第18話

 古めかしい、それでいて雨模様の中、可愛らしく曇った煉瓦の詰まれた鐘楼の塔を、少年は、ここの階段は軋むような木の階段がいいと思いながら、サァ、と始まった雨音を外に聞いて。中を見て階段も同じく煉瓦でできていたことに、なぜか嬉しく、なぜか嬉しみを込めてはいけないと思いながら。

 この世の生きた怪異とやらへ向かっていく。

 てっぺん、途中。

 そこに鐘があった。

 その前に、椅子に腰掛けた一人の男性と、外が見えるように煉瓦がくり抜かれたような窓。

 まるで。

「ここに座るとね、ひとが椅子に座りながら首を吊っているような、いやな位置になるんだ」

 男性が言う。

「今回の子の名前は何かな?」

「ショウです」

「しー、ここでは?」

「衣宵」

「へえ、なんて字だい?」

「ころもに、宵の明星の宵です」

「そっか、綺麗だね。きっと、アリアが気を利かせてくれてるはずだよ」

 そんなことよりも外の雨が強くなったことの方が気になる。男性は。男の人は。

「生きた怪異があるとアドバイスをいただいて、ここに来ました。あなたは」

生きてますか?

 男性は少し視線を、まるで鎌倉の大仏の半目のようにして少し前、そこにない畳の目でも見るような目線と笑みで沈んでみせる。窓からは吹き込んだ風と雨の飛沫。

 あの、濡れてますよ。そんな言葉も、今の少年・衣宵にはかける気になれない。

「鐘をついたら願いが叶う、とかだったらロマンチックだったのにね」

 よく見ると、大人の男性だということに、今更引っかかった。

「雪行さんやアリアさんと同じような立場ですか?」

「君は綺雪派じゃないんだね。ぼくは、綺麗な雪でいて欲しい、そうある事を誇りに思って欲しいと思って、綺雪ちゃん、って読んでるよ」

 目の前の男性は、

「目、見えないんですか、もしかして」

控えめなんてどこかへ。

「いや、見えてるよ。ただ遠くを見ているだけ。さあ、君の前に化け物が現れた。本物の、周りの人間の中二病を幻影させる小物じゃない。正真正銘、誰かの何かを奪う化け物だよ」

 柔らかな髪がしっとりと雨に濡れてしまいすこし広がっている、だけれど目の前の男性。男の人。青年からは。正気がちゃんと感じられる。この季節に、なぜか、息が二人とも白い。ユキユに風呂に放り込まれたことを思い出す。

「貴方がなにかを奪ってくれるなら、ぼくの幸福を奪ってください!」

 この世のたとえば未来のクラス分けでの好きな子との距離の幸せ。別のクラスでもいい。なんとか入れた志望校、あるいは滑り止めで友達と部活の先輩の良いところ少しだけ苦手なところをなんとか飲み込んで寄り道してアイスを食べる夏、紅葉狩りなんて渋いことだなんてことはない、免許を取ってドライブに行って、行けなくても高尾山くらい知っているから目指してみる気概、そして。

 子猫が震えていたら温める物だと思って、と。体を調べられて傷が無いか確認されてから、氷雨の中、温かい風呂を用意した、「母」と正反対の白い彼女。たっぷりとお湯の溜まり行く猫足バスタブの中で呟いたあの言葉。春夏秋冬。一日千秋。日進月歩。全ての人生から。


ぼくの幸福を奪ってください。

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