005-1 『―――』

 夏堀が再来店するまで、一週間も掛からなかった。

「お疲れっ! ビールラガーよろしくぅ!」

「……はいはい」

 扉の開閉音に被せるかのように、夏堀の注文する声が足音よりも先に、階段を降りて来た。機先を制されはしたものの、仕事は変わらないからと挨拶の言葉を発さずに下げた抽冬は、そのままラガービールの準備を始めた。

「ん? 今日秋濱は? 逆強姦魔が怖くて逃げた?」

「いや、昨日も来てたし……」

 そこから先の言葉は、続かなかった。

 抽冬の言葉を遮るように、再び扉の開閉音が鳴ったからだ。

「いらっしゃい」

「…………」

「……何よ? 不景気な視線向けてきて」

 階段を降りて来た秋濱の視線が抽冬ではなく、先にカウンターの椅子に腰掛けている夏堀に向けられた。

 それでも秋濱は階段を降り、カウンターの椅子に腰掛けた。


 ……いつも座っている席ではなく、夏堀から一番離れた場所の椅子に。


「もしかして……私、警戒されてる?」

「それは……うん。再会初日に逆強姦レイプは、さすがにまずかったと思う」

 しかも部屋代は秋濱持ちにさせられたのだ。敵対心ヘイトが一体どれだけ溜まっているのか……少なくとも、物理的な距離を置かれる程度に警戒されているのは間違いない。

「それで、注文は?」

「……ビール。後灰皿と、夏堀のいない空間」

「喧嘩なら買うぞこら!」

 夏堀の怒鳴り声が飛んでくるものの、秋濱は視線を上げずに、ビールグラスを舐めだした。

「たく小さい男ね……私だって、ちゃんと相手は選んでるわよ」

「本当かよ……」

 小さく呟きながら、咥えた煙草に火を点ける秋濱。抽冬は二人の丁度中間位の場所に移動し、今度は夏堀の様子を確認した。

 しかし当の本人に反省の色はなく、暢気に手酌で、グラスにビールを注ぎ入れている。

「細かい男はモテないわよ~」

「……ガサツな女よりはましだ」

「聞こえてっぞこら!」

 一気に賑やかになったな……と抽冬は、二人の口喧嘩じゃれ合いを放置することにした。

口喧嘩じゃれ合いの範疇超えたら、さすがに介入するからね……オーナーに怒られたくないし」

「…………ん? 何、あんたのオーナーって、そんなに怖いわけ?」

 すると夏堀は秋濱に興味を無くし、今度は抽冬の方を向いてくる。

「そういえば、ずっと気になってたのよね……あんたの雇い主って、どんな人なの?」

「……あれ、事前に聞いてないの?」

 すると夏堀は軽く仰け反りつつ、指先で唇に触れながら、天井を見上げだした。

「私が聞いたのは……『腕はたしか』、『昔馴染みの詐欺師よりも嘘吐き』、『自信過剰ナルシスト』。それと…………『絶対に敵に回したくない人間の一人』、ってだけね」

「大体それで合ってる」

 雇われの身でありつつも、抽冬は夏堀が聞いている評価を一切否定しなかった。

「とは言っても……基本的には喧嘩売らなきゃ、結構普通な人だよ。普段は仕事・・ばかりで、ほとんど作業場からも出て来ないし」

 ふ~ん……、と呟いてから、夏堀は身体を戻してくる。そして、そのまま頬杖を突き、秋濱の方を向いた。

「……それで、秋濱は会ったことあるの?」

「まあ、何回かは…………回数は・・・当てに・・・ならない・・・・けど」

 秋濱の最後の呟きは、夏堀に聞かれることはなかった。


 本日人目の来店者の、扉の開閉音に遮られた為に。

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