と呼びかけて、故郷の話を聞かせた時だろうか?
溺れた自分を心配して駆けつけた姿だろうか?
脱衣所に飛び込んできたカミーユの胸の厚さや、臀部からふくらはぎに至るまでの、男らしい筋肉が動く様子を思い出して、キュッと身体の奥が絞られるように感じた衣望里は、慌てて頭を振って妄想を追い払った。
意識を逸らそうとしたのを押し戻すように、隣室からカミーユの低くてよく通る声が届く。
「翼の乙女に会わせてもらえないだろうか?彼女の許可をもらうまで、触れないと誓う」
衣望里はキャッと声をあげそうになって、咄嗟に飲み込んだ。心臓が高鳴り、隣の部屋のカミーユの存在を意識し過ぎて、神経がささくれだったようにピリピリする。
「カミーユ殿下、申し訳ありませんが、お探しの娘はここにはおりません」
神経を尖らせているのは美羽も同様だ。
祖母のきっぱりした答えが聞こえても、落ち着かないのか、すぐ横の開け放たれた勝手口に目をやっては、気づかわし気に衣望里に戻す。
「衣望里は、どうしたい?もし銀の支配者に求められて、彼の獣紋が出たら、ヴァルハラ王国に行きたい?」
ヴァルハラ王国に行く?ここを離れて?
衣望里は激しく首を振った。
「それはない!家族や美羽と離れて、全然知らない国に行くなんて怖くてできない。言葉も違うし、知ってる人もいないもの。彼らだって、まだ会ったばかりで、性格も合うかどうか分からないのよ。考えられないわ。そういう美羽はどうなの?憧れていたって言ったでしょ」
「支配者がどんな人種か見られただけで十分。私には守哉がいるもん。ずっと一緒にいたい相手は守哉しか考えられない!ってことで、さっさとここから退散する?」
勝手口を指す美羽の誘いに、衣望里は迷いもなく頷いて席を立つ。
突然「待ちなさい!」と祖母の叫ぶ声が聞こえ、応接間とリビングを隔てる扉がバタンと開いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます