001-3 秋濱 敏行

 ――シュワァァァ……


(まさか、学生時代のアルバイト経験が、今でも活きているなんてな……)

 ビールサーバーにグラスを当て、泡立つ液体を流し込みながら、抽冬はそんなことを考えていた。

 秋濱は先に置かれた灰皿に煙草の灰を落としながら、ぼんやりと酒瓶の並ぶ棚を眺めている。

 そして注ぎ終えたグラスのビールを、抽冬は秋濱の眼前にそっと置いた。

「今日はほうれん草が取れたから、おひたしでいいかな?」

「いや、ほうれん草はいいけど……もっと凝ったものにしてくれない?」

 客である秋濱にそう言われては仕方がないので、抽冬は他に材料がないかと、足元の冷蔵庫を覗き込む。幸いにもベーコンの買い置きがあったので、他の材料と合わせて取り出し、炒め物を作ることにした。

 他の店とかでは隠れていることの多い厨房が、カウンターの裏の半分を占拠している。そこに材料を並べてから、抽冬は料理を開始した。その間にも、秋濱から話は振られてくる。それにきっちりと応えることも忘れずに。

「さっきの封筒だけどさ……」

「封筒がどうかしたの?」

 自宅でもあるビルの二階から降りてくる前に、趣味でやっている家庭菜園から収穫してきたほうれん草を水洗いしながら、抽冬は秋濱の方を向いた。

「あれ……絶対に俺の月給以上の金額が詰まっていたよな?」

「だろうね」

 包丁を取り出す為に視線が途切れるものの、話は中断されない。

「うちのオーナー、腕はいいからね。その分、料金も高いよ」

「だけど犯罪だよな。こっちはいくら本業で働いても、月給はあれの三分の一にも満たないってのに……」

(相場が違い過ぎる気もするけど……)

 と内心で思う抽冬だが、声には出さない。社会の在り方に一々突っかかっても、一個人の力ではどうしようもないからだ。

「じゃあ何で持ち逃げしなかったのか、って聞いても?」

「……俺の人生賭けるには、安すぎるから」

 たしかに、抽冬のオーナーが手掛ける仕事は高い。高い技術力を擁する上に、法を犯す内容である分、料金はさらに高騰している。

 けれども、それは人一人分の人生と等価とは限らない。


 たとえ、オーナーが生み出す成果が、その人一人分の人生を救うとしても、だ。


 しかし、そんなことは末端である彼らには、まったくもって関係ない。

「不公平だよな……いくら真面目に働いていても、裏社会の住人不真面目な連中の方が稼いでいるんだからさ」

「何をいまさら……」

 狭くなることも厭わずに設置したガステーブルの上にフライパンを置き、火をかける。抽冬は油を引きつつ、熱されたタイミングで材料を次々と投入し始めた。

「動機はともかく……稼げる・・・から、人は悪に染まるんだよ。たとえ人生を捨てることになったとしてもね」

 火の巡りを良くする為に、都度フライパンを揺らし、菜箸で中身を掻き混ぜていく。

 視線を降ろして料理の具合を確認しながら、抽冬は言う。

「で……その愚痴何回目?」

「……忘れた」

 秋濱はグラスのビールを飲み干してから、新しい煙草を口に咥えた。

「料理が出来たら、ビールお代わりで」

「はいはい」

 その料理も、もうすぐ完成する。

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