第21話
「本名、雪衣っていうんだ」
「ぼくは宵です」
突拍子もないのについてきてくれた。
これは、ひとつの幽霊が、息子に会うかどうか迷った話。
「会えなかったね」
「……ユキユさん、ひとの心えぐるの好きなの?」
イタズラっぽく笑う唇はさくらんぼ色で、目元はアイシャドウも引いてないのに長いまつ毛の為薄い影ができる。鼻筋は綺麗で先がつん、としている。
どうしてだろう。言ってしまいたい。
母親が死んだ後の方が、健康だ、って。
「かなしいね」
この言葉がいけなかった。
「かなしさも、むなしさも、誰かに踏まれて汚れた砂利の雪です」
北の大地は真っ白だ。汚れた雪なんて知らない。
「こっちで振る雪はね、びちゃびちゃで、あんまり積もらないんですよ」
「そうなの?!」
中二病棟に来て5年。隔離されて生活していて知らなかった。
「軽くてさらさらで、綿みたいじゃないんだ」
「雪の衣なんて、いい名前ですね」
「すごいなあ」
口説かれた気分だ。ものすっごく若いけれど、今、わたしは初めて男の子とお花見をしている。もちろん恋愛視してはいけない。
「誰が名付けてくれたんだろうね。神風怪盗ジャンヌ知ってる?」
「綺雪さん話題変わりすぎ」
「名前って、親とかがくれる、最初の愛情だって。以上」
沈黙が流れた。
「もっと多くの本や映画やドラマを、ひとと関わってもっと多くの事を話したかったよ、衣宵」
「ぼくたち、名前、バラバラでしょう」
美貌の少年がニヒルに笑う。桜の花びらが彩ってもその鬱屈とした思いが空寒い。
「これは誰のためにもならない物語。でも。なんとなく祖母から聞いたから言ってみる。あるところに、指の短い男がいて、男は山のみんなから置いて行かれて、捕まり、拷問をする仕事についた」
「拷問されるんじゃないんだ」
「子孫に指の綺麗なピアノを嗜む者が現れたけど、ずっと誰かが誰かに酷いことをする夢をみる」
「しんどいですね」
「その子供も見る」
「……」
「でも女の子は見ない。見るのは男だけ」
衣宵はわたしの話を黙って聞いている。
「ある日、ピアノを嗜む男の妻が男の子を手放せるか、と問う。当然嫌なのに、男はわかった、と言った」
青いレジャーシートを撫でたまま、少年は、きっと家族から離される子供のことを考えている。
「その家では、女の子しか生まれなくなった。指のきれいなお嫁さんもいれば、畑仕事で割れた爪を持つお嫁さんもいたけれど、いつか、また、その家で。女ばかりの家で男の子が生まれたら、うんと優しく育てましょう。命は紙一重なのだから。紙一重でも、厚みがありそこが人間の本質と奥深さと心根なのだから」
「……長い話ですけれど、どのメディアですか」
「我が家」
「我が家?!」
衣宵が素っ頓狂な声をあげる。
「あとわたしの生まれ故郷とかは関係ない。ただ、ただ祖母が言ってたんだ。わたしたちが笑って生きられるように、全力で、祖父と叔父が悪霊を押さえつけてくれたんだって。お話は、いくつかあるからかき集めてまた聞かせる、って言ってたな」
「母は悪霊じゃありませんよ」
「衣宵にとって、」
目の前の美しい黒髪に白いワンピースのうつくしい幻影は
「このお母さんはどんな存在?」
美貌は呟く。
「なんでもない、なんでもない存在だけれど、ここに現れてくれる、ぼくの母」
それは幽霊?
「きえてしまったら、泣くの?」
「……亡くなった時に、すこし、涙が目そうでしたよ」
こんなに美しいのにあぐらをかいて出会った頃の白いシャツに黒いズボン。
愛しさとはこういうものか。自分がもっと若ければ、なんて。こういう時に思うのか。いやなものだな、と思って、いや、心地いいと思う。
「宵くん」
本名を呼ぶ。それだけで自分の声音が変わるのがわかる。
「きみ、ここ出られるよ。マリアさんも連れて行きなよ」
衣宵がふっと顔をあげる。
「どうやって」
「この木から、マリアさんを奪うのは無理だけど。マリアさんのいない人生を奪うことはできる。どういうわけか、ひとからものを奪うのが得意な人がいるから。あの人の物語も誰かが書くんだろうなあ。そうすればやり直せる」
「今すぐ行ってきます!」
「タダじゃないかもよ。わたしの時は、なんか、今になってみるともったいなかった!」
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