第2話 パイル地サンドイッチがよいのです




 前の回でお伝えし忘れたことがひとつ。

 タオルケットと毛布の掛布団の裾を私は敷布団の裾に折り込む。

 此処がスカスカしていると、側面で身をくるめてもあったまった空気が逃げていくからだ。

 そう。掛布団でのミイラ化の目的は、ミイラになる感触が安心感を呼ぶ、以外に、掛布団内での空気を温めて逃がさないことにある。

 

 が、しかし、そうまでして掛布団内を温めようとしていながら、なぜに、肌に接する最前面で毛布ではなくタオルケットが採用されているのか、だが、これは、“肌触り”の一点に尽きる。

 パイル地であるタオルケットの感触が好き、なのと、冬季ではひんやり感じるタオルケットも、素足を擦りつけることによって徐々に温かみが発生する、その“徐々さ加減”が堪らなく良いのである。違う比喩表現で言えば、コーヒーに牛乳を投入してスプーンでかき回してからいただくのではなく、投入した牛乳が攪拌かくはんする前に飲むことでコーヒーの苦みと牛乳のまろやかさを同時に味わいたい、のと同意である。


 それが毛布である場合、温かくなるまでの時間があまりにも短く、しかも、その温かさの温度もタオルケットのそれよりもはるかに高く、私の好みに合わない。

 また、タオルケット内で摩擦させることよって温まった足を、端の方に動かすと、そこに冷たさを感じ、その冷たさが、また、気持ち良い。その動作を繰り返すことで攪拌していないカフェオレを何度も味わうことができて穏やかな入眠に誘われる… そういう訳である。


 さて、駄目を押そう。

 タオルケットだけでは、実は役不足なのであって、最上の摩擦効果を演出するなら、シーツをもパイル地にすることである。パイル地同士でサンドイッチすることで素足はこの上ない歓喜の声をあげる。

 それとはまったく真逆の効果を出すのが、ホテルなどで採用されている糊でパリッとさせたシーツである。あれは、いけない。あのシーツで素足を摩擦させると、下手をすると火傷したような痛みを伴う。



 どこかのエッセイに書いた記憶があるが、私の全身の中で唯一自慢できる部位が足裏である。足裏なんて、どんなに自慢したくても人前で気楽に見せられる箇所とは言えない。褒められるとすれば、ベッドや布団を共にすることになった女性のみである。


「なんで、あなたの足の裏って、こんなにツルツルしているの?」としとねを共にした女性は百パーそう言う。


「長い話になるが…」と前置きしてから、私は上記のことを説明する。


 私のこの上なくツルツルした足裏は、サンドイッチされたパイル地で子どもの頃から鍛えられた賜物である、と私は思っているからだ。





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